07.ある日突然、恋敵〔2〕
「ダージリンとチコリ・コーヒーと、ラムレーズン・チーズと」
図書館裏のケーキ屋さん。
以前、久瀬くんから幽霊船の講義を受けた場所だ。明るいカフェスペースに腰をおろし、季節のケーキを注文する。
一ヶ月前に作った器ができあがったのだ。
私の目の前に座っている橘は、午前中、それを取りに行っていたそうだ。ほんとうなら宅急便で送られてくるのだが、特に自分で受け取りに行くことを頼んでいたという。
彼はリュックの留め具をはずし、キーボード大ほどの箱を取り出した。
ゆっくり、ふたをとりはずす。
「わあ」
私は感嘆の声をもらした。
いっぱしの評論家を気取るなら――濃灰色に薄墨を刷いたような色合い。形は口が狭い縦長三角形で、筒は四角に近い。製作には難しい形状なのに、しかも手こねで作ったから全体的に肉太で不恰好となるはずなのに、崩れも愛嬌と思えるほどバランスが取れている。釉薬もほどよく散り、落ち着きがある――なんてね。
私には審美眼があるわけではない。でも、ぱっと見、素人の作とは思えない。どこかのギャラリーに置いていても通用しそう。そんな気がする。
「キレイ。いっそ陶芸作家になれば」
「ほめてもナニも出えへん」
橘はさらっと軽口をたたいた。
「それより天宮は知らん? 呪の回収ポイント」
いきなり話題が飛ぶ。
まあ、花瓶の完成はきっかけにすぎない。いわばここは情報収集の場だ。
藤生氏、上主様、魔法、呪……謎めいた夢と、現実に存在する橘。
考え出すと気持ち悪くて、真実をつきとめずにはいられない。
橘にも思惑はあるだろう。ビー球、鍵、花瓶……意味は分からない。けど今、彼が次にやろうとすることは予想できた。かつての藤生氏のように、魔法の源<呪>を集めるのだ。この『単なる趣味』で手作りした花瓶をもってして―――。
藤生氏は、私の住んでいるマンション・グリーンヒル東城山を根城にしていた。
「旧市街地の中心で<呪>が集まりやすい」
ごく少ない藤生氏語録に、そんな内容があった気がする。なにしろ二年も前だし、記憶があやふやだけど。
だが橘には言うまい。なんとなくそう思い、
「さあ。私、魔法使いやないし」
とりあえずそう答えておく。
藤生氏のようで藤生氏でなく。
でもサナリさんの上主様かも?
先入観なく人物をみるべきなんだろう。でもどうしても、彼に対してはどこか警戒心が抜けないのだ。
質問に答えない後ろめたさを感じつつも、私も質問する。
「カギ、とかはどうなったん。苅野の結界が壊れてるて言うてたけど」
「進展なしや。船はあれきり現れへんし」
彼もまた、それ以上の話はしなかった。
ケーキも食べ終わって、できあがった花瓶も見て。たいした会話をすることもなく、今日はさよなら、ということになった。
期待したほど収穫はなかったかな。ため息をついて立ち上がった。
そのときだった。
入口にこのお店の紙袋を下げた彼女がいた。
彼女も、私に気づいたようだった。
せりちゃんだった。
「奇遇やねえ」
そう言おうとして、ことばを飲みこんだ。
せりちゃんの表情が変化してゆく。戸惑いから怒りへ……。
すぐ、理由に気づいた。
(この状況、デートっぽい、かも)
くるりとかかとを返してせりちゃんが店を出ようとするのを、私は追いかけ、
「待ってよ、せりちゃん」
「サイテー!」
あ、やっぱり。
そうじゃない、誤解だから、と声をあげる。
そう、勘違いもはなはだしい。けど、私は彼女の勘違いを責められない。
軽率。その一言につきるから。
そもそも、幽霊船探検におもむいたのも『橘なんて知らない』を証明するためだった。それが今の今まで、ことの発端をすっかり忘れてたんだから、アホもたいがいにせいって感じだ。
外を出たところでせりちゃんの体がゆれた。
橘が彼女の手首をつかんでいる。
「この修羅場、俺が渦中の人てことで、合っとんの」
橘がせりちゃんを見下ろす。
せりちゃんは全身をこわばらせるように動きを止めた。
次に橘は、私へと視線を移す。まるで裁判官が法廷で証言を要求するかのようだった。
一方の発言を求められた私だが、言葉につまる。
「そ、そう、かも」
ふう、と橘が一息ついて、
「高梨さんやったかな」
「は、はい」
「なんか興味がわいた」
せりちゃんは目を白黒させている。
橘の発言は脈略なさすぎだ。意味がくみとれない。たぶんせりちゃんも同じだろう。混乱が動揺に拍車をかけているだろう。橘に顔を向けることができず、視線はうつむいたままだ。
「高梨さんは以前、俺のこと、好きだと言った。俺は天宮さんに興味があると答えた。そこまでは覚えてる?」
「覚えてます」
「物覚え、ええな。でさ、なにか手持ちのネタある?」
「手持ちのネタ……」
「ぶっちゃけると、興味なり好奇心なりを満たす手持ちのカードある? もってたら付き合うけど」
……なんだそれは。
と思ったが、我が身をふりかえると当を得ている。
私は彼が魔法少年であることや、藤生氏とのかかわりが知りたかった。橘が知りたかったのは……おそらく藤生氏の過去の話。
橘はそれらをカードゲームの手札に例えた。橘と私との間柄も、そういうことなのだ。
せりちゃんはきっと顔をあげた。
「あります!」
「それはなに?」
「まずは、私自身!」
私は突っ立っていた。ぼう然としながら、目が離せない。
せりちゃんは一歩も引かない。真摯で、自信をみせることをかけらもちゅうちょしない。
私とせりちゃんは勝負をしてるわけじゃない。そうじゃないのに、私は敗北感と恐れの入り混じった感情をおぼえる。
「……降参」
と言う橘は困ったようすなどなく、柔らかく笑ってみせた。
「高梨さん、ツレは?」
「いない。お客さんが来るからお菓子買いに来たんで」
「なら、家まで送ってく」
せりちゃんは小さくうなずくと、橘は彼女の背中を押して歩き出した。
「じゃ」
橘の軽い別れのあいさつに、とっさに反応できなかった私は、遅れて小さく手をふった。声は、出なかった。
せりちゃんは終始、私を見もしなかった。
―――せりちゃん、よかったね。
そう喜べばいいはずだった。なのに素直に喜ぶことができない。気まずさだけを残して、私はしばらく立ち尽くすだけ。
そして……この喪失感はなんなのだろう。