Interlude 05.
「誰って」
「夢の話よ」
藤生氏は気だるい動きで髪をかき上げる。
「私は誰にも話していないわ」
「『貴方を守る者はまどろむ事が無い。見るがよい、イスラエルを守る者はまどろむ事無く、眠る事も無い』」
藤生氏の言葉に少女は眉を寄せる。
「……何?」
「聖書詩篇。あんた本当にキリスト教徒か」
「はぐらかさないでよ」
藤生氏はギャルソンに声をかける。
「サロンの1990年があれば」
ギャルソンが去ると、沈黙が訪れる。
彼女は思索する。
目前に座し、グラスに残るシャンパンの芳醇を無言で称える男。昼、国営鉄道の駅で出会ったばかりというだけの間柄だ。
――私は何も知らない。
――でも、この人は私を知っている。
――なぜこの人はそれを知っているの?
誰にも語ったことのない夢物語を。
心に固く秘していた、恋なのか否かすら分からない、想いを。
彼女の問いかけは、彼女の心の中で永久に回り続けるようにさえ見えた。
「ゼンタ」
伏せがちな藤生氏のまぶたが、少し開く。褐色の瞳にキャンドルの炎が揺らぐ。黒い髪は赤いろうそくの炎の色に染まり、紅葉が終焉するさまを思わせる。
自らの名を呼ばれた少女の瞳は潤んでいる。
「昼メシのサーモン・サンドの金、返す」
「……はい?」
「俺、借りただろう、ユーロしか持ってなかったから」
少女は……頭から湯気が出そうになる自分に気づく。
気づいてはいてもその憤りは抑えがたく、彼女は満面を朱に染めて怒鳴るのだった。
「言ったでしょう、話をはぐらかさないで! 彼のことは誰にも話したことがないのよ。カイ、あなた何なの?!」
「留学生がこの国の通貨を持っていない。それは奇妙な話だ」
少女は目を見開き、そして短く嘆息する。
藤生氏のポーカーフェイスは依然、崩れることがない。
「何だろうな。少なくともオスロ大学の留学生じゃないだろう」
「そう、確かにそうね……」
「君はゆっくり謎解きを楽しむんだね。俺もハンザ同盟以来の、歴史ある街をできるだけ長く楽しみたい」
そして藤生氏はいつにない温かな視線を少女に向けた。
―――そう、もう少し長く。
と、自らに言い聞かせるようにつぶやきながら。