05.月さえも眠る夜〔3〕
桟橋を歩いた順番にはしごをよじ登り、甲板に上がる。
私もせりちゃんも、
「こんだけの高さ、上ってきたんだ」
という気分で川面を見下ろす。
校舎の三階くらいはありそうだ。ただし、暗さで距離感は狂っているかもしれない。そもそも幽霊であろうこの船、物理的な距離が測れるシロモノなのかも不明だ。
今度は見上げてみよう。
川岸からは屋根部分しか見えなかった楼閣。逆に今は、屋根が見えない。どうも三階建らしい。白塗りの壁がまるでお城だ。
甲板には、縄とか箱とかたたんだ布とかが雑然と置かれていた。その間から柱が伸びている。このへんの布をこの柱に引っ掛けて、帆を張るんだろうけど……足の踏み場がない。どうも整理整頓がなっていないんじゃないか。よけいなお世話かな。
意外と揺れはない。ゼロではないけれど。船に乗った経験は数少ないが、その経験からして揺れは「ないも同然」といえる。船酔いを起こすのは至難の業だろうってくらい。
私たちのいる場所は船の後ろ側だろうか。川岸から見た感覚で判断している。
それにしても、甲板には私たち以外の人気がない。いや、幽霊船だから「幽霊気」か?
思い切って船の後ろ端に行ってみる。
ハンドボール大の直径くらいの、長い鉄の筒が三本、並べてある。
これはなんだろう。
私となつきが『?』を顔いっぱいに表すと、鹿嶋くんは長い銃を抱えて狙撃するようなふりをしてみせた。
鉄砲?
せりちゃんはというと、マッチを擦って導火線に火をつけ、耳をふさいでいるらしい。
大砲?
久瀬くんは両人のパントマイムにOKサインを出した。どちらも正解、というわけか。
大きな鉄砲かつ小さな大砲というところか。なんだか中途半端な。大きいなら大きい、小さいなら小さいで作りゃええのに。
そういえば目撃談に『大砲の音』てのもあったね。その正体がこれなのだろうか。
「何とよ!」
全員がはっとして、お互いを見た。
「船上にはだれもおらぬのか」
男の人の声だ。それは船の外、船の下から聞こえる。
「人払いをせよとの仰せゆえ」
船のへさきから少し顔をのぞかせる。
小船が大船にへばりつくように浮かんでいる。そこには灯りに照らされた、ちょんまげ二つ。
ちょんまげ。『お侍さん』『武士』とやらか?
おお! 武士だ。今、武士を見下ろしてるよ私。会話聞いてるよっ。
「いくら人払いの後とてだれもおらぬは、無用心にも程があろう」
「闖入者が入ることもまかりなるまいとは。その自信、なにを以ってか」
という二人のクエスチョンに対して、もう一人のアンサー。ボウジをたてケッカイをはっておるでな、とその武士みたいな人は胸はって答えてる。
ケッカイ。『結界』のことか。
どこにそんなものがあるんだ。その結界とやら、破ってるやつらがここに六人もいるんですけど。
「それでも油断は禁物。万全を期し井楼の周囲に番を置くべきと存ずる」
「しかし出払って今は水夫どもばかり」
「拙者どもが当たればよかろう」
つまり彼らは甲板の番をするらしい。
ということは。
……見つかるやん!
私たちはあわてて、撤退路を探した。
だが、はしごは私たちが上ってきたもの以外はないようだ。そのはしごは、さっきの武士が上ってきているのだろう。荒縄がきしむ音がしはじめた。むろん、三階の高さからダイブする、無謀な勇気を持ち合わせている者はいない。
冷や汗が出る。心拍数が上がる。
武士が上ってくる。
私たちは手っ取り早い隠れ場所に逃げ込んだ。
それはすなわち、楼閣の中だった。
しまった、という表情をみんな浮かべている。
さしずめここは、ことわざの『虎口に入らずんば虎子を得ず』の虎口だ。でも私はトラの子供なんてほしくない。かわいいかもしれないけど。
楼閣の中は明るい。
ランタン型の懐中電灯がところどころつり下げられているのだ。よくみると……LEDライト。この最先端ぶりどういうこと? 幽霊船と武士にエコ電球。ミスマッチもいいとこだ。
そして外から見た楼閣の大きさからすると、意外と狭い。
人三人並んだらおしまい。通路はまっすぐに、それこそ迂遠に延びている気もする。距離感がおかしくなっているには違いない。
通路はまっすぐだが所々、壁がへこんでいる。ちょうど人ひとりくらいはおさまる凸凹ぶり。いざとなったら隠れられる……かもしれない。
例の武士、甲板にあがったのだろう。
楼閣の出入り口は白い布のカーテンだ。声はよく聞こえる。
「随分散らかしておるな」
「確かに。麻網を張り巡らすどころか、甲板に放りはなしじゃ」
声がだんだん近づいてくる。
「まったく、非常時出来となればいかにする」
「貴公のいうといおり。大事の前にこれはな」
どうする?
久瀬くんが右手のひらを前へ突き出してみせてから、そろっと奥へと向かう。
船内を確認する。他のみんなはそのままとどまっておくように。
ということだろう。慎重派と思っていたが、意外と果敢だ。
この場で冷静に立ち回れるのは彼か橘くらいかもしれない。せりちゃんは怯えてるし、鹿嶋くんもなつきも落ち着かないようだ。
「水主どもをひきしめておくべきだ」
この声の主の位置関係を測る。楼閣のすぐ側に立っているに違いなかった。
そのとき。
ごん。
と、鈍い音が響く。
なつきだ。
立ちくらみだった。倒れまいと壁面にしがみついたのだが……。
なつきの顔は顔面蒼白。だが、私も血の気が引いた。
問題は外の武士だ。
「どうした?」
一人が問いを発した。ということは。私は瞬時に予想した。
もう一人は気づいていた。無言で近づき、突入し、そして、
「曲者じゃ、出あえ」
と叫ぶ。お約束の展開だ。
通路の先の壁面からひょいと顔だけが突き出てきた。
びくっとしたら……久瀬くんだ。
彼のいる場所は、十メートルも離れていない。ある程度のスペースがあるのだろう。
橘が両手で『×』のサインを出す。久瀬くんが戻ろうとするのを押しとどめたのだ。彼はすぐに事態に気づいたのだろうか。親指と人差し指でお金サインを出して、手をふってこちらに来るよううながす。ちなみにお金サインはOKサインの誤りだろう。そういうことにしておく。
橘は先に行くよう、他のメンバーを促す。せりちゃんと鹿嶋くんはなつきを気遣い、手を差し伸べながら早足で進む。
そして橘はポケットからビー玉を取り出し、床にそっと置いた。
(だれかがいた証拠置いてどうすんの)
私は憤慨してつめよりそうになる。
橘は私の心中を見透かしてか、口もとをゆがめた。
ビー玉は電灯の光に照らされ、オレンジ色の輝きを見せている。
「行く」
橘がするどく言った。
瞬間、私は腕をつかまれ、ひっぱられた。
そりゃもう強引だ。通路をそれるにもジェットコースターさながら遠心力がかかり、急に動きが止まるや、反動で前にのめりそうになる。が、もう一度腕をひっぱられてバランスを失い、私は結局、床にへたりこんでしまった。
橘はかたわらで事務的に話す。
「この空間の音は消した」
顔を上げるとなつきと鹿嶋くんが立っている。その後ろにはせりちゃんと久瀬くん。
あれ? せりちゃん、頭ひとつ分高いんだけど。
「話しても大丈夫」
久瀬くんはいつもの愛想笑いを浮かべる。橘は素っ気なく答えた。
「そう」
「音を消すって」
せりちゃんが私の疑問を代弁する。
時間ないな、と橘は背中を反らしてつぶやき、
「やつら槍持って来とる。階段を」
私はようやく階段の存在に気づく。せりちゃんが頭ひとつ高いのは階段を一段、上がっているからだ。
さて。階段を上がるか、下がるか?
せりちゃんはちゅうちょすることなく、上へと向かった。