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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
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05.月さえも眠る夜〔2〕

「見えてきた」


 あいさつ以来、初めてタチバナが口を開く。一同に緊迫感が走る。

 つづけて鹿嶋くんが間延びした声で、


「久瀬、大きなクジラやな」

「ボケはこのへんでやめとこ。奴に失礼やからな」


 久瀬くんは襟を正して<奴>を見上げた。

 <奴>は白く光っている。

 間もなく、その輪郭を正確にとらえることができた。この霞の中にいながら、だ。それこそ不思議なのだが考察を放棄するくらい、私は<奴>の姿に圧倒されていた。

 まさしく黒い巨体。

 その意味で鹿嶋くんの『大きなクジラ』は正しい。

 話にたがわぬ威圧感であり、存在自体が見る者への恫喝だ。

 全員があおぎ見た。

 クジラの上にすえられたまばゆい<楼閣>。一部しか見えないが、その華々しさは一望して分かる。


「近づいてみる?」


 私の果敢な提案に、全員が同意した。

 聖書にいわく。



 ―――恐れるな、私は貴方と共にいる。たじろぐな、私が貴方の神だから。(イザヤ書41章1節)



 いやいや怖いもんは怖いわ。

 川岸から船へ、二本の道が伸びていた。

 いわゆる桟橋というものだろう。桟橋は二本とも、体の幅くらいの板を継いだもののようだ。全力疾走しろと言われるとちょっと自信がない、そのくらいの横幅。二本の道は互いにからだひとつ分の距離をおいている。行き帰り、一人一本というところだろうか。船までの推定距離、十数メートル。

 いざとなると足がすくむ。

 だれか先に歩けよ、と心中、思う。

 せりちゃんは半泣きの態である。鹿嶋くん、顔は笑っている。さりながら、ほおのあたりが引きつっている。


「ふーん」


 タチバナが楼閣を見上げ、感嘆の声をあげる。不敵な視線を幽霊船に投げかけ、明らかに状況を楽しんでいた。

 そしていま一人冷静な人間がいる。


「装甲船ぽいな。確かに上の方は木みたいやけど」


 久瀬くんだ。超常現象への恐怖もへったくれもない、その好奇心に感服。彼らを観察するにつれ、必要以上に不安になることもないだろうと思ったりもして、多少気分が落ち着いてきた。


「櫓、異様に多いな……イカも泣いて逃げるな」

「ゴタク並べるより行こや」


 タチバナは板の上に足を乗せて久瀬くんに視線を投げると、


「そやな」


 久瀬くんも積極的に歩みを進めた。桟橋は私たちもまともに歩けるらしい。


「ちょっと待ってよう!」


 せりちゃんが悲壮な声を上げる。鹿嶋くんもまた、頼りない顔をしながら板にそおっと、足を乗せている。

 私、ですか?

 私はなつきの様子をうかがっていた。

 彼女はあらぬ方向を見つめている。行こう、と声をかける前にその眼差しの行方を追ったのだが。


「う」


 私は絶句した。

 な、なんか、いません?

 目を凝らして輪郭をとらえる。人影に違いない。褐色の地味な、でもこぎれいな着物。そして印象的な長い黒髪。当然、女の人だ。

 まさか、うらめしや?

 あ……。

 目が合った。

 全身から血の気が引きかけたそのとき、


「はるちゃん!」


 思わず肩をすくめ、声の主を見る。

 せりちゃんだ。妙なものを見るような視線が私に突きささる。

 でも私はほっとしている。……よく声をかけてくれたものだ。


「なつき」


 私は小声で彼女に声をかけた。

 すると彼女は、きょとんとしながら言った。


「どうしたん? 行こ」


 私は耳を疑った。

 立ち止まっているのが私・天宮のせいと言わんばかりだ。なつきこそ、今まで遠いところを見ていたというのに。それでいて彼女、悪気は微塵も感じさせない。むしろ心配そうに私を気遣うさまを見せている。

 なんで私が気遣われなきゃならんのだ。

 なつきこそ、と反論しかけた。

 ……やめておこう。

 反論を試みても場が混乱するだろう。なつきの態度に加えて、せりちゃんも私を見て妙な顔をしたってのもあるし。

 とりあえず、


「考えごとしててん。ごめん」


 と、私はその場を言いつくろった。

 そしてなつきに前を歩いてもらい、私は最後尾をゆく。

 すぐに私たちは先頭集団に追いついた。出むかえたのは意外にもタチバナである。


「怖いん?」


 小馬鹿にしたような物言いにカチンとくるが、そこはおさえて。


「平気と言うたらウソかもね」


 これはなかなか冷静でオトナな答えだぞ。

 私、ちょっと酔いしれる。

 すでに船のそばである。ここは板の道がつながり、十人くらい楽に並べるスペースができている。

 今ごろ疑問に思いはじめたけれど、このへんの水深は深いのだろうか。大きい船が進水してるくらいだし、桟橋作るくらいだし。普段は気にしたことがないから……もしかして、川に落ちたらえらいことになる?

 懐中電灯はその役割を終え、久瀬くんのリュックに納まっている。船の周囲は暗いが、頭上が明るく、おたがいの姿を確認できた。幽霊船の幽霊さんに見とがめられる可能性は皆無ではない。

 そんな不安があるやなしや。

 学究精神満々の久瀬少年はそりゃもう、楽しそうだ。


「やっぱし鉄張りやけど、めっちゃ薄っ。思ってたより結構すごいかも」


 彼の賞賛の的は、船を覆う鉄。船体自体は木製だ。鉄ののべ板は上から貼り付けられたもので、そのすき間からはところどころ、塗り木が垣間見える。鉄板は厚紙の広告と大学ノートのあいだくらいの厚み。

 そんなすごいものなのか。ちょっと触れてみる。

 冷たい。

 どちらかというとざらっとした質感だ。


「錆びる直前の鉄っぽい」


 感想を述べつつ振り返ると全員、観察するように私を眺めている。


「はるちゃん大丈夫?」(なつき談)

「触れるんやなあ……」(久瀬談)

「天宮さんなんともないんかいな」(鹿嶋談)

「よう触る気になるね」(せり談)

「猪突猛進」(タチバナ談)


 私・天宮がこの場の全員に『最強』の烙印を押された瞬間だった。

 いや、ちょっと待ってくれ。


「あの板の道を歩けるんやったら、船を触るくらい大丈夫では」


 全員こぞって無言で否定した。


「なんでやねん!」


 せめてここをお読みの皆さんは、同意していただきたい。それが無理なら、先駆者たる私の果敢なる勇気を称えていただきたい。

 さて、先駆者たるもの常に衆人に先んずる冒険心は欠かすべからざるもの。


「どうせやったら乗船してみたくない?」


 タチバナは同意するより先にすぐそばを指差した。


「縄ばしご」


 確かに、もう一本の板の道側にそれはあった。しかも腰の位置までに下ろされている。

 ……なんでご都合主義的に縄ばしごが。片付けとけよ。

 だれに対してかは分からないが、とりあえずツッコミ入れておくとして。

 乗る手だてがある限り、冒険者たるもの突き進まねばなるまい。選択肢はない。……一方で『やけのやんぱち』という言葉が脳裏をかすめるのだが。


「先頭行かせてもらうわ」


 橘は先に断りを入れながらも、さりげなく前へ出た。

 久瀬くんが必要以上に語らぬ先輩の意図を代弁する。


「ここからはさすがに猪突猛進はヤバイやろ」


 すみませんね、猪突猛進で。


「それと全員。今からは、しゃべり、厳禁な」

「了解ッス」


 鹿嶋くん、お約束のボケである。

 すぐさま久瀬くんは、


「黙れと言うたやないかい!」


 とツッコミを入れるかわりに、無言で相方の腹にグーを入れた。

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