05.月さえも眠る夜〔1〕
新月の夜。
ひんやりとした空気が肌にふれる。
昼の照りつけるような日差しを忘れさせる。涼しさは寒さと紙一重、立ち止まるとふるえさえおこる。
山あいの苅野特有の気候だった。
鈴虫。
夜露。
草の匂い。
ささやかな星空。
月明かりはない。
新苅野駅の街灯に群がる虫が、光源をさえぎる。
鹿嶋くんのお姉さんはピンクのヴィッツを、かのんの彼・タカ君はデュカティという真っ赤なバイクを新苅野駅のロータリーに停めた。お姉さんとかのん、タカ君を残し、私たちは河原へ向かう。かのんは残ることにゴネたんだが……おねえさんを一人残す不適切さをタカ君が懇々と説いてくれた。良識を持った彼氏でよかったよ。
せりちゃんとなつきと私は、芽衣川河川敷へと下りていった。そこには三人が待っている。
鹿嶋くんが私たちを出むかえた。
「まだ現れてへんよ」
せりちゃんが軽口をたたく。
「幽霊船、もう出たあとっていったら怒りの持って行き場ないよね」
私も続けて、
「とりあえず鹿嶋くん殴っときゃいいよ」
「あんたら最悪や」
なつきが小さく声をあげて笑った。
つられて、鹿嶋くんがうれしそうに口元をほころばせる。
お、いい感じ。
この調子でいこうぜ!
少し離れた川面に二人はいる。街灯が川岸の向こうにあり、人影しか見えない。立っていることだけは分かるのだが。
鹿嶋くんのあとを追い、彼らのもとへと歩む。
「タチバナさん、久瀬」
仲間の呼びかけに、その二人はふりかえる。
鹿嶋くんは先になつきを紹介した。
「はじめまして。武崎です」
私は彼らの面差しが判別できるまで待った。
「はじめまして。天宮です」
久瀬くんの隣に立つ人は、少し背が低い。
髪はゆるやかにウェーブがかかる。懐中電灯なので分かりにくいが、髪の色は抜いている。くっきりとした目鼻立ち。ハーフとかクォーターとか、そんな感じっぽい。
「どぅも。橘です」
そして少し不遜さを覚える態度、事務的な返答。
私は途方に暮れた。
いきなり笑顔を見せたり小うるさい言葉をかけたりした場合の処遇を、私は事前に決めていた。貴様なぞ知るか! と先制パンチをお見舞いする心づもりだったのだ。
ところがこの素っ気ない応答。肩すかしをくらったような気がする。
「せりちゃん」
私は困ったサインを送る。
彼女も同じサインを返す。
「あの発言は一体」
せりちゃんをフッたときに飛び出した、天宮お気に入り発言のことである。
「照れでもなさげやし」
なつきも参加して推理。ここに来るまでになつきにも事情は話している。
その場を支配しかける、妙な空気。
それをぶった切らんと、鹿嶋くんは半ば強引に、腕時計を指し示しつつおしゃべりをはじめた。
「夜一時。『草木も眠る丑三つ刻』はまさにこれから、てところやな」
「『丑三つ刻』ね」
久瀬くんが応じていわく。
「『逢う魔が時』は夕暮れの闇せまる時間やな。ほんなら夕方から今時分まではどうゆう時間なんやろ」
「フツウに闊歩してますとか。なら『いつが安全やねん』てツッコミ入れたくなる俺」
「魑魅魍魎の類より、ヤバイ人のほうがよっぽど危険」
せりちゃんの発言。常識的にして真実だ。
「俺はヤバくないです」
「僕もです」
鹿嶋くんは片手を挙げて宣言。つづく久瀬くんも、特技の愛想笑いとともに誓いを述べる。
やっぱりこの二人、息ピッタリ。まさしく漫才コンビだ。
タチバナ・モトイ(『橘・基』と書くらしい)はそんな二人を遠巻きに眺めていた。
少し距離を置いているようで、他人のよう。だけど彼らに好意がないわけではなさそうな雰囲気。人柄がまだつかめない。感情もあまり垣間見えない。
せりちゃんを見た。腕組みしながら川を眺めて、彼女は言った。
「幽霊出ないって可能性もあるわけやよね」
「それはそれで平和でよろしいなぁ」
久瀬くんがのほほん感をかもし出しつつ、愛想をふりまく。と、すぐ横から鹿嶋くんの激しいツッコミ・ヒジ鉄。
「……あぐっ」
「お前なにしに来とんねん」
なつき、笑う。
せりちゃんも苦笑しながら。
「それこそ怒りの持って行き場ないやん」
「とりあえず鹿嶋くん殴っときゃいいよ」
「あんたらやっぱり最悪や」
かなりどうでもいい会話だ。
だが、言葉が途切れたとき周囲の非日常感を実感する。
闇。
向こう岸と遠く、駅の街灯。
空に月はなく星あかりだけ。
懐中電灯が一番確かな光だ。
静寂。
ささやかに水が遊ぶ川のせせらぎ。
虫たちの歌。
羽音さえも音楽。
なにかを話さなくちゃ。
私たちのハイテンションな会話こそ、恐怖をおさえこむ武器なのだ。
「出たらば、渡辺さんよけい悔しがるかも」
なつきのつぶやきに、せりちゃんはそうよねぇ、と明るく同意。
つづいて鹿嶋くんはわざとらしくため息をつく。
「お前らと思考回路が違うわやっぱ。みんないい方向に考えようや、な?」
「殴られんで良かったな。鹿嶋」
「ケンカやったら買うぞ。久瀬」
アホコンビだ。
断っておくけどほめ言葉です、あくまで。
私は彼らの盛り上がりをよそに、橘の様子をうかがっていた。
彼は少し前から川面に注視している。左手を軽くズボンのポケットに突っ込んで、少しだるそうな態度で。
私はそれに、軽いデジャヴを覚える。
―――このデジャヴ、なに。
私は戸惑いながらもおぼろげに思う。
―――追求は、やめるべき。
好奇心。それと相反する自制心。自制を求める危機感。
この危機感はなんだろう……。
久瀬くんに視線を向ける。
「出てきてほしいのか出ていらんのか、どっちやねん」
他愛のない会話のツッコミ中。
頼れないかも。
そう考えたとき、彼はちらっと詰問するような視線を向けた。
だれも気づかないほどの一瞬だ。
『どう感じた?』
そう回答を強制されたようで、目をそらす。そらさずとも、彼が私に目を向けたのはひとときほどもないのだが。
私は結論を出すことをやめ、橘が見ている川面へと目を向けた。
向こう岸の街灯が乱反射してできた、うすぼんやりとした光が浮かぶ。
……いや、違う。
「なんか悪寒が走った」
「オカンが走った?」
「そのオカンとちゃうわっ。寒気のほうやっ」
こんなときでもボケツッコミは忘れない。
「なにこれ!」
せりちゃんが声をあげた。
異変は明らかだった。
霧が周囲をとりかこむ。驚異的な速さで視界は失われていった。駅も川岸も、マンションの明かりも田んぼも気づいたときには見えない。かすんだ視界の中でおたがいの姿を確認するのが精一杯になっていた。
鹿嶋久瀬にしろ、せりちゃんもなつきも、きわめて強い意志で自分を律する。だれも『怖い』とは口にしない。恐慌状態に陥った瞬間、ほかのメンバーも恐怖のどん底へまっしぐらだ。全員それを理解している。
「マジでさ、これなによ」
「霧」
「見たまんまやん」
このやりとりだって恐怖心を払拭するためだ。
……と受け止めるのは、かいかぶりでしょうか?




