Interlude 04.
藤生氏は振り返る。
「ムッシュ・フジオ」
窓際のテーブルに座る藤生氏の右手、少女の向かい側。その青年は立っていた。
「おひさしぶりですね」
藤生氏は無言で視線を目の前のプレートに落とす。
青年はやれやれ、といった手振りをオーバーに表現してみせた。その所作に青年の美しいプラチナの髪は玩ばれるように揺れる。全身を黒で統一した端正なスタイルも含め、すべてが洗練されていた。
「あなたは地獄の門番のような顔をしていますね。しかも冷淡だ。広い世界で再会した祝杯を互いに交わそうとは言いませんが、偽りでももう少し歓迎の態度を示してもよいとは思いませんか? 昔の貴方は紳士でしたよ」
「邪魔すんな。フロリアン」
青年の雄弁に対し、藤生氏の返答はこの一言だけだった。
「Excusez-moi―――あなたがいるなら挨拶をせねばならないと思っただけなのですよ。至福の時を邪魔するほど僕は罪深くはないし愚者でもない」
少女は、青年の一挙一動をわき目も振らず捉えていた。
青年は少女の瞳を意識していた。それがゆえ、彼は少女に決して視線を向けはしなかった。ただ優雅な微笑みを絶やさず、口ずさむように言う。
「カイ、愛らしいマドモワゼルと楽しいひとときを」
そして、彼は王様へ許しを請うがごとく、胸に手を当て一礼をして去るのだった。
少女は姿が消えるまで、彼の背中を目で追っていた。
シャンパンを一気に飲み干す藤生氏。
「カユいねんボケが」
少女にも藤生氏の不機嫌さが伝わってくる。
なにが彼の気に障ったのだろう。彼女は問いかける、
「あなたはデートの邪魔が入るって言っていた。それが彼なの?」
「そう」
「あの人は知り合い?」
「まあね」
「あなたの親切ではない態度を、私は理解できない」
フロリアンという青年の礼儀を邪険に扱う藤生氏。
そういう印象を、亜麻色の髪の彼女は持ったようだった。
彼女にはどんな会話だったかは、ほとんど分からなかっただろう。少女の知らない言葉で話していたからだ。
いや、おそらくは会話の不理解だけではない。
彼女の非難は至極まっとうな意見だ。事情を知らない限りにおいては。逆にいえば、あの態度をとった理由を理解するにはそれなりの事情、あの青年が何者なのかを知る必要がある。
果たして藤生氏はそれを説明するだろうか。
「親切にする必要がない」
「不誠実な行いだわ」
「彼は、俺の調査を探りにきた」
「調査を? 丘に登って海を見ただけの?」
藤生氏はフォークを手にしてサーモンを食べはじめた。
バターソテーにサワークリームとレモンを添えて。もくもくと、ゆっくりと噛んで、飲み込む。
彼の食べっぷりはあまりおいしそうに見えない。
「カイ、聞いている?」
藤生氏はフォークを持ったまま、顔を上げた。
「あのひとクールだなとか思ってるだろ」
「なにを言っているの」
「見たまんま」
彼女は顔を真っ赤にして反論した。
「そんなことないわよ!」
「あんたは結婚詐欺師に気をつけた方がいいな」
今度は少女のほうがスプーンを引っつかんだ。
サバのスープは彼女にとっては何てことのないありふれた料理らしい。
うちと味が違う、ということだけは分かる。だがそれまでだった。それ以上のことは混乱してよくわからない。
「あんたをここに呼び寄せたやつに失礼だろ」
かちゃん、とスプーンが音をたてた。動くことを止めた少女の手から滑り落ちたスプーンがそのまま、スープの中に沈みこんでいく。
藤生氏は沈黙の中にいる。
自意識の谷間からはい上がった少女の悲痛の声は、至極単純な問いかけでしかない。
「カイ、あなたは誰なの?」