06.ルール
藤生氏の花瓶いっぱいに『呪』がたまった。『魔の世界への門』が開くのには十分な量だ。
だが、藤生氏はそれで行こうとはしなかった。第二の花瓶にスペア用『呪』を貯蔵しはじめた。
白河くんの諫言あってのことだ。
「備えあれば憂いなし」
手持ちの『呪』に余裕は持たせとかなきゃね。
それにしても、私が通り魔に襲われた折りに使った『呪』。あれは半年がかりでためたものだったらしい。それが四ヶ月でいっぱいだなんて。間違いなく、異常なペースといえるだろう。
「なんらかの理由で密度が前より濃いみたいや」
藤生氏はそのように分析していたのだけれど……。
* * *
マンション・グリーンヒル東城山の屋上に、藤生氏と私はいた。
地上二十四階建て、苅野市一ののっぽマンションで私の住まい。市内の眺望は抜群。
目的はやはり『呪』収集にある。
秋の深い青空の下、私はぼーっとなにもせずに座っている。高いところだから地上とは体感温度がぜんぜん違う。
冬、ここで集めるのは寒すぎてムリかな、とふと思った。
「にぶんのいち。にぶんのいち」
花瓶が子どもの声でしゃべった。
どのくらいの量なのか、花瓶が自己申告するよう、魔法をかけているらしい。
藤生氏が『呪』を感じ取る能力が低いため、そういう機能をつけとかないと、花瓶いっぱいになっても分からないから。満タンになったときは『いっぱい。いっぱい』とわめくのだ。
「もう半分なん? すごいなあ」
私は藤生氏を見やった。彼は予想に反して厳しい表情をしていた。
「早すぎや」
ただ、ここまではさほど日常と変わりはない。
空が赤くなってきたときに、あのひとは我々の前に姿を見せた。
屋上への出口に現れた人影を認めると、藤生氏は一瞬、身を固くした。
そのひとは二〇才前後だろうか。身体のラインがよくわかるレザーパンツに、ウエストシェイプされた、ダークグリーンのシャツを身につけていた。びっくりするくらい整った顔立ちに赤茶の髪は、フランス系俳優を思いおこさせた。
美形かくあるべし。私の目は彼一点に注がれていた。
「サナリ」
藤生氏が沈黙を破る。
サナリ、と呼ばれたお兄さんは微笑むでもない微妙な表情で、私たちを見下ろしていた。
「とある話を仕入れてきました」
テノールの、しっかりした声だ。声までもが、美形かくあるべし。ビジュアルに違わない。せりやかのんに見せて堪能させてやりたいもんだ。
サナリは私の存在を確認し、藤生氏にこの場で話していいのかと手振りでたずねたみたいだ。
藤生氏はかまわないと返答した。
サナリはそれでは、と地べたに座った。
「苅野の呪の量は明らかに増加しています」
藤生氏はうなずいた。
「その理由ですが、魔のものたちが、いま話題の魂を自分のものにしようと、集結しつつあるからです」
「魂を自分のものにってーと?」
藤生氏は無表情で問いかけた。サナリはけげんそうな顔をした。
「以前、お話したはずですが」
「忘れた」
藤生氏が質問したのってなんにも知らない私のため……と考えるのは図々しいかな?
魔のものは『魂』を持てばもつほどステータスが高いそうだ。
ただ『魂』にもランクがある。
聖職者の魂は、たとえばローマ法王だとかチベットの高僧だとかを手に入れた日には、そりゃあスゴいらしい。ただ、そんな社会的宗教的なステータスがなくても、心の持ちようなりがまっすぐなキレイな人は、魔のものの社会では価値が高い。逆に悪いことしまくった人の『くすんだ魂』をいくら持ってたって自慢にならない。言い方は悪いけど、いわばゴミ集めしてるようなもんなんだって。
そんな魂の価値は客観的(?)にランク付けされるそうだ。法王さまとかなら一目瞭然。だけど、一般人のランク付けは目利きの技術が必要になる。魔のものたちの世界ではそういう鑑定技術者がいて……なんだか宝石鑑定士みたいな感じだね。
「今回、あいつらが狙っているのは、二週間後の土曜日に死期の迫った、苅野市在住の一二歳の少女の魂です。近年まれにみる聖職者並のピュアな極上物という鑑定結果が先月、公開されたものですから、かなりの数が集結していますね。
まあ、まだ時間もありますし、主に活動しているのも偵察系の小者ばかりですから、この程度の牽制のしあいですんでいますが」
「そいつらの呪か」
藤生氏は花瓶を両手で持ち上げた。
一見、空っぽ。中は半分『呪』のつまった魔法の花瓶だ。
「さっき小者だけって言うてたけど、そんな極上物を狙うんに、大物の魔のものは来ないもんなんか」
「魔のものには魔のものなりのルールがあるのです」
「嘘はつけなくとも、言葉は濁すんやな」
「真実ですよ」
藤生氏の言葉も構わず、お兄さんは続けた。
「もしそんな貴重な魂を、人間の皆が手に入れたとしたら? 魔のものの間でうわさになるでしょう。確実に皆の父親の関係者の耳にも届くはずです。
今日来たのはこの提案をしたかったためです」
「白河にはこの話」
「しましたよ。彼は興味がないと言い切っていましたがね」
藤生氏はサナリに手を差し出した。
「材料を」
サナリはシャツのポケットからメモと写真を出し、藤生氏のてのひらに乗せた。
「前向きな動きを期待してますよ。ではまた」
私がメモに気を取られたうちに、あのかっこいいお兄さんの姿は消えていた。
人間じゃないよね……。きっと。
「苅野市城山三丁目二一の一 グリーンヒル東城山一〇〇八、ここちゃうんか」
「ここの住所」
「この子に見覚えは」
写真を見て、私ははっとした。
「日下部さんちの、ここに住んでる女の子。この子を魔のものが狙っとんの?」
「二週間後に亡くなるらしい」
「たまに見かけるけど元気やよ」
「交通事故」
私は非難の声をあげた。
二週間後に死ぬって、それを知ってて見殺しにしていいわけないじゃない。あまつさえ、魂を手に入れようだなんて。
「運命は他人が変えられるもんやない」
それでも、と私はくってかかった。
藤生氏は困ったような顔をした。次に、花瓶をわきにかかえ、うつむいて不機嫌そうな顔をした。
「……魔のものたちが期して待つ魂を救うても、目立つのは同じやな」
藤生氏って少しひんまがってはいるけど、ほんとはいいやつなんだよね。