03.幽霊船を考察する〔3〕
苅野市立中央図書館は混雑していた。
書架の机はおろか、自習室までふさがっていた。雑誌室の椅子も占拠され、二階への階段にも小学生が座りこんでいる。
静かに調査をする雰囲気ではない。
検索端末で、なにを検索するわけでもないのに遊んでいる子供もいる。
久瀬くんはカウンターに向かった。
「日本の船の歴史がわかる本って、どこにありますか」
聞いたほうがよっぽど早い。
カウンターのお姉さんは、素早く検索し、案内してくれた。
「日本の船の歴史を調べれば分かるん」
久瀬くんのあとを追いながら、たずねた。
「日本の川でギリシアのガレー船が浮いてるとも考えにくいしね。カラック船やジャンク船は証言とは合わへんし」
「……はあ」
暗号を聞いたみたいだ。
「そんで。船の形態について、証言をまとめるとこうなる」
そう言いながら、久瀬くんはメモを差し出した。
1)帆を張っている(帆船)
2)マストは1本、おそらく多くとも数本程度
3)櫓が側面から出ている
4)大砲を備えている
5)比較的大型船である
6)甲板上は楼閣を備えている
7)木造
8)鉄板による側面保護
あまり字はうまくない。
という感想は置いといて。
最後のひとつ「鉄板による側面保護」は走り書きだった。私の発言を受けてだろうが、いつメモしたんだ。店でる前にお手洗いに行ったときかな。
という、どうでもいいことも置いといて。
久瀬くんは『日本の船(和船)』という本を手に取った。
座る場所もないから、書架に向かって立ったまま。彼は本を体から離し、腰の高さで開く。私からも見やすい。
この本は、図版がわかりやすく、船がどういう姿だったかよくわかる。結構面白そうだ。
日本の古い船のこと『和船』ていうとは、知らなかったです。
さて、久瀬くんは最初のページをすっ飛ばした。
「なんで飛ばすん」
「戦国時代以前は見てもしゃーない」
「だからどうして」
「船は大砲を積んでるんやろ」
「積んでるらしいさね」
「『鉄砲伝来』以前に大砲が存在すると思えない」
「へーえ」
なるほどねえ。
これはあとで確認してみたコト。
えーと『鉄砲伝来』は1543年。織田信長が今川義元を倒した『桶狭間の戦い』は1560年。
「それから櫓を動力としているなら幕末以前が考えられる。ペリーの黒船は蒸気船やろ。開国・倒幕の流れで各藩が外国から船を買いあさって、和船はヨーロッパの船に急速に切り替わっていったから」
『ペリーの黒船来航』は1853年。
要するに三百年間、戦国時代・安土桃山時代・江戸時代を考察すればいいわけだ。
戦国時代の船の形態は見慣れない。
主として紹介されているのは二種類だ。
ひとつは関船。大きなボートの上に大きな箱を置いたような船。
もうひとつは安宅船。箱を置いたのは一緒だが、その上に小屋と大きな帆が一枚ついている。
「これちゃう? アタケブネ」
マスト一本、帆が一枚。
「小屋を楼閣に見立てたらメモの条件に合致する」
「軍船、やって。そやから大砲撃ってたんかな」
久瀬くんはしばらく『アタケブネ』の絵を眺めていた。
ぼんやりと。
そしてゆっくり、丹念にページを繰る。
「ゴザブネ」
彼はぽつりと、言った。
私はそのページを眺めた。
御座船。
そのモデルとして本に掲載されているのは、江戸時代、徳川幕府の将軍家光が建造させた『天地丸』という船の模型写真。
大きな一枚の帆、朱塗りの家のようなもの。たくさんの櫓。説明によれば船体は三四メートル。
「……これ、久瀬くん」
「……これ、天宮さん」
私たちは顔を見あわせた。




