03.幽霊船を考察する〔1〕
私は鹿嶋くんの提案まで、この噂を知らなかった。
この噂、とは。
―――芽衣川に、幽霊船が出没する。
あまりに乏しい私の知識のフォローが必要。
それで私たちは集まった。私たちといっても、二人だけ、なんだが。
苅野市立中央図書館裏手のケーキ屋さんの、カフェ。
カップルや有閑マダムの集う中、私はパイナップルのチーズケーキを注文する。
「まずは疑問に思わんかった?」
いま一人の調査隊・久瀬くんはそう切り出した。
「なにが」
疑問? 質問?
うーん、なんにも思いつかない。
久瀬くんは私をまじまじと眺めてから、大きくため息をついた。
「なんだいその態度。むかつくぞ」
「単純で結構やなあと」
いつか一本背負いお見舞いしてやる。必ずだ。
「天宮さん。ここはひとつ真剣に考えてみてください。船はどこに浮かびますか」
「水」
私、小学生扱いか。
「水。結構な解答です。でも少し考察が足りませんね」
「海とか川とか」
「Fine!」
どこのエセ英語教師だろう。
「問題です。苅野に海はありますか」
「あっ」
海はない。
苅野市は盆地にある。昔は京の都から北へ向かい山を二つ三つと越えた、街道の要衝。今は神戸や大阪の少し離れたベッドタウン。
海は南、山を越えた神戸方面か、はるか北の日本海。
苅野には中央を流れる芽衣川と、ここに流れ込む数箇所の湖しか水源はないのだ。
『幽霊船』。
沈没や遭難した船が幽霊になる、という話はままある。
でも、川で沈没とか遭難とかして幽霊に、という話は聞いたためしがない。ましてや。
「川に幽霊船が出るって不自然」
「そうやろ?」
「お待たせいたしました」
私のトロピカル・アイスはシトラスとパッションフルーツのフレーバーティ。久瀬くんのお茶はダージリン・セカンドフラッシュ。夏摘み葉のダージリンを選ぶとは、さすが元おぼっちゃま。
そして待望のパイナップルのチーズケーキ!
「お先にどうぞ」
涼しげに優しげに、久瀬くんは微笑んだ。
なかなか、地味な委員長がイイ兄ちゃんになったな。
……いかん。だまされるな。
営業スマイルの奥に潜む本性は、腹黒い冷徹漢だ。
私は、注文が出そろうまで待つことにした。
「そういえばさ。なんで鹿嶋くんとタチバナ・モトイとやらは来ないわけよ」
「それを言えば高梨さんとか渡辺さんも来おへんやん」
「せりちゃんはともかく、かのんが地味な調査なんてするわけないやん。だいたい言い出しっぺの鹿嶋くんがなんで来ないんよ」
「奴らのことは言うでない」
「なんかあった?」
「思い出したない」
「お悩みなら天宮がうかがいますぞ」
久瀬少年は沈思黙考の末、少しいじけた表情を見せる。
「あいつらフェス遠征中」
「フェス?」
「ライジング・ジャパン・ロック・フェス! 北海道の試される大地でコロボックルと舞い踊る二日間ッ!」
理解不能なまでの上げ上げテンション。正直、ひいた。
……夏フェスか。バンド兄ちゃんにはたまんなく魅力的なのだろうね。
ところがどっこい、久瀬くんは貧乏。
地元の名士で政治家の父親がいるのになぜ、と思うのだが、どうやら一緒に暮らしてる母親がどうも……お金の使い方が微妙に分かってない。ヘタすると久瀬くんのバイト代が、電気代に化けることもあるらしい。
ピアノも弾ける秀才貴公子、実情は苦しいらしかった。
「おサイフが追いつきませんでしたか」
「働けども及ばず、ふところ底をつく始末、無念至極」
「よしよし。かわいそうやねえ」
同情とおちょくりを同居させながら、私は悟る。
久瀬くんは『格別のモノ』にはあきらめも悪いし、ゴネるし、打ちひしがれるわけですね。弱点、見つけたり。
「こんな話しに来たんちゃう。下調べやって」
しかし彼は気持ちの切り替えも尋常なく早い。
もう少し楽しもうかと思ったが、残念だ。
「お待たせいたしました」
とお店のおねえさんが運んできたライチのデザートは、久瀬くんの頼んだ品。ライチのゼリーとムースの上にフルーツソースとライチの実。涼しそう。
彼は少し味わってから、言った。
「船の目撃談を分析しようと思う」
待ってました。そのために来たのだから。
私がケーキから目を離すと、彼は淡々と語りはじめた。
「僕が聞いたんは……」
注意:作中の夏フェスは実在するイベントとは一切関係ありません。