01.再会のとき〔2〕
……いまだに久瀬くんは来ない。
二〇時半に少し遅れる。と鹿嶋くんに電話があり、すでに十五分を経過。二一時過ぎに花火は終わるはず。
ピンク、レモン、水色と淡い色遣いのスターマインが優しく空の色を彩る。
私たちは無言で空を眺めていた。
最後に幾つものきら星が素早く乱れ飛び、四方へと飛散し、空には煙だけが残った。
終わりや。そうとなりの小学生の男の子が言った。
いや、終わりじゃない。
また光の筋が空へと上がった。そして、スマイルが黒いキャンバスに描かれる。
おとなりの家族連れからも脱力の笑いが漏れた。
尊敬するぞ、花火職人よ!
突然、Beatlesの『All My loving』。鹿嶋くんのケイタイだった。
相手は久瀬くんらしい。どうやら居場所をナビゲートしているようだ。
私は堤防上の道へと向き直り、視線を走らせた。
すると、ビックリ。
目と鼻の先にケイタイで話している、濃い色のシャツにジーンズの少年がこちらを見下ろしている。しかも目が合った。
私が大きく手をふる。すると彼はすぐに気づき、素早く河川敷に下りてきた。
「一瞬びびった」
彼は開口一番、こう言った。
「話、ちゃうやん」
話が違うって、どういう話だったんだ。
それはそれとして。
私は『ひさしぶり』と笑顔で迎えた。だが久瀬くんは私を見るなり、あからさまに『なぜいるのか』という表情をした。
どういうことよ!
大いに憤慨しかけたのもつかの間、久瀬くんの表情は瞬時に凍った。
「あ……」
彼の視線の先には、なつきが立っていた。
なつきもまた、身を固くしていた。
「もしかして、白河くん? 白河あきなりくんなん?」
なつきは小さく、かすれた声で彼に問いかけた。
久瀬くんの目線が揺らいだ。
いまや使うことの無い父方の姓で呼ばれて、動揺したのだろうか。
いや、そんなんじゃない。そんなことで動揺する人じゃない。
彼の頭上で光の輪が幾重にも広がった。
遅れて響く破裂音。しゅるしゅるという音とともに、蜂が舞う。蜂の群れが消えた瞬間、忽然と現れる黄金の椰子林。周りからはほお、と感嘆の息がもれる。
久瀬くんがようやく口を開く。
「……自分、武崎なつき?」
二人とも、双方の相貌を見つめあったまま立ち尽くしていた。
そこには壊してはならないと思わせる空気が漂っている。静寂に包まれ、深遠で、他人には触れることのできない、見えぬ沈黙。
鹿嶋くんも私も、どうしたらいいか分からない。お互い、顔を見あわせるばかりだった。
その夜空は幻想的だった。
きらきらひかる星がいっせいに降り注ぎ、次の瞬間、山吹色の光彩が大きく花開いた。その花は枝垂れ桜のように闇を揺らす。金の花弁が無限に降り注いだ。
黄金の雨に染まってしまいたい。
途方に暮れた私は、そんな気さえした。
ファンタスティックな雨が止んだころ、周囲は帰路についていた。
明るい声で沈黙を切り裂いたのは、鹿嶋くんだった。
「なんか食ってく?」
私は少し、救われたような気がした。
* * *
だが救われたと思ったのは、早計だった。
ここはお豆腐屋さんのレストラン。
創作和風な趣の一方、お茶カフェもやっていて、私は丹波の黒豆コーヒーを注文している。
店内は空いていた。
カフェスペースに至っては、三人しかいない。私、鹿嶋くん、久瀬くん。お客さんはそれだけだった。
なつきはあのあと『疲れたから』とさっさと帰ってしまった。
本当に楽しかったの?
そう勘ぐってしまうような表情を残して、彼女は去った。
残されたのは微妙に気まずい空気。
「天宮さん、実はさ」
と明るく言って、鹿嶋くんは自らのカバンをあさる。
取り出したのはチケットのような紙片。
「来週の金曜、ライブやるねんけどさ、来おへん?」
私はしばらくチケットを見つめてから、ぼそぼそと言った。
「静岡のおばあちゃんちに帰るねん。金曜から」
「ああ、お盆やもんな」
鹿嶋くんは、何度も細かくうなずいた。
聞き分けのよい子供のように納得してくれるからこそ、よけいに申し訳なく思えてくる。協力できないものかと、私は頭を悩ませるのだ。
知り合いに声をかけようか。
……なつきの顔が思い浮かぶ。
次に、久瀬くんを見やる。
静かにコーヒーの味を堪能している。
いつもの如く紳士的に『意地悪』を述べはしない。視線は時々、私に向けられる。
別にいいよ、とフォローするでもなく、知らんふりを決め込むわけでもなく。
この無言が一番の『意地悪』ではないだろうか。結局は。
それにつけても、である。
なつきと久瀬くんの挙動はなんだったのだろうか。
直感的に警鐘が鳴る。
なつきは、誘えない。
「ちょっと待って」
チケットをしまおうとした鹿嶋くんから、強引にチケットを奪い返す。
とっさに、脳裏に浮かんだ。
「かのんやったら、お盆に帰省はせえへんはず」
たしか、かのんは絶賛していたはずだ。
中学校のとき、彼らがやった『文化祭ライブ』のことを。
それに加え、私は彼氏のタカくんに恩を売ったこともある。うまくたきつけたら二人そろって来る可能性は少なくない。というか断ったら不義理を糾弾してやる。
「それなら、二枚預けてもええかな?」
今度は私がふるふると、うなずく。
素早く鹿嶋くんがいま一枚、あわせて二枚をテーブルに添えて、笑顔で言う。
「ありがと! ケーキおごろか?」
「そ、それは」
さすがに遠慮した。
「というわけで」
久瀬くんは白いカップを置いた。
「空気が重たなくなったとこで、自分らが気にしてるネタ話しよか」
「気にしてるネタて」
「武崎さんのこと」
久瀬くん、にっこり笑った。
気にしてる。たしかに、間違いなく気にしてる。
だけどそうストレートに言われるのもしゃくに障るもの。だからそっけなく『あ、そ。どうぞ』と返してみる。
ところが、
「なんかあったのか。あの子と?」
鹿嶋くんは気が気でなさそうに『心の友』につめよる。
素直すぎるよ。いい人だけどさ。
それと……やっぱり。
もしかすると、もしかするかもしれない。
「中学に入る前、会ったことがあんねんな。小学校の卒業前後どっちかは忘れた」
久瀬くんは再びカップに触れた。
「会って?」
「会った。話もした。そんだけ」
「ウソぬかせ!」
という罵声を飲み込んだのは、私だけではあるまい。
お話しただけで、おたがい、あんな尋常ならざる態度をとるものだろうか。
「ホント、そんだけ」
いま一度、彼は確認するように言った。
それ以上のネタは提供されるべくもない。いかにも消化不良な気分だ。聞かないほうがマシなくらい。
私だけでなく、鹿嶋くんもかすかに不快感を顔にあらわしていた。