04.ふたりの距離
お買い上げのエトロの袋は相良の手にある。
帰りは同じ電車だった。神戸の中心・三宮からふた駅。
そして湊川から北へ――六甲山脈を越える――神戸電鉄。
『うちのバアチャン、阪急王子公園』の彼が、同じ方向だったとは。
なにかがもう少しだけ、いっしょにいる時間を与えてくれたみたい。
* * *
白に赤ラインの電車は、山を上り、トンネルを抜ける。
『神戸山岳鉄道』と揶揄とも愛称ともつかない呼ばれ方をされている、六甲山系の合間を縫うように走る路線だから、モーターも強力なものを積んでいる。車内の音は相当なものだ。
そんな中、黙ってつり革を握るかのんと相良。
あえて大声で話そうとは思わない。始終無言のままだったが、居心地は悪くなかった。
(なんか不思議やな)
沈黙が怖い。なんかしゃべらんとアカン。
友達同士でいても、かのんはついそう思ってしまう。そして無理やりどうでもいい、アホな話をひねり出しては、無意味に面白がる。いつも盛り上げ役をかって出て、楽しい子やと言われるけれど、ほんとうはとても疲れるのだ。
今は違う。ただ黙って並んで立っていても、かえって落ち着く。
そして安らぐ。
心地よい距離感。
これもかのんには初めてのことだ。
――次は、すずらん台。
車内にアナウンスが流れる。車窓の風景は、菊水山の緑から、棚田のように広がる見渡すかぎりの住宅へと変わっていた。
そしてまもなく、駅にたどり着く。
無常にも扉が開いた。
みんな我もわれもと、先を急いで降りてゆく。
(『なごり惜しい』って、このことなんやろな。はるちゃんが使いそうな言葉やけど)
相良は人の流れが途切れるのを待っていて、なかなか降りようとしない。
相良も「なごり惜しい」と思っているだろうか。
だったらどれだけいいだろう。同じ気持ちでいるなら、どれだけ。
そう願いながら、
(単に遠慮しぃ、なんやろけど)
と自分で希望を否定するようなことを考えてしまう。
「ここ、すずらん台よ」
言いたくないのだが、かのんはあえて言った。
相良が心あらず、とばかりに答える。
「……ですね」
降りる人並みが途切れた。電車に乗り込み北へ向かう人は、数少ない。
かのんは彼の顔をもう一度見た。
相良がエトロの袋を持ち上げて、かのんを見下ろした。
「今日はありがとう」
低い声がかのんの耳をくすぐる。
「いろいろ、ごめんね」
かのんは小さく首をふった。
もっと声を聞きたい。
にわかにそんな思いがこみあげる。そのとき、
――扉を閉めます、ご注意ください。
すべての心地よさを壊すようなアナウンスが流れ、せかされるように相良は電車を降りた。
とっさにかのんが叫んだ。
「相良さん!」
振り返る相良。
反射的に手が出る。投げられたモノを掴み取った。
「あたし、渡辺かのん!」
閉まる扉がお互いの姿を隠す。
「それぜったい、返……」
かのんの声は、最後まで届かない。
電車は動き出した。相良の目の前で、白と赤のラインが流れ去ってゆく。
彼は電車が見えなくなるまでホームに立ちつくしていた。
右手にはホワイトパールの携帯電話。それを握りしめながら……彼は初めて、彼女の名を呼んだ。
渡辺、かのん。
『Distance』おわりです。
次は藤生氏の魔王様執務レポートその2。