04.春一番が訪れて
家へ帰ると母の第一声はこうだった。
「はるこ意外ともてるんやね」
「そやよ。意外ともてんねんで」
わが胸元の消えた第二ボタンを看破したのである。
私はムリに胸をはって威張ってみた。
本当は、くださいと言われたんじゃないけど。いや、言われたけど少々話が違うし。もらえ、と押しつけたようなものだし。
でも、まあいいでしょう。少しくらいの違いは。
「普通、女子が男子からもらうもんやろ」
せっかくいい気分になっているところ、横やりが入る。
小魚スナックをむさぼっている弟だ。
「黙れ。あんたは言われるアテあんの?」
「関係ないやろ、オトコオンナ」
「にゃあにおう?」
座布団をひっつかんで投げようとした矢先、母はエプロンを着けながらたずねた。
「はるこ。あんた、カフスもあげたん」
「え」
私は座布団を持った手首を回して、袖口を確認した。
ふたつボタンがついているはずなのだが、ひとつしかない。
そんなおぼえはないけど……。どこかでひっかけてなくしたかな。
記憶を遡ってみる。
数秒考えた。
ぴん、ときた。直近の記憶だ。
「あやつ……」
「姉ちゃん。顔、赤いで」
「うるさいわっ!」
私はあわてて自分の部屋へ駆け込んだ。
駆け込んだはいいけど。
どうしよう。
電話してみるか。「ボタン取った?」って聞いて。
冗談じゃない。
そんなん、めっちゃ恥ずかしいやん。違ってたらさらに赤面ものではないか。断じて、それはならん。
さて仕切直し。どうしよう。
途方に暮れて、卒業アルバムを開いてみる。
三年五組。最前列左端。容疑者の顔を発見。私は無性に腹が立って、アルバムをベッドに放り投げてしまった。
だが意を決し、携帯を手に取った。
握る手が冷たい。冷や汗が出る。
メモリから呼び出そうと動かす指を、途中で止める。考え直して、また押す。
「もしもし……かのん? 教科書買うん、いっしょに行こ」
かのんから約束を取りつけて、通話終了。
「これでよし……って、違うやろ!」
ひとりボケツッコミやってどうするよ、私。
手がふるえた。いや携帯電話がふるえた。
即座に電話をとった。
『久瀬です』
自供の電話か?
「はいはい、なんでしょ」
『天宮さん、今日、お付き合いありがとうございます』
「は、はい。どういたしまして」
久瀬くんのどこかよそよそしい話し方に、少しずつ落ち着いてくる。
『お礼、申し上げるのを忘れてましたので、お電話差し上げました。ボタンも僕のぶん失敬させて頂きましたので、お断わりしておこうかなと』
「そうなん? 気づかんかったけど」
気づいていたというのがなんとなく気恥ずかしく、とぼけてみる。
『イヤやったら返しにいきますが。カッコ悪いやんな』
「別に着ることないから、ええけど」
『僕はこれやったらリサイクル出されへんから、悔しいねん。天宮さんのはわかりづらいやん。第二ボタンなんかは勲章っぽいからともかくとして』
「カフスなんか見た目分からへんしね。忘れて譲りそう」
電話口で彼が笑い転げている。
「なにを笑うよ」
『返せっていわれるほうが僕的には嬉しかったんですけど。会う口実として』
顔が赤らむのが分かる。
「なにを言うかね」
『差出人藤生君と思われるお礼の直筆書簡が来てました』
「藤生氏の。見たい!」
『了解。天宮さんちに送付しときます。藤生君も直接送ればええのに、あとメールとか。面倒くさい』
「まあそう言わんと、よろしくお願いします」
『かしこまりました。ところで天宮さん、さっき、なぜカフスと速攻お気づきで?』
「……あ」
『そいじゃ』
弁解するスキも与えられず、無情に電話は切れてしまった。
私は頭をかかえて、へたりこむ。
どう受け取られたんやろ。いや、そういうやなくって――どう収めたものやら判断のつかぬ感情が、つぎつぎとこみあげる。
そう。頭の中は強風に吹かれたあとのように、荒れていた。
へんな誤解されたらどうしよう。するわきゃないか……なんかそれも腹立つし……ていうか、私ってはめられた?
明日は春一番が吹くらしい。
でも、すでに春一番は私に訪れているらしい。
『Albums』終了です。
次回から高校生になります。