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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Albums
37/168

03.彼女だけのアルバム

 重いまぶたを上げると、司会はかげってぼんやり薄暗くて。

 少し、大人の香りがする。甘くて少しスパイシーな香水か、百貨店の化粧品売場のにおいが、鼻をくすぐる。


「起きた?」


 私は、ゆっくりと頭をもたげる。


「おはよう」


 びくっ。

 その声は、だれっすか。その人は当然青ジャージではなく、見慣れぬ淡いベージュのコート。どことなく清楚で『月下美人』という言葉がぽうっと、浮かび上がる。

 さて、冷静に周囲を見回す。ここは藤生氏の家だ。

 と、久瀬くんが頭に手を当てている。朦朧とした様子で無言のまま周囲を見渡している。


「しらかわやなくって、久瀬君。一年ぶりやんなあ」


 見知らぬ女性が少しだるそうに言った。少しハスキーボイスだ。


「……でしたかねえ」


 この人、藤生氏のおかあさんだろうか。

 ミディアムロングの黒髪をすっきりとシルバーのバレッタで束ね、ベージュのジャケット黒のタイトを着こなすキャリア風でキレイな人。見た目はすごく若い。でもしっかりお仕事してそうで、三十代前半くらいに見える。


「はじめまして! 私、天宮はること申します。藤生くんと同じクラスで」

「知っとおよ。一応」


 そうでしたか。


「なんで断りなくあんたたちがここにいるのかも、だいたい想像がつくし」

「すんません」


 久瀬くんがうなだれた。


「アルバム見せに行けって話やったんで」


 ふふ、と藤生氏のおかあさんは鼻をならして笑う。

 彼女は首をまわしてぼきぼき、と肩をならすと、視線をテーブルに落とした。アルバムがそこにあった。

 彼女がページをめくるたび、紙が剥がれるような微かな音がする。久瀬くんは不安な面持ちで、それでも愛想笑いを表に出すよう務めながら、様子を眺めている。

 こたつテーブルにはほかに二つ、ティーカップが置いてあった。いつの間にか淹れてくれたのかな。久瀬くんがそれを手に取り、私も続いた。アールグレイの香りが意識を取り戻させてくれる。


「勝手に見せてもらっとおよ」


 彼女は卒業アルバムを眺めながら抑揚なく言った。


「あ、はい」

「これが久瀬くんで、これ天宮さんで……これが皆やね」

「えっ」

「ええっ」


 久瀬くんと私、声を上げたのはほぼ同時だった。

 横からアルバムを見せてもらう。

 クラス集合写真。

 三年五組。

 真ん中にダンヒル(仮)のスーツの、下崎。隣に座る私。女子の一番上段外端に、かのん。一段目の一番外側に久瀬くん。最上段の真ん中に……。


「藤生君」

「ふじ、し」


 声にならない私の声。


「いい顔しとおね。ふうん」


 彼女の目が細くなる。

 愛おしそうに眺める、その横顔。

 きれいな人だ。私は目頭が熱くなった。

 藤生氏は私たちの大事なトモダチだけど、このひとにとっては、自分の子どもだ。しかも、たったひとりの子どもだ。

 私は藤生氏にお別れを言ったけど、この人はどうだったんだろう。

 彼女は最後のページにたどり着くと、もう一度三年五組のクラス写真のページを開いた。

 藤生氏の姿が、唯一残るページだ。

 しばらく眺めているうち、彼女はまぶたを伏せた。

 そして別れを惜しむように、ゆっくり、アルバムを閉じた。


「これ、ほんまは久瀬くんのやろ」

「そうです」

「ありがと。返すわね」


 藤生氏・母は緩慢な動きで、久瀬くんに差し出す。

 久瀬くんが受け取ろうとする。と、彼女はアルバムを持つ手を引いて。

 フェイントかまされた形で久瀬くんの手は空を切った。


「久瀬くん」

「あ、えーと」

「皆から預かった鍵、返して」




  *  *  *




 東谷公園はところどころ、桜のつぼみが芽ぶいていた。

 記録的な暖かさで、関東では観測史上最も早く桜が咲いたと報道されている。

 関西の開花は宣言されていない。おとうさんの情報だと三宮じゃちらほらと、つぼみはほころんでいるらしい。山間の盆地にある苅野は三宮に比べて数度ほど気温が下回る。少しだけ春の訪れは遅い。

 ベンチに腰掛ける人は少ない。

 まだ花見には早いからか、お昼どきだからか。

 そんな中、久瀬くんと私は満開の早咲きの樹を見つけて、ベンチを陣取り一足早い花見デートと洒落込んでみた。コンビニのプチオムライスに中国緑茶はひとり一本。チープな花見弁当だわね。


「では天宮さん、改めましてご卒業おめでとうごさいます」

「そちらこそ、おめでとうございます」


 ペットボトルで乾杯。

 ぽこん、と気の抜けるような音がした。


「しかし、踊らされたな」

「えっと?」


 足を組み直しながら久瀬くんは言った。


「いいダシにされたんやん、俺ら。たまらんわ」

「そんな怒らんでも」

「怒ってへんよ。たださ」

「ただ?」

「愛人、なり損ねた」

「そもそも絶望的しょ」

「やっぱりそうすか? 僕も内心だめかもと思ってた」


 私はほっとした。オチをつけるくらいなら怒ってない。

 安堵しつつ、いま一度久瀬くんのアルバムを開いてみた。

 私はまた、肩を落とした。


「やっぱり、ないかあ」


 藤生氏のアパートを出たあと、道々でページをくってみた。

 けれど、あの写真ではなかった。

 三年五組のクラス写真に、やはり藤生氏の姿は、ない。


「サービス心のカケラもないヤツや」

「やっぱり怒っとおし」


 今度の彼は無言だった。

 その視線の先には芽衣川。水面が太陽に反射し、きらきらと光る。

 また、私は不安になる。


「天宮さん」

「あいっ」


 久瀬くんは視線を、右手に握るペットボトルに落とす。


「第二ボタン、くれへん?」

「え?」


 まさか久瀬くんが……。

 いやいや。そんな柄ではあるまい。彼はボタンに込める告白を福袋に殺到するオバチャンに例えるような人間である。なにか考えがあるのだろう。

 よく分からないけど。

 うつむいて、第二ボタンをつかみ、引っ張る。

 ちぎれない。

 いや、決して緊張してるわけじゃなく。縫製が完璧だから、なかなかとれないのである。きっとそうに違いない。

 わざとらしく、久瀬くんはため息をつく。


「貸してみ」

「任せた」


 ブレザーを脱いで、渡す。

 下に着ているのはブラウスとベストなんだが、意外に肌寒い。寒いから、プチオムライスを一気に食べてしまったりして。

 ブレザーを返してもらうと、急いで袖を通した。


「さてと」


 久瀬くんは空になったプチオムライスの容器をコンビニ袋に片づけに、ゴミ箱へ歩いていった。

 いや、そうじゃないらしい。ゴミ箱には通りがかりついでで、そのまま川の方へ向かう。

 私も急いで立ち上がって、ついていった。

 上流へと歩く。

 その先には、噴水がある。

 噴水。

 苅野『MAGIFARM』結界第七のポイント。


「久瀬くん! それっ……」


 私がやると言う前に、第二ボタンは晴れ上がった空を横切った。

 描いた放物線のその先には、川のせせらぎ。水の囁きにかき消され、ボタンは音もなく姿を消してしまう。


「……自分で『渡す』のに」

「それやったら、自分で気づきぃさ」


 辛口批評だ。

 でも確かに私、気づかなかった。結界を通して藤生氏に受け取ってもらおうだなんて。藤生氏にください、って言えないしね。兎さんの勇気だけじゃ、キモチは伝わらない。

 自分がのほほんとできているのも、久瀬くんが色々気を遣ってくれたからだ。

 四月からは別々の高校に通う。

 なかなか気軽に話せない。メールもなんか遠慮してしまってるし。

 感謝は、いまのうちに伝えておかなくては。


「ありがとう」


 その一言から次なることばは自然と紡ぎ出た。


「私は私でがんばるよ。でも、これからも藤生氏のことでなんかあったら、教えてください」

「え? はあ……うん」


 久瀬くんは、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていた。

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