02.クラス写真を撮ろう
「……あ……みや……」
遠い声。
脳裏に浮かぶ、白い光。
フラッシュバックする、教室の白い壁。独特の机のにおい。
「起きろ」
私は、ゆっくりと頭をもたげる。
「よう寝てたな」
びくっ。
その声は、担任・下崎。その姿は定番の青ジャージではなく、見慣れぬスーツスタイルだ。しかも彼いわく『一張羅のダンヒルや』とのこと。『豚に真珠』という格言が頭をよぎる。
さて、冷静に周囲を見回す。クラス全員静かに席に着いている。声は当然、教室の隅まで届いているだろう。居眠りをクラス中に公表せんでもええやん、とすねた気分になる。
と、久瀬くんが教室に入ってきた。
「いま、三組だそうです」
「そうか。全員、廊下に並べよお」
下崎の呼びかけに、みなぞろぞろと教室を出た。
ナンだ?
みんな素直に、とくに女子なんて我先に教室を出ていっている。
「何て?」
久瀬くんは教卓にはりついてクラスの連中に道を譲っている。そんな生徒副会長・久瀬のブレザーの袖を、私はむんずとつかんだ。彼は不審の目を向けながら、
「クラス写真撮るんやん。ほら、卒業アルバム用の集合写真」
そうでしたでしょうか。本日の記憶が全くないんですけど。
教室からほぼ空になってなお、私は惚けて突っ立っていた。状況が把握できていない。
かのんが、私を派手にゆすって言う。
「はるちゃん、起きて。はよ行こ」
「寝とったんか」
久瀬くんがため息をついた。
「さてもさても。もう一名寝てるヤツおるし。起きろって」
むくり、と教室の隅で男子が上体をあげた。すぐ、ぎぎいと椅子が音をたてる。彼はしばし頭をかくと、不機嫌そうな面持ちでふらふらと近づいてくる。
彼・藤生氏は私を指さした。
「寝てへん、いっしょにすな」
「失敬なっ」
即座に私も逆襲する。
すると、藤生氏が近づいてきた。
身構える間もなく、すうっと、私の頭に手を添える。
「……え」
「自分、ええカンジ」
あわわ、と声にならない私の声。
「寝グセ」
「!?」
私はあわてて両手で頭を抱え込む。
脳みそが沸き立ってくるのがわかる。
「真っ赤やぞ」
「のあう」
人語ならざる声を発しつつ、私は脱兎の如く逃げ出した。
どこへ。
トイレだ。
しかし女子トイレに駆け込んだ瞬間、私は「うぐ」と失意の声をあげた。
みんな考えることは同じだ。できるだけ整った自分を、写真に収めてもらいたい。鏡の前は人だかり。十人ちかくが鏡面に映る自分の姿の面積を、押し合いへし合い、奪い合い。
今頃気づいた。女子のみなさんがさっさと教室から出ていったのは、このためだったのだ。
私も必死だ。
一瞬、映った自分の頭頂部に寝グセを発見。それは重力の法則に反し、天へ向かい威風堂々はねている。顔はぽーっと紅潮して、湯気が出そうだ。
こんなのが卒業アルバムにおさまってしまったら、恥ずかしいことこの上ないじゃないか。人生の汚点だ。生涯の恥だ。
しかし遠い。鏡まではあまりに遠い。
占拠された鏡の前の強固な陣営を撃破するパワフルな戦闘力を、私は持ち合わせちゃいない。
「はるちゃん」
はっとして、私は頭部から手をはずした。
女子トイレの入り口から顔だけのぞかせているのは、せりちゃんだ。
「か・が・み」
思わず、せりちゃんに飛びついた。せりちゃんの鏡に飛びついた、というほうが正しいか。
「ええの?」
「ええよ。うちのクラス、もう撮り終わったから」
せりちゃんは三組だ。
そのせりちゃんの傍らにいるかのんが「ワックスやよん」。
「地獄に仏。渡りに船。持つべきものはトモダチだ」
「いやあ、持つべきものはカレシやんねえ」
「カレシの一言で、帰ってきちゃうもんねえ」
「愛やよねえ」
「はるちゃんだけに優しいよねえ」
「どこがよ。完全におちょくっとるだけやん」
女子トイレから出てくると、藤生氏と久瀬くんと目が合った。ふたりが同時に皮肉と嘲笑の色濃い笑みをほんの少しの間、浮かべる様子を見て、私は確信する。
あの人たちの共通点、皮肉屋をあらためて見出したり。
「こらあ。早う段にあがれ。次のクラスがあるんやぞ」
下崎が座る場所を確保しつつ、声を上げた。
ぞろぞろと、男女別名前の順に中から詰めていく。私は『あ』なんで、下崎の横だったりする。
写真撮影の極意。
自分の思う以上に、あごを引く。少し上目遣い。両肩を後に引くと、二重あごにならない。背筋を伸ばせば、不自然にはならない。
ばしゅ。
フラッシュの光がまぶたの裏に残る。目、つぶってないかな。
「はーい。もう一枚撮りますー」
もう一度、今度は満を持して。
「はーい」
…………………………。
…………………………。
はーい、からが長いねん!
いつまで待たすねん!
といらつきはじめてすぐ、こういう格言を思い出した。
――短気は損気。
フラッシュに目を閉じてしまった。これぞ一生の不覚。