Ref No.01
暗い部屋の中。
一人の少女がたたずんでいた。
床には円陣。その中には六芒星が描かれている。そして、中央には供物なのだろうか、生命感のない蛙が紅くどす黒い液にまみれ、その身を沈めていた。
少女はただ立っていたのではない。
無限に続くとも思えるような呟きが彼女の口から漏れる。掠れがちなその声は、地を這うように闇に溶け、時として闇を切り裂かんばかりに高みにと昇華していった。
その姿は古代の巫女を彷彿とさせる。
闇は、彼女のために有った。
* * *
携帯から、勇ましい音楽が奏でられる。右目の動きが止まる。
「上主様、音楽お変えになったのですね」
右目はのんきそうに言った。彼は、のしに『未決済』と墨書された紙の束を抱えている。ペーパレス化が執務上での課題だが、このお話には関係がない。
「この曲、思わずダウンロードしてもてん」
藤生氏は少しはにかんで答えるとすぐ、もしもし、と応答していた。
ううむ、聞いたことあるような無いような。と、右目は光の速さで書類に目を通しながら考えている。
(確かに、曲調は覚えがあるのですが)
右目は知恵を司る者だけに、自分の知らぬものへの好奇心は強い。
「ああ……わかった」
藤生氏は忌々しそうに電話を切った。
「どうかなさりましたか」
右目は首をかしげた。
「召還された」
「……え?」
「人間からの魔法陣呼び出しで、呼び出しの際の呪の波動と『魔のもの人事データベース』とのマッチングの結果、おれがヒットしてもうたんやそーな」
「信じられない! 魔王クラスを呼び出すなどとは前代未聞……なんたる呪の持ち主か! 過去数百年はなかったことですぞ!」
右目はもろ手を上げ叫んだ。どれだけ異例であるかを強調しながら。
「おれ庶民やし」
「いえ、そういうことではなく」
右目のツッコミも意に介さず、藤生氏は語気を改め真面目ぶって述べる。
「召還されるのも上級魔の仕事のひとつだ。魔王自ら体験するのも悪くあるまいて」
「それもそうですね」
本心は仕事をサボりたいだけとは、右目は先刻承知である。
だが、遊びたい盛りの少年が強引に主張するへ理屈を、むやみに崩してかかるのはあまりに無情というものだろう。
右目は大人だった。
「では、お気をつけていってらっしゃいませ」
藤生氏は右目の言葉を聞くと、蜃気楼のゆらめきのように姿を隠していった。
ただ、少しばつの悪い表情を漂わせながら、だったが。
* * *
藤生氏が姿を現した場所は、暗い部屋だった。厚い黒いカーテンが閉じらているが、微かにカーテンと壁面の間から光が漏れる。
眼が慣れてくると、藤生氏はそこが学校の視聴覚室ぽい場所だと気づく。 対峙しているのは紺のセーターにひざ上十センチスカートの制服を身につけた少女。顔は可ならず不可ならずといった、ごくごく平凡な印象だ。
「ちわっす」
少女は、突然現れた、だるそ〜な態度の少年に不審の目を向ける。
「なに? あんた」
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーん」
無限なる魔法の技で、少年はハク○ョン大魔王のコスプレに早変わりする。ご丁寧にヒゲがついているのがご愛敬。
ただ、大胆なビール腹までまねする勇気はなかったらしく、結局あまり似ていなかった。
「やっぱ……解剖実習の蛙じゃ、悪魔召還なんてうまくいかないのね」
「待たんかコラ」
尊厳を傷つけられ、普段のシャツにワークズボンのスタイルに戻る藤生氏。
「いちお、結構魔力とかいけてるんやぞ、俺」
「がんばったのに、なんかヤバイ子が出てきて、もー信じらんないっ!」
(聞いてねえな、こいつ)
ため息をつきつつも、藤生氏は賢明である。
とりあえず、さっさと依頼を聞くことが先決だ。と思考を切り替える。
「とにかく姐さん? 呼び出されたからにはできることはするわ。願いはなんやのん」
少女はじっと藤生氏を見返した――案外、見てくれイケメンじゃない?
少女の思考が読みとれる。藤生氏、ちょっと照れる。
「さっき、魔力とか、いけてるって、言ったわよね」
「おう」
「私、彼氏ほしいの」
藤生氏の息が止まった。
少女は、真剣な眼差しを寄せる。
「んなことでいちいち魔人召還すんなや!」
「だって彼氏いない歴一五年なのよ!」
「おれも彼女いない歴一五年や! ケンカ売っとんのか!」
藤生氏、逆ギレである。
「じゃ、ちょうどいいわよねえ」
なにがや! と藤生氏が叫ぶ前に、彼女はかるーく言ってのけた。
「結婚して」
「あ゛?」
藤生氏の脳みそはその言葉の理解を拒絶した。
「出会いの演出センスは最悪だけど顔とか見た目はジャ○系だし、魔力もいけるとか言ってるし……自己申告だけど同い年っぽいし、これって運命じゃない?」
「運命ちゃうゆーに」
「魂、あなたに一生捧げるわよ」
「ううむ」
自分を呼び出すほどの「呪」の使い手の魂、というのは、結構食指が伸びる。さりとて、その代償は少々ヤバイ。
一世代前の上主であれば、適当に結婚でもして味見して、魂をいただくくらいはしたかもしれない。だが藤生皆は、ひねくれてはいるが案外、純真な少年である。
「自分、よく暴走気味とか言われんか?」
「そんなことないわ」
「でもちょっと、結婚っつーのは」
「呼び出した人間のいうこと聞いてくれるんじゃないの?」
「だ、だけど……やっぱできんわ」
「なんでっ!?」
藤生氏は心中、引きまくっているのだが、さりとて良策は思い浮かばず。
(ううっ、しゃあねえの)
彼は最強のカードを切った。
「俺、好きな女おる」
沈黙(藤生氏自身はかなり長く感じたらしい)。そのあと。
「がびーん」
彼女は自ら効果音をつけつつ、ひざから崩れていった。
* * *
「で、結局どうされたのです」
最終的には依頼は果たされなければならない。召還者が「もういい」といっても通用しないのだ。このへん強引なシステムである。藤生氏はこんな面倒なシステムは絶対に再構築してやる、と決意したのだが……それはまだ心に秘していた。
藤生氏は書類に目を通しつつ、かったるそうに答える。「結局は、あやつの究極のタイプを探し出して赤い糸を紡ぎ直したったと。んで、数日後偶然出会ったようにシチュエーション仕組んどいて何度かチャンス作って、あとは自然に任せた。あとは、もつれようが切れようが知らん」
(親切なんだか無責任なんだか)
と右目は思ったが口には出さない。
「ところで上主様。その着メロ、なんという曲なのですか?」
「デビルマンのテーマ」
右目は深くため息をつく。
「なんでそこでため息になるかな」
右目は黙々と手元の資料を調査している。
「確かにオチもなんもないけどや」
藤生氏のいつになく饒舌な言い訳は、しばらく続いた。