19.復活の日
サナリはまだ防御の姿勢をとっていたが、次の攻撃が来ないと気づくや、すぐに背を向け再び扉に手をかけた。
万事休す?
いや、まだなにかできるはず。
「させるもんか!」
私はダッシュした。
体当たり!
サナリは全く想像していなかったのか、避けるすべなく横とびに転げた。
私も勢いあまって転んだけど、すぐ立ち上がって扉の前を占拠した。
「絶対、通さない」
右目さんの儀式が終わるまでは。
無謀って分かってる。けど、腕をばっと横に広げた。通りたくば我が屍を越えて行けい!
サナリがほほ笑みとともに告げる。
「離れなさい。痛いですよ」
ほほ笑みでも氷の微笑だ、凄みに圧倒される。背筋が凍りそう、両手は震えが止まらない。
……いや。
私は輝きながら舞い落ちる氷の細雪を全身に浴び、もう一度、自分に言い聞かせた。
「絶対通さない」
サナリの手がすうっと伸びて、私に近づく。
瞬間、目の前で星がとび散った。視界がぐらりと揺れる。ひざの力が抜け、足元が崩れ落ちたようになった。倒れる……鈍痛が襲う、どこが痛い……頭が痛い。
――やられた。
目前にいるサナリが、ゆるやかに動いた。固まりかけのパソコンの動画みたいに見えた。
「うぉっ」
薄れる意識の中、背後からの声を聞いた……緊張感のない、最大限ひいきめにいえば余分な感情のこもらないその声、覚えている。
なぜか痛みがひいた。足をふんばってふり返るとそこには。
「藤生氏」
「す、すまん。無理にドア開けたら自分おるって思てなくて」
えー、つまり。この頭痛、藤生氏からの攻撃でした。
藤生氏いわく、ドアが開かなくて強引にけり破ってみたら私がいたとのこと。ドアの機能(自動)・特性(横スライド、重そう)の面からツッコミどころ満載だけど。
一方、
「上主様……」
サナリは立ちつくしていた。
藤生氏の横(ななめ下)には右目さんがいる。
「ほう、氷霧ですか……美しいですねえ」
その右目さんはいまだ降りやまぬ霧の風景を観賞し、嘆息した。
藤生氏はなんの感想もなさげに、空に手をかざす。
ふわっと浮くような感じがして、ほかほか暖かくなった。しだいに体のあちこちの痛みも消えていく。すり傷だらけだった足もつるつる。これならミニスカートにサンダルの夏も怖くない。さらに驚いたことに、すり切れて汚れた制服も元どおりきれいになってる。細やかな配慮がありがたいです。
いやいやそれより藤生氏、花瓶がなくても魔法が使えるようになってる。
「藤生くん」
そして今まで倒れてた久瀬くんが、なにもなかったように立ち上がった。そして彼が見せた華麗なジャンプは、ケガはどこへやらって感じだ。
さて、私たちへの治療(?)が終わると藤生氏はサナリの所へ歩んでいった。
しばし呆然としていたサナリだったけど、弾かれたようにひざをついた。
「話、一応聞くけど」
藤生氏の言葉に、はいと素直にサナリは答える。その態度からして藤生氏は今やとんでもなく偉いらしい。
「魔の世界には上主様以外に他に八の王が存在します」
「知ってる」
「彼らの勢力拡張は著しく、我々としましてもそれに対抗せねばなりません。ですから是が非でも、数の上での拡張を……そのために、MagiFarmを一部取り崩し、新たな魔のものをそこに取り込み、我らが配下におさめました。その成果のほどは、契約書を見ていただければ、一目にしてお分かりいただけるはずです」
「契約書の被使用者は」
「それは」
言語に窮するサナリに、藤生氏は冷たい息を吹くように告げた。
「サナリてしとかなしゃあないわな。おれ寝てたし」
「……はい」
「それでおれは何度も襲撃されたっと。まぁそれはええけど」
藤生氏はふと考えてから言い直した。
「いや、ええことないわ。とばっちりの被害者続出やんか」
サナリはさらに低く、頭を下げる。
「じゃ、まとめ。良質のMagiFarmを壊し、人間との調和を破壊し、サバトの時以外許していない人間の感情を食い物にする行為を見逃していた」
藤生氏は私をちらと見て、再びサナリに視線を落とす。
「日下部あおいの魂の争奪戦を扇動したのも、おまえやろ?」
サナリはがっくりと肩を落とした。
「早急に各地のMagiFarmを修復。詮議はそれ終わってからにしとく」
サナリははっと頭を上げ、そしてゆらめくように消えていった。
そして、藤生氏は私たちの方をふり返る。
「天宮さん、白河」
「藤生氏!」
藤生氏はいつものように面倒くさげな態度だったが、どことなく好意的だ。
「さ、藤生氏、帰ろ」
「それなんやけどな」
藤生氏は言いにくそうだ。
私はにこりと笑いかけることで、話をうながす。
「あの……さっきも右目と話してたんやけど、おれ来たばっかやし、サナリの後始末もあるし、いろいろ立て直さなあかんとか、なんかすごいまずいみたいで」
彼は彼なりの仕事がある、ということだ。
それは、彼が本当に必要とされている場所にたどり着いたということ。
さみしいけど……それって、藤生氏にとっていいこと、だよね。
「問題は白河の親父さんやなあ」
藤生氏が頭をかいた。
なんのことかとたずねてみた、その答えによると。藤生氏は事後、サナリへの罰として、魔力を奪って苅野に住まわせることを考え中とのこと。
かたやサナリは久瀬くんの父親と契約している。
「子どもを『左目』にしてサナリに売ることと引き替えに、富と栄誉を得る」
サナリの魔力を奪うと契約は解除される。しかもまずいことに、被契約者が破綻すれば契約者も応分に負担を――う、難しい……つまり、久瀬くんの父親の『富と栄誉』は失われるわけだ。得るものが大きい分、失うものも大きい。
「縁切っても意味なかったんやな」
久瀬くんはため息をついた。
自分が親を嫌いなのではなく、親が自分を嫌っているんだ。そう彼は言ってたっけ。それでもこう、親を思いやれる彼は優しいなあと思う。
そして藤生氏は難しい顔して頭をひねる。どうすればサナリに罰を与えられ、かつ久瀬くんにもいい結果になるのだろう?
「上主さまご自身が契約を継承すればよろしいかと」
右目さんが提案した。
「サナリの所持する権利を上主さまがいったん承継するのです。そうすれば、契約者が拒絶の意思を表明しない限り、契約解除となりません。なにより安心かと存じます」
「めっちゃ簡単そうに聞こえるけど」
「サナリとの合意が必要です」
「ぜったい合意する」
藤生氏は断言し、
「うまくいったらそういう内容の通知を届けるわ」
と久瀬くんに告げた。久瀬くんはにやりと笑う。
「藤生くんのこと、これからご主人様と呼ばせていただくわ」
「やめいボケ」
のどかな光景だった。
「右目さん、藤生氏これから忙しいん?」
右目さんは肩をすくめた。
「いますぐにでも、やらねばならないタスクが山積みです」
「そっか」
私は軽くため息をついた。
「藤生氏! 久瀬くん!」
不意に呼ばれたふたりは私に注目。
「そろそろおいとましましょう」
藤生氏はなんとなくさびしそうな顔で、パーカーのすそをいじっている。
久瀬くんがじゃあな、と藤生氏をひじで小突くと、藤生氏はけりを入れ返そうとした。久瀬くんは急いで私の影に隠れる。
私は……そんな彼らを眺めながら、最後まで残る疑問をあえてぶつけてみることにした。
「藤生氏。藤生氏はいままで十四年苅野に住んできたことを、どう思てる?」
「なかなか悪くないで」
本当? 本心?
藤生氏が教室でひとり座って眠りこけている図。だれもよせつけなかった姿を思い出す。
彼にとっていい思い出だったとは、私にはどうしても思えないんだけど。
「他の人間には重大でもおれにとってはささいなこともあるし、その逆もある」
藤生氏はそっと目をふせた。
そしてゆっくりと、言葉を継ぐ。
「……ふと、一番最初に頭に浮かんできたことが、それがいいことやったなら、悪くはなかったといいことやろ」
藤生氏のいいことって、なんだろう。
疑問だけど、あえて聞かないことにしようと思う。
彼は再び瞳をこちらに向けた。それは彼が見せた、はじめての笑顔だった。
「逆に聞くけどや。白河、おまえ、実はおれんことめっちゃ嫌いやろ」
「ご主人様、ご明察」
白河もとい、久瀬くんは愛想よく笑うと、ふと冷たく藤生氏を見返した。
「あんたの存在に巻き込まれたために、ろくでもない目にあってるし。それに自分、他の連中としゃべるん嫌やったら嫌って、好きなようにやっとったやん。それが普通にみんなと付き合おうとしてるぼくには、むかつくゆうかうらやましいゆうか……てなこと言うてる自分もアホな気するけど」
わかる気がする。
私も、藤生氏が気になったのはそんなアウトローぽいところだったっけ。
私、久瀬くんもそうかもしれないけど、どうしてもみんなに合わせるのがいいことで、大事と思ってる。
でも藤生氏にはささいなこと。そう思いきれることに私はあこがれた。
大事に思うことが少し違うだけだったのに。
「また時間見つけて遊びに来て。グリーンヒル東城山の屋上! おいしいお茶入れるから」
「『東方美人』がええな」
彼は私をまぶしそうな目で見つめていた。
「じゃ、送り届ける。両人、目をつぶって」
* * *
私は先生にたたき起こされた。
授業中、一番前の席で大胆不敵にも居眠りをしていたのだった。
ふと藤生氏の席を見た。そこには別の生徒が座っていて、席順は前に詰まっていた。
藤生氏の名前はクラス名簿になかった。
始業式に撮った<クラス写真購入のお知らせ>が回覧されてきた。藤生氏の顔は、ない。
ファンタジーものの定石通り、だれも藤生氏のことは覚えていないのだろう。
久瀬くんは……休み時間には隣のクラスからやって来た鹿嶋くんと、いつものように話をしている。どうも中学最後の文化祭でライブを開くなんてことを企んでるとか。
「おい久瀬、頼むわ」
青ジャージの担任・下崎が、返却物のプリントを久瀬くんに渡す。
私は彼に声をかけてみた。
「久瀬くん」
「あ、プリント返すん手伝って」
反論する間もなく、ぱさ、と渡されたプリントの束。私はしぶしぶ配りはじめた。
ほどなくほとんど配り終わり、名無しの一枚が残った。男子っぽい字だけどさすがに誰のかは判別つかない。
「これ名無し。男子のやと思うけど、だれのんかわからへん?」
久瀬くんはじっと観察してから、小声で言った。
「消すの忘れたんやろ。もらっとったら?」
私はゆっくり、首を振った。
「いい。証拠隠滅しとこ」
彼はうなずいてプリントを受け取ると、静かに紙を破いていった。
プリントの小片がごみ箱にこぼれ落ちていったとき、窓の向こうで最後の桜吹雪が舞っていた。
お読みいただきありがとうございました。
『MagiFarm』は終わりです。
次章は白河からの視点で『MagiFarm』を語ります。