17.右目と左目
「さて、上主様に対して我々がどのような役割を果たすべきか。それを左目……失礼、久瀬どのはご存じですか?」
長く暗く冷たそうな石だたみの回廊を歩きながら、右目さんは問いかけた。
久瀬くん、ちらっと右目目さんを見おろてから答えていわく。
「知恵と記憶と感情を与えて、そやつを復活させること。やったかな」
「うろ覚えですね。では説明しましょう」
右目さんは明快にまとめてみせた。
まず右目。
彼は「上主様」がこれまでに蓄積してきた知恵と、古い記憶を与える。
そして左目。
こっちは比較的新しい記憶と、感情を与える。
役割をはたす順番は左、右と決めてあるそうだ。前の上主様のお考えだそうで、いきなり古い知識の洪水に直面して混乱しないようにだって。
で、方法というか儀式の進めかた。それぞれが与える気になったら、新しい上主様が目覚めて、どうすればいいかは教えてくれる。ちなみにそのときの上主様は仮に起きてるだけという状態。儀式を終えるまでは、まともに起きていないらしい。ねぼすけだ。
さらに重要なのは、儀式の間、両者ともども穏やかな状態を保つこと。
「安静第一。点滴受けるんと同じか」
「病気ちゃうんやから」
当たらずとも遠からず。つまり、かなり面倒くさそう。
「ところで上主様って、藤生氏のこと」
私がそう口にした瞬間、右目さんが目をくりくりさせて立ち止まった。
「こちらにいらっしゃいますよ」
とんでもなく大きい石の扉だ。観音開きらしき扉にはめこまれた石版には、神話から飛び出したようなツノノはやした幻獣たちが踊ってたり、旧約聖書に記された天使たちがお告げをもたらしていたり、そんな図柄が彫られている。重厚かつ壮麗、神秘的な雰囲気をかもし出した扉を前に、私たちは立ちすくんでいた。手を触れるのがおそれおおい気がして、こんな重そうな扉は動くんかいなと疑問に思い、なにより押すのか引くのかどっちやろ……つらつら考える。
と、扉は音もなく勝手に開いた。
自動ドアでした。
で、開けばそこには……想像どおりの展開か。大きな黒い椅子に座り、黒い机につっぷして居眠りをしているのは藤生氏。服はふつうのネイビーのパーカーにワークズボン。
全然偉そうじゃないし。
久瀬くんがそばに寄って、つっつく。
「学校と変わらへん……プリント配ってー」
「そこ! ネタをやらない」
私がツッコミを入れると、すぐさま右目さんがこの場をしきる。
「さ、早速始めましょうか。久瀬どの、お願いします」
右目さんは外へ出るように私をうながした。右目さんも外へ出る。
「儀式は一対一。邪魔されてはなりません」
「邪魔したら?」
「はじめからやり直し、です。しかも、藤生皆さまの記憶も、こわれてしまいかねません」
それは絶対に無事終わってくれないと!
扉は再び、閉じられた。
「天宮はるこさん」
扉を背にして右目さんと私は並んで立っていた。
その右目さんが目を細めて、私を見上げた。
「上主様があの場に着くことができたのも、あなたのおかげです」
私は右目さんを見下ろした。
「私の?」
「ええ……上主様はサナリの『父親』という幻覚のためにずっと、さまよわれておられた」
「父親っていうのは幻覚なんですか?」
「前の上主様が、とあるMagiFarmでサバトを開かれた折、ちょうど代替えの時期でもありましたので、ひとりの人間の女性を媒体にして、新しい力を得ようとしたことから、話は始まります」
なにやら物々しい話のようだ。私は身を固くする。
「その、あるMagiFarmってのは、苅野のことですか?」
右目さんはうなずいた。
「じゃあ一人の女性って藤生氏のおかあさんで、その人を媒介にして生まれた上主様が藤生氏」
「ええ。一見人間のようですが、魔法を簡単に使われるところをあなたも見たと思います。自然に人間として育てば、ある日自然に目覚める……本来はそうなるはずでした」
右目さんは首をかしげてから再び続けた。
「サナリは、人間世界に散らばるMagiFarmの管理者です。また、上主様の成長を見守る役目もあります。しかし、サナリはその役目を利用し、上主様と上主様の母なる女性を誤った道へと導き、彼の意のままになるように操ったのです」
「サナリが藤生氏と藤生氏のおかあさんに、魔のものの子供であると伝えた。魔のものの父親がいるって」
右目さんはその通りです、と答えた。
「でも、それやったら結局ここに来るんやし、それはそれで良いのでは?」
「いいえ。それでは『父親』という幻覚を永遠に探し続けることになる……サナリの<無限階段>の魔法の籠に入りこんてしまわれたら、もうどうしようもありません。サナリの思うがままだったのです。上主様がいらっしゃろうとするのを久瀬どのが引き留めてくれていたようで、本当に助かりました」
そういえば久瀬くん、藤生氏に呪をたくさん貯めてから魔の世界に行くように、アドバイスしてたっけ。
単に止めたのか、深慮遠謀なのかはわかんないけど。
だが、私はなお疑問である。
「でも実際は……今回、藤生氏は『父親』を探しに来たのに、無限階段にはまらなかったけど」
「それはあなたのお陰なのですよ、天宮はるこさん」
右目さんはにっこり笑った。
「私の?」
「上主様は『父親』を探しにいらっしゃったのではなく、あなたを守るための力を得に、ここにいらっしゃったのです。ですから自然と、本来の上主様となるためのこの部屋にたどり着いたわけです」
守る力……。当事者としては感動したいところだが……なんか、こっ恥ずかしい。