04.軽い話と重い話〔1〕
「はるちゃん、ありがと」
スーパーのレジうちバイトを上がった夜二十時。
ちょうどタイムスタンプを押していたところだった。
ゆずちゃんはいつもの控えめな笑顔で私を待っていた。北英高の制服にコート姿で、帰りじたくは終わっていた。
待たせている自覚はある。
でも聞きたくてウズウズしてたのも事実だ。
「昨日、鹿嶋くんから聞いてんけど、バイトの申請うまくいったん」
彼女は少し苦笑いした。
うまくいってないんかい。にわかに鹿嶋くん攻撃計画を練ろうと考える。
「今度、鹿嶋くんしばいとくわ。あんだけフォローしたって自慢しときながら」
「違う違う、はるちゃん誤解やから」ゆずちゃんはあわてて私に近寄って、「鹿嶋くんはもたもたしてるわたしを連れてって、先に担任の先生に声をかけてくれて。話しやすい雰囲気もつくってくれて。久瀬くんはいろんなこと教えてくれたりして」
「のわりに、うまくいかなかったっぽい反応やったけど」
「先生がバイトより先に奨学金の申請をしろって」
奨学金――私にはなじみのない単語だった。
駄弁りながらようやく帰る用意を整え、二人そろってバス停へ向かう。
おたがい妙齢の女子だ。身を守るための相互扶助行動である。ゆずちゃんのバス乗車を見送ったあと、私は自転車をかっとばす段取りである。
スーパーの電飾を頼りに時刻表を見た。
あと十九分後。
バスは出たところだ。もっとも、次のバスの時刻は見るまでもなく覚えていた。帰り準備をしながらほぼ後のバスだな、とあきらめていたのが正解だ。ゆずちゃんは私を待たずに帰れば前のバスに乗れたが、私の帰りを待つことを選んだ。
それは話がしたいってことかも。
なんて良いように解釈してみる。
そもそもただ待っているだけでは冷えてたまらない。ベンチはあるけど座ればおしりが冷たすぎる。私は自転車を横に止めてるし。立ったまま気をまぎらわすには、おしゃべりが最善の手だ。
で、『奨学金』って、いくらもらえるの。
白い息を吐いて下世話な質問したら、ゆずちゃんはかばんからノート、いやノート大の青い冊子を取り出した。表紙には飾り気なくひどく事務的に、
『苅野市奨学金制度のしおり』
と、無愛想な明朝体で印刷されていた。
借りたその冊子のページをめくる。手袋をはめたままだから、繰りかたがぎこちない。
はじめの方の数字に目がいった。
奨学金。給付金額、月、八千五百円。
お小遣いの二か月分もない。一週間バイトすれば手にできる額。携帯電話の月の支払いをして、髪をカットしにいくと消えてしまう。すぐ消えてしまうほどの金額だ。
冊子にはほかに市民であることが条件とか成績の基準とか、つらつらと書いてある。
年収、三八〇万円。それが給付資格が与えられる『所得水準』だった。それがどの程度なのかもよく分からない。天宮家ってどれくらいの年収なんだろう。意識したことなかった。
文字の羅列を追いかけると、流れ図が載っていた。
奨学金の申請手続きを説明したページらしい。ややこしそう、とひと目で思った。
「申請にかかる時間をバイトにあてた方が楽な気が」
「でも担任の勧めやもん。断ってバイト認めてもらえへんのも困るし」
「めんどくさそうな先生でまた不幸やね」
「うん。見ためキモいし机汚いし」
ゆずちゃんは苦笑して言った。
それは彼女のクセだ。ことばの上では否定しない。けれど苦笑い気味の反応は、意見に同意しないサインだ。つまり「さほどめんどくさくもない」ということ。
「バイト認めるのと奨学金の申請、セットなんやって。久瀬くんも同じやったって」
「久瀬くんも奨学金もらってるん」
超高級ねじまき腕時計をお祝いにする父親がいるのに。
それってまさか不正受給……でもないか。久瀬くんのお母さん、息子を放ったらかしで家帰ってこないって当の息子が嘆いてたし。いろいろ苦労してるみたいだから。
「はるちゃん知らんかったん」
「バイトしてるんは知ってたけど」
そうなんだ、とゆずちゃんはひとり納得していた。
「その、久瀬くんが言うには、苅野市のは返還義務がないから絶対、申請すべきやって。で、県の募集が来年春すぎやから来年そっちを応募すればいいって」
「そのアドバイス、さすが久瀬くんやわ」
「すごい詳しくてびっくりしたわ。先生は県のほうのは教えてくれんかったのに」
「そのセンセぜんぜんダメやん」
「申請が六月でだいぶ先やから、説明省いたんかも」
「そっか、お父さんがお元気になったら、いらん話やもんね」
「ってなんでわたし、担任のフォローしてるんやろ」
「ほんまや」
私たちはけらけら笑った。