03.寒昴〔2〕
さて、一階の渡り廊下裏に到着。
ここはあまり人目が気にならない。グッドチョイスな場所だ。
さて井沢さんである。
「用件は相談?」
こくりとうなずいた。正解だ。
けど彼女はしばし口ごもる。伏目がちに視線はさ迷い、両手をぎゅっとにぎりしめて。この期におよんでなお二の足を踏んでいる、ってとこだ。
人に頼るのに慣れてない。それがよく分かる。
こっちから話をふったほうがよさげだな。
「井沢さん、まず質問したいこと、ある?」
「うん」
「なに聞きたい?」
ようやく彼女はこっちを見た。
「えっと。久瀬君が家の事情でバイト、しとうよね」
「してる」
「それ、どうすればいいか、聞きたくて」
「バイトの許可のとりかたのこと」
井沢さんはうなずいた。
やっぱり告白じゃなかった。
そして直接、久瀬と話させたほうが楽だった、とも後悔。
この学校は一応バイト禁止だ。やっても処罰はないけど、補講に引っかかると面倒なことになる。召集率がアホみたいに高いうえ、課外なのにきっちり出欠を取り、欠席には理由が必要だからだ。
しかしお墨付きさえあれば別途、個別指導になる。そのお墨付きのひとつが『許可』ってわけだ。
うちの学校って、県立の準進学校って立ち位置でいろいろ必死。だからホントやっかい。まあ、積極的な生徒には前向きに、とことん付き合うのがこの学校のいいところでもある。
「許可理由ねえ、個人マターみたい」
「人それぞれ、ってことなん」
「金稼ぎたい事情なんてみんな違うっしょ。とはいえ、井沢さん先生ウケええやろし、相談したら大丈夫ちゃうかな」
「相談って」
「担任に経済的事情、懐具合の苦境ぶりを訴えてみることからかなあ。切々と、涙ながらに」
彼女は頭をかしげた。
先生とやりあうこと自体、抵抗があるのだいと思う。かといって首を突っ込んでいい話やないし、がんばれと突き放そう……とするも妙に心細そうな顔をされるとなあ。
何か手を貸さねばって気になるや。
「今から行く?」
「……今から?」
「おれ斬りこみ隊長やるし」
彼女は無言で迷っている。
「いらん遠慮は体に毒」
井沢さんは少し笑って、お願いと答えた。
あ、笑うと可愛いな。そんなことを思ってるうち、手間かけるのも悪くない気がしてきた。
英語科室は南校舎二階の真ん中にある。
久瀬とおれとは常連の訪問者だ。担任からの頼まれごとがその主な理由。そんなわけで遠慮なしにずかずか入っていく。
井沢さんは居心地悪そうに後ろをついてきた。
「伊庭先生」
入口すぐのデスクで、恐るべきブラインドタッチでキーボードになにやら打ち込んでいるメガネ野郎。
それが担任の伊庭だ。
一般的評価はというと――まず、細っこいもやしっ子だ。体の線も細くて、顔も細くて、不健康そうな色白。大きいのは色の入ったメガネだけ。ぜんぜん合ってねえよ。そんなアンバランスがすべてを壊すという生きた標本は、女子生徒にキモがられている。ただ、授業中の雑談はダントツに面白いんで、男子生徒からは『いばちゃん』呼ばわりでイジられている。
でもおれの感想は逆だ。なんでみんなそんな印象なんだろな……こいつイヤミなくらい童顔美少女やん。男だけど。別の意味で女子のキモい、て意見には同感だと思う。あと雑談の幅広さは認める。
その伊庭がパソコンソフトのウインドウを閉じると、首をひねってから答える。
「ライブのチケットは買わん」
いきなりそっちかよ。
井沢さんにどんな押売り野郎かと思われそう。
「教育者が嘘ついてええのかな」
「というと」
「久瀬の総合三位以内、おれの現国、古文十位以内、どっちもキープすれば買うて約束」
「いやそれは。とにかく今回はムリ」
「教育者として、理由を五〇字以内で述べよ」
「『先月下旬に東京ディ○ニーリゾートに行ってミラコ○タに一泊の豪遊の結果、今月の財政が困窮しているため。』」
即答で五〇字以内になってるし。
「み・や・げ! み・や・げ!」
「なんできみにおみやげ要求されなならん」
「生徒にみやげさえ買えねー貧民が分に合わない贅沢を」
「ほっといてくれ」
「んで、実は先生、相談が」
「チケットは」
「チケットの件はええから。井沢さんの話を聞けと」
「え、井沢さん?」
伊庭は井沢さんの存在に気づいていなかった。雰囲気を軽くするつもりで、でしゃばりすぎたかもしれない。
彼女は礼儀正しく軽く一礼した。
おれは彼女の後ろへ下がって、背中を押す。
「バイト申請の話なんやけど。ほら、久瀬に説明してたやん。家庭の事情があればええって話」
「バイト。井沢さん、ご家庭でなにか」
彼女は少しおれを振り返った。が、自分の出る幕じゃない。手をちらちら振って立ち去った。
時計を見た。予鈴十五分前。
教室に戻ると、久瀬が携帯電話を確認していた。
「今日サナリOKらしいけど、音あわせ来る?」
サーニャさんのサヨナラライブは再来週。
音あわせ、当然大事だ。
けどおれは天宮さんとの約束を優先するんだ。だって女の子第一主義ですから。
「悪い。用事あるわ」
ほんと悪いね、久瀬。
だしぬいて家、呼んじゃったよ。
「そんなら明後日な。放課後大丈夫か」
「おまえバイトやなかったっけ」
「今週は店長都合で休み」
「なら明後日でBスタ予約入れといてよ」
「ラジャー」
あっぶねー。待ち合わせ、東谷公園にしといてよかった。あそこなら久瀬とひょっこり出くわしはしないだろ。