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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Wednesday's child
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03.寒昴〔1〕 

鹿嶋視点。今さら補足しますと1月下旬です。

 遠望にうつらうつらと寒昴(かんすばる) 



  *  *  * 



 月の女神と夜闇の女王さながらか。

 ファンタジーな世界観を溶け込ませた、近未来的映画の主演ヒロインのようだった。

 湖面の映し月を石畳から眺めているその立ち姿は、詩的ともいえようか。

 月光を浴びた頬は青白く輝き、そして物憂げな暗い瞳は、星……冷たい(すばる)の輝きを宿している。まるで繊細で壊れやすい硝子細工が人のかたちをとったかのような奇跡だ。

 と、ここまで綴った数々の印象も、黒ずくめの衣装が裏切りを見せていた。

 でもそれはいい意味での裏切りで、スマートなジャケットとスキーニがしなやかな身体を強調している。戦うハリウッドヒロインを想起させ、クールビューティと冠したい。

 おれは必死で呼びかける。


「○○」


 知っているのに呼べないその名前。

 ひとひらの言の葉でさえない、空虚な音が遠く木霊する。

 諦めが心を占めると、見える光景は静謐に満ちていった。まるでロマン派の絵画のような、幻想と寂寞とをたたえながら。

 やがて彼女は口を開いて――。


「タク」

「ひいぃ! 恐怖の女王ッ!」


 チュン、チュン。


 と、スズメの声が聞こえる。

 うれしはずかし朝チュン……なわけはない。

 目の前には嫌っつーほど見慣れたパソコンがある。


「あ、ああぁー!」


 がばりと腹筋だけで起き上がり、画面にかじりついた。瞬時で状況は理解した。徹夜覚悟の作業中にもかかわらず、画像処理中に不覚にも昏倒したのだ。となれば恐れることはただひとつ、まさかその徹夜作業中のデータ、ふっ飛んでへんやろな。……な?

 って誰に問いかけてるんだおれ。


「きっちり仕上がってるやん」

「ひいぃ!」


 恐怖の女王、再臨。


「なんつぅ声出しとんの……」


 わが姉・アズサだ。

 頭上からおれの顔を軽侮のまなざしで一瞥。マウスをくりくり動かしつつ、成果をチェックしていた。

 呆然としながら一緒に見たところ、どうやらデータは無事らしい。

 背もたれに身を委ねた。馴染んだアーロンチェアは優しくおれを出迎える。


「はぁあー」


 深く息を吐いて、リラックス。

 ぐったり。精神的にもまいった。

 理由は明白、昨晩からのやっつけ仕事だ。同人誌二十五ページのデジタル処理。心ときめくサービスシーンが未だにまぶたにちらついている。しかし今回の展開そのものは、ひねりもなくつまらんかった。面白けりゃ寝ることなくはかどったはずだぞ。なあ、アズサ。


「よかった。助かったわタク」


 アズサの差し出すバナナを拒否する。

 食い気より眠気。あわよくば色気。


「一時間後、起こして」

「ジョギングはサボるんやね」

「寝る……ギリギリまで……」


 おれの意識は再び、暗転した。



  *  *  *



「あーくそ。おまえが死ねとか言いたい」

「荒れとうなあ、久瀬」


 わが相棒・久瀬は明らかにむかつく、といった顔をしていた。

 最近、こいつはモロに感情が顔に出るようになった。特にマイナスの弱さを。

 何にも動じないやつだった。遥か遠い高みからすべてを俯瞰するような、同い年とは思えないやつだった。喜怒哀楽の『楽』しか見たことがなかった。感情がないんじゃないかと、時々怖くさえ思った。

 それが変わった。

 なにかが、なんとなく。その程度だが。

 けれど変わった時期は明確にラインを引ける。天宮さんが言う『船旅して朝帰ってきた』それからだと思う。


「鹿嶋ぁ。リフが泥臭すぎ、もっとポップに、てどんな感じかわかる?」

「音を引きすぎなんやと思う」

「で流しめに弾いた結果が、橘先輩の『おまえいっぺん死ね』やけど」

「おまえも橘先輩も極端やのう、似たもの同士、仲良うやってくれや」


 そんなアドバイスですらない台詞をささげて音楽雑誌に再び目を落とす。勝手にやってろ。

 が、久瀬はちょいとおれの袖口をつまんで、上目遣い。これが女の子だったら、女の子だったらどれほど心踊ることであろうか!


「かしまくん」

「なに?」

「僕は常々言いたかってんけど」

「……なに?」

「いっぺん首絞めたい」

「心中ならごめん、他あたって」

「うわぁ、つれないにもほどが」

「あの」すると突然女子の声、「ちょっと、ええ、かな」


 眺めていた音楽雑誌から目を離し、彼女を見た。

 井沢さん。

 クラスでは目立たないおとなしい子だ。成績は中の上。それ以外に特筆すべき情報はない。

 久瀬をちらちら見ている。

 でも話しにくそう。どっちかってーとおれが受けた方がベターな感じ。


「外、出たほうがええ?」


 小声で尋ねた。

 彼女はうなずいた。

 ふと相方を見やり、ニンマリ笑ってみせる。そしてこっそり耳打ちだ。


「く・ぜ! 告白イベント、来たよ!」

「ねーよ」


 冷たいの通り越して残酷無比だ。

 はなから否定形て。

 毎度、間に入って断る身になれやアホ。

 でも冷静に冷静に。

 クールに立ち上がってふらり悠々と教室を出る。 

 井沢さんは少しばかり離れて、おれのあとをついて来る。

 目ざすは一階の渡り廊下裏。

 どこへ行くのか尋ねることなく、井沢さんはついて来る。

 ひたすら無言だ。あまり無駄にしゃべらん方が良さげな空気だったからだ。

 ただ、無言だと余計いろいろ考えたくなるのが道理ってもので、教室出る間際の久瀬の顔をもう一度思い出した。

 久瀬の「ねーよ」って否定には、ふたつの意味がある。


 ・「そんなわけないだろう」

 ・「だとしても無理だから」


 どっちにしても拒否だ。

 いずれでも対処方法は、もはや心得たものだった。

 でも今回は……告白じゃないと思う。自分で茶化しときながら、違うかもと思っていた。でも確信が持てないし、いつもどおり間に入ることにしたわけだが。

 たぶん、相談だろうな。

 アズサの友人連中も内気な人たちが多くて、彼女たちが弟くんのおれに頼みごとをする時、最初はたいがいこんな感じになる。気軽に言ってくれりゃええのにどこか申し訳なさそうで、なんだか途方にくれた表情になる。頼まれる方としても重い。

 そんな重苦しさを井沢さんの雰囲気からは感じるのだ。

 まあ、アホなおれなりに、あれこれ考えながら、ひたひたと無言で廊下を歩いていたわけだ。


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