01.放課後、お宅拝見〔1〕
今日は放課後、用事がある。
なんか今からどきどきする。
思えば人生はじめてだ。男子の家へひとりで行くのって。
帰りのHRが終わるや私は自転車置き場にダッシュ。かばんをカゴに投げ入れ、スタンドをけり上げ、
「おっしゃあ!」
なんて妙な気合いを入れてから、いざ進め、とこぎ出した。
校門まで人はちらほらいて、多少は慎重に進まねばならない。しかし序盤の徐行区間を抜けてやがて校門を出ると、束縛から解放されたがごとく、太ももに気力を集中させた。
その気合いの入れように、
『与一、鏑を取ってつがひ、よっぴいでひゃうど放つ。』
なんて平家物語のフレーズを思い出す。
『よっぴいでひゃうど』。言い回しがすごく好き。琵琶法師のトークセンスは七百年の時を越え、私の心をわしづかみだ。
話がそれた。
要するに私は矢のように飛び出してったのだった。
心拍数が上がっている。
自転車とドキドキのせいだ。
これよりはじめて男子の自宅に私個人・ひとりでお邪魔する。だが、気持ちの準備はいまだできていなかった。私の心臓はなんでこんなに過剰反応してるんだろう。数日まえ来たお誘いメールにはどうとも思わなかったのに。
赤信号。止まる。
きっかけは世界史の授業中。
パラパラと資料集をめくって、ふと手が止まった。
ムガル帝国の勃興のページだ。
同時代にスミタカさまや船のみんなは生きていた――感慨深げに図表をながめてたら、ふと鹿嶋久瀬の顔をセットで思いだした。
(そういや家にいくって、彼らんちどっちも知らんな)
同じ城山中学校区内のはずだが。
(いや、そもそもやね)
そして今にいたる。
この身もだえしそうな気分を今日はずっとひきずっている。実に不安だ。このまま面と向かったら、どんなリアクションしてしまうやら。
だから私は全速力で自転車をこぐ。
こいでこいで、このモヤモヤを汗とともにふっ飛ばすのだ。
信号が青になる。ペダルを思いっきりふみこんだ。
待ち合わせ場所は、東谷公園の南入口付近。
東谷公園までの直線道路をかっ飛ばしてくと、やがてこんもりとした公園の緑が見えてきた。
いよいよラストスパート。全力で、こぐ。
枯れ芝生の石碑がぐいぐい近づく。あれこそ公園入口を示すもの。狙いを定めてチキンレースさながら急ブレーキをかける。
ブレーキの声なき悲鳴が、強い振動となって両腕に伝わる。
自転車のブレーキだけではやばい、人力=足による摩擦をも駆使してストップをかけた。
「……はあ」
太息をつくと、ぐったりハンドルにもたれた。
バクゼンと思う。
(くつのかかと相当すりへったかもなあ)
さて、休憩もそこそこに顔をあげる。
冬枯れの公園にぽつぽつと赤いものが目に入る。ツバキ、だっけ。
目線を右に移すと、入口に一番近いベンチに茶髪男子を発見。苅野北英の制服、メガネの横顔。てっぺんの髪を青いとんぼ玉のゴムで無造作にくくってる。
まさに彼こそはわが待ち人、いや、待たされ人か。
私はあわてて自転車を降りて、走って押して。
「鹿嶋く、お、おま、お待たせ」
息ぎれがひどい。急いだの丸出し。
かたや彼は手にした冊子を閉じ、立ちあがっていわく。
「天宮さん。スピード違反にもほどがある」
私の激走、見られてたか。
「その反応ひどない? 急いで来たのに」
「いやいや遵法精神が第一」
「ジュンポウ精神?」
法律を守る心がけのことらしい。
「ともあれ、急いで来てくれたのな。ありがとう」
あいさつ代わりのツッコミもそこそこに、にっこり笑った待たされ人――鹿嶋くん。相変わらず人よさそうだった。そしてもう一点、相変わらずなのは彼の手中にあるそれだ。
「『フェイクな王子』の新刊」
「昨日発売。天宮さんも読んでるん」
「買ってる」
今日たまたま貸してた四巻、持ってたりするし。
赤枠の表紙に描かれた可愛らしい半身像は実は少年で、内容はショタ嗜好女子御用達である。男子が読んで面白いかは微妙。しかし鹿嶋くんなら愛読してても不思議じゃない。
しかしなにより最初の話題が少女マンガって。
「アスローンええよなあ。めっちゃビューティかっこええ」
「私は相模くんが」
じゃなくって。
「鹿嶋くんは、自転車や、ないの」
と聞く。
まだ息苦しい模様。
「自転車おいてきた。おれんちすぐそこ」
「そうなんや」
鹿嶋くんち、公園の近所なんだ。
彼はベンチに向かって体を曲げた。黒く小さいザックにマンガを押しこんで撤収準備中である。
(黒のザックちっこいな。ほとんど荷物入らんやん)
あまりなじみのない形に興味がわいて、待ちながらザックを観察した。
ひょうたんっぽい細長フォルム。たて開きのジッパー。スリムでスタイリッシュなザックだ。かっこいいな。でも、荷物を少なくまとめられない私では活用する自信がない。マンガと水筒とさいふ入れて終わりか。無理だ。
なんて余計なことを思いながら、眺めて待っていた。
「じゃ、天宮さん、まいりましょうか」
鹿嶋くんはひょうひょうとしている。時代劇チャンネルで見た水戸のご老公にも負けてない。
深呼吸すると、だいぶ気分も落ち着いた。