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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Farm Works
152/168

03.或る転勤族と其の困惑

 畑仕事の駄賃でとある品々を購入した私は、高揚した気分で家路に着いた。長らく念願の品々、明日の楽しみとしよう。『小さな楽しみ』と人間が呼ぶこの心情、この美味しさを理解したのはごく最近である。神や魔物の成長は無ではない、とは我が持論である。

 さて、エレベータを待つ間、ポストを満たす美的センスの片鱗も見いだせぬチラシをゴミ箱へ。その常なる習慣に流される前、不自然な厚みに気づく。ハガキ――『年賀状』とある。送付人は『藤生美帆』。


「上主さま、の御母堂」


 裏面は定型の挨拶文。

 しかし住所は明らかに虚偽。この住所は、何処だ。

 わが部屋に到着。相変わらず空気が重い。

 青白い顔をした同居人が部屋から顔をのぞかせ、ぼそぼそ何か言っている。


「ああ、ただいま」


 少し空気が軽くなる。

 生まれも育ちも永眠も苅野である同居人に、この住所がどの辺りかを聞いた。同居人はやや考え、私の携帯電話を無言で取り上げた。黙々と携帯電話を押すと、私に押し付ける。

 携帯電話にはウェブの口コミサイトが表示されていた。

 

「これはよくコウと飲む焼き鳥屋だが」


 ハガキと同じ住所が店舗の詳細情報欄に記載されていた。



  *  *



 その焼き鳥屋は今しがた営業を始めたところだ。

 サナリ、と声をかけるのはコウ。苅野に居を構えて以来、何かと貸し借りのある半魔である。私には男装の少女と映るが、本人は男と主張し譲らない。人間の中では私が視認する姿ではないのやもしれない。よって三人称は『彼』としている。

 彼とここで会うのは、いつもコンビニエンスストアでのアルバイトに入る四十五分前。彼の方は仕事帰りらしいが、週に一度遭遇すれば良い方で、残業が常態化しているらしい。今日も三十分以内で会話は終了する予定だ。

 彼は返事を待たず横に座った。メニューを見ず注文、いつものノンアルコール・カクテルである。


「サナリ、お願い」彼はフラッシュメモリを取り出し、「浮遊魂を三つ回収してんけど、ひとつ気になるんで、解析してくんね」

「さしたる呪量でもなし、その必要が?」

「しょぼいし相手する価値ないてか。人の苦労も知らんでようも」

「狩りが苦手な狩猟犬くん、愛玩犬でも目指すかな」


 私の皮肉に彼は笑って返答する。


「まじむかつくんやけど」

「だが了解した」


 私はフラッシュメモリを受け取った。


「素直に受け取ってバイト行ってくれんかな。めんどくさいやつ」

「私の楽しみを否定するな」


 初対面より半年、もう繕わない間柄である。特にコウはもはや遠慮のかけらもない。

 そんな和やかな歓談中、私の名を呼ぶ怖い物知らずが現れる。


「美帆さま」


 上主さまの母御前である。

 美帆さまとコウは初対面。美帆さまはコウに会話への割りこみをわび、コウは謙譲を旨とする折り目正しい青年に豹変する。両者とも猫をかぶるのも大概にしていただきたい。

 さて、美帆さまである。


「サナリ、皆は元気ね」

「はい」

「でしょうね。この年賀状、皆からの伝言ゲームのようやから」


 ありきたりな年賀絵の賀状。そこに「さなりによろしく」と筆書されている。何をよろしく伝えようとしてるのか。これは真のメッセージを解き明かすゲームであろうか。

 真意を推し図る中、コウが突如笑い出す。


「上主さまってあんたのいきつけの焼鳥屋まで掌握しとんの。怖いわー。とゆうより、ヒマなん?」

「情報収集が役目の側近の仕業だろうが」


 頭脳肥大の右目に違いない。悪趣味な。


「切手シートは当たっとうかな」

「なんだそれは」

「知らん? 年賀状のお年玉くじ」


 ……お年玉くじ?

 表面を見る。下部に数字の羅列がある。

 これだろうな。その数字が表現するあらゆる可能性を探ろうと試み、ウェブという人の構想力が生んだツールを最大限に利用する。それは何処かの国の郵便番号であったり、Google mapの地点情報であったりもするのだが。

 六桁数字同士の組み合わせで一番考えやすいものは、緯度と経度だろう。その思い付きが確信に変わったのは、その緯度経度が指す地点が、私には身に覚えのある場所だったことだ。冬、あの山の向こう側に日が沈んでいく様子を眺めて嘆いたことを覚えている。何百年前だろうか。

 だが私は今、落胆している。自分でも信じられないほどだ。


「転勤のようです」

「マジで。どこ行くん」

「謹慎解除おめでとう、と言いたいけれど」


 どうしたのそのへこみ具合、と美帆さまが問う。

 私はこのように答える――今日、イ○アで買い揃えたのです。ベーキング用品を。

 中東でもパンやケーキぐらい焼けるでしょうに、とは美帆さまの弁。だが違うのだ。日本ほど良質な材料、味覚豊かな味見役が揃う地はないのだぞ。特に後者は重要だ。

 そう主張すると案の定、美帆さま・コウともに「あほか」と言いたげな反応を示した。



  *  *  *



 今回も既に呪の詳細はデータ化されていた。コウ自身の分析によってだ。


「半意識下で契約が交わされた可能性……きな臭いな」


 コウの潜在能力は高い。

 あまり認めたくないが、分析能力は私よりも優秀だ。

 私への依頼は右目の持つデータベースへの照会。成果を得るには時間が要る。よってもうひとつの課題を解くべく、パソコンに術式を施す。Webカメラを通した右目がディスプレイに映る。


『いかなる無理難題ですかな』

「契約外の半魔を管理代行としたい」

『上主さまとの契約関係がない以上は無理難題でしょう』

「百も承知であるからこその相談だ。高い潜在力、苅野に居住しておりその保全に利害がある。適任ではないか」


 右目はしばらく考えてから答えた。


『先日はある歌劇に振り回されましたが、我らもそれにちなんではいかがでしょう』

「というと」

『Un Giorno di Regno』


 邦題『一日だけの王様』。王様と入れ替わった騎士をめぐるヴェルディの喜劇(オペレッタ)である。


『サナリの名は今、記号以上の意味があります。彼に一時的に与えてしまいましょう』

「かたや私には名を伏せよ、と。右目」

『はい』

「この相談、渡りに船だったろう」


 右目の醜いギョロ目が細くなる。

 やはり次の仕事は楽ではないだろう。別の名で隠密に動けというのだ。


「まあいい。しかし随分積極的だが」

『あなたが珍しく信を置いた者への純粋な興味ですよ』

「信。それは人間、それも善人にふさわしい単語だな」

『不満ですか?』

「実にくだらない」


 サイドバーからウインドウを開く。

 これから作る、ケーキレシピは実に美味そうなものだった。


「だが納得した。不問に伏す代償がそのくだらない好奇心というのなら」

『お任せを』


 webカメラを切断する。

 明朝は川尻夫妻の知人の農園へゆく。今年初のいちご摘みの予定だ。午後からはケーキ作りを楽しむ。作業の駄賃である少量のいちごをのせるつもりだ。同居人が大喜びして部屋も明るくなることだろう。

 そんな実にくだらない、苅野での謹慎生活も残すところあと二ヶ月。

 あれほど終焉を切望しながら、いざ直面するとかくも残念に思うとは。自分でも信じられないでいる。

次回はチョコイベント。

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