15.異界にて
……おはようございます……。
「……んあ!?」
身を起こしてすぐ目に飛び込んだ風景。
そこは『魔女の部屋』だった。
おとぎ話に出てくるような、木枠の窓、濃緑色で重厚そうなベルベットのカーテン、あやしげな用途不明の器具、古びた書物の並ぶ本棚、大きな赤茶けた壷、その口からのぞく薬草(であると信じたい)のたぐい。それらがランプの灯りと暖炉の炎に照らされている、薄暗くて暖かい部屋。
「あかん、まだ寝てる」
ふとんを頭からかぶろうとしたそのとき、
「起きてますよ」
私はふとんから顔を出す。
変な顔が目の前に。目が異様に大きくて鼻がぺしゃんこ、しわしわの顔をして頭の薄い、人間離れした顔。
「おやすみ」
「起きていますって」
ふとんをひっぺがされる。必死の抵抗を試みる私。
「天宮はるこさん、あなた藤生皆様に会いに来たんじゃないんですか」
あ。そうだった。
確か、東谷公園で結界を復活しようとして、サナリに攻撃されそうになって、藤生氏にもらったアクセサリーで魔法陣を作って。
「ここは魔のものの世界ですか」
はい、と変な顔が答える。
背は小学校低学年くらい。マントみたいなものをかぶって魔法使いのような格好をしている。
「なんかすごい部屋ですねえ」
「あなたの反応も、すごいですね。ふつうの人間とは思えない落ち着きぶり」
「んー、なんでもこいって感じ」
いやマジで。藤生氏に会って一年、珍妙不可思議なことへの耐性ができあがりつつある。
「ところで、あなたは魔のものという方でしょうか」
「はい。『右目』と呼んでください」
「右目? おもしろい名前ですね」
「その意味も、そのうちわかるはずです」
魔のものでも話せるやつもいるんだなあ、と感心しながら、私は起きた。
右目さんは人間には食事が必要と、食べ物を用意してくれた。
トーストと紅茶とハムエッグにトマトサラダ。どこから手に入れたんだろうと思いつつも、ありがたくいただくことにした。
右目さんはちょこんと向かい側に座って、手帳をめくる。
「これからの予定なんですが、まず、あなたのお連れさんを捜さなければなりませんな」
「しらか……おっと、久瀬くんのこと?」
「はい」
「行方不明なんですか」
「亜空間転送のエネルギー量が適正でなかったんですな。あなた方の世界の身近な話で例えれば、定員ひとりの乗り物にふたり乗ってしまったため事故が起きてしまった、それで意図しない別空間に転移してしまったのです」
「事故っ!」
恐ろしい単語に思わず身を乗り出した。
「ご心配なく。残留魔力から軌道をトレースすることで居場所はつかめますし、すでに分析は完了しております」
「無事なんですか」
「はい、無事です。生体反応の確認はできています。あとは現地におもむき、救助します。なに、救助といってもあなたの手助けさえあれば、簡単なことです」
「手助け? 私でもできることですか」
右目さんは軽くウインクした。
「万事、おまかせください」
そのとき、私はこの魔のものさんがE.T.に似てるかもと思っていた。
* * *
私はグランドキャニオンに来ている……つもり。
見渡すかぎり赤い崖と細い道が続いているので。まず日本にはなさそうな風景だ。
右目さんの家から徒歩二時間。といっても、そのくらいの時間感覚というだけで、正確な時間はわからない。
「右目さん魔のものなんだから、魔法陣でひとっとびなんてできないんですか」
いいかげん疲れてきたので、グチをたれる。
右目さんは慣れると愛嬌のある目をくりくりさせ、私をふりかえる。全く、疲れてなさそうだ。
「はあ、私そんな大技できませんよ」
「魔法は使えない?」
「使えるのですが、あなたがイメージされているものとは若干違うかもしれませんね」
と、右目さんは少し考えてから続けて説明。
「魔のものと一口にいってもいろんなものがいましてね。私はハイレベルに区分けされるほうですが、そういった物理的な変化をおよぼすような魔法は使えないんですよ」
「じゃ、どういった魔法なら」
「調査分析、探索」
地味だ。
あ、そういやあおいちゃんと話をするのに五感を遠隔にとばしてた。あれも探索系?
聞いてみた。
「まさにおっしゃった術は探索魔法のひとつです。よく思いつきましたね」
「そういう魔法、使えるようにしてもらったことがあって」
「してもらった、ですか」
藤生氏に、と名前は出さない。言うとまずいかなと思ったので。
いや、でも右目さんは藤生氏を知ってる。起きぬけに『藤生氏を探しに来たんでしょ』とツッコミ入れられたし。
そういえば、なぜ知ってるんだろ。藤生氏捜してるとか久瀬くんもいっしょだとか。
今ごろ疑問。なぜ気づかなかったんやろか。寝ぼけてたんかな。
さておき、右目さんは感心したように何度かうなずいた。
「たいへん高度な魔法ですね」
「こうど?」
「ハイレベルだと思います。探索と魔法付与を同時並行で処理する法術展開でしょうか。発想の特異さもさりながら、実行そして制御には非常に複雑かつ高度な思考を伴うでしょう。ぜひ、方法論をその方と議論してみたいものです」
右目さん、くりくり目がキラキラだ。楽しそう。
言ってること難しすぎてついてけないけど。
……やっぱり藤生氏、最強。実際はその高度な付与と探索に加えて、守備と攻撃までこなしてたしなあ。
「人間界にいるものはローレベルのものが圧倒的に多いのですがね。まあ、負の感情を貪っているようなローレベルのものでも、たまにいわゆる物理的な攻撃力は高いものがいますから、人間にはわかりにくいのですが」
「ハイとローの違いって、なんですか」
「ここ、ですよ」
右目さんは自分の頭をつっついた。納得。
一言つけ加えると、藤生氏にもらったアームレットはどうも魔法使用不可みたい。彼の使用方法の説明どおり、魔法陣一回分だったわけだ。
「お、いましたな」
右目さんが崖の下をのぞきこんだ。はるか下の方に、白い発光体が見える。
「彼は壊れた魔法陣の残骸に囚われたまま、脱出できないようなのです。助けに行ってください」
といって、右目さんはポケットから縄ばしごを取り出した。四次元ポケット?
それよりちょっと待て。そんな貧弱な縄ばしごで、私にあんな下まで降りろというのか。軽くビル十階分はある高さではないか。
「大丈夫ですよ。命綱つけとけば」
大丈夫って、あんた。
でも、私がやらないと久瀬くんは囚われたまま。
意を決して、というか泣く泣く、腰に命綱を巻く。
「簡単です。すぐ降りちゃえますよ」
右目さん得意のウインク。
ええい。こうなれば覚悟を決めよう。
「そうだ。私はマンションの十三階に住んどんのに。これしきのことできなくて、非常時避難ができようものか!」
「その意気です。あとは下にいる彼の言葉に従っていただければ、万事うまくいきますよ」
「エブリシングおっけ! んじゃ、GO!」
縄ばしごが落とされる。安全そうなところに杭を打ち、命綱を結びつける。
大丈夫。怖くない。
単純明快な自己暗示を自分にかけ、そろそろと、私は降りていった。
「さすがは上主様にかけられた、サナリの罠を解いて下さった方ですな」
その右目さんのつぶやきは、かすかに私の耳に届いた。謎な言葉だが、今は気にしていられない。