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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
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20.旅の終わり〔5〕

「ご無事でなによりです」


 城山町のコンビニ。

 声をかけられた瞬間、ほっとした。サナリさんの期待どおりのリアクションが、これほど安心するなんて。


「その様子は上首尾、ともいえなさそうで」

「微妙。サナリさん的には上首尾かもしれんけど」


 なにが成功でなにが失敗?

 そんな思いを銀縁メガネの奥で見抜いたか。サナリさんは穏やかに言った。


「なによりご無事なのがいちばんです」


 バイト帰りの久瀬くん狙い、アポなしで来たんだけど。

 相変わらず客がいない。まじで大丈夫かこのお店。


「あれっぽっちの缶詰で足りるか心配で。あと三つほどつくってみたのですが、もう入り用はないですね。良かった杞憂で。処分しておきます」


 ここでも『杞憂』。調べておいてよかった瞬間。

 サナリさんが缶詰をカウンターから取り出し、チラシ棚に上げて並べる。背の順に三つ。焼鳥缶、サバ缶、アスパラガス水煮缶。


「あのあと急いで食べて缶を洗って呪を詰めて、中身の呪に缶を封じさせたのですが。食べ合わせの妙が少々つらかったです」

「これ一度に食べたんですか」

「正確にはコンビーフも」


 焼鳥、サバ水煮、アスパラガス水煮、それにコンビーフを一度に。

 壮絶な食卓だ。想像したくない。


「カウンターに隠してたん」

「はい。なにかあったときにすぐに出せるように、持ち歩いて身の回りに置いていたのです。でも、もうよろしいでしょう」


 なんだかこの魔物さんの好意にジーンときたぞ。


「缶詰、どうすんの」

「上主さまに預けます」

「もらったらあかん?」

「あなた、興味本位で使っちゃいそうでしょう」


 飾らぬご意見ありがとう。好意に感激、急激にしぼんでしまったぞ。


「おっ」


 入り口で声をあげたのは、ロマンスグレイの初老の男性。


「安賀島さん。このまえはどうも」

「今日はいっしょやないんかね」


 きょとんとした私を、安賀島翁は眺めて少し含み笑いをもらした。


「きみ、この公演の券を二枚、発券したいんやけどね」


 サナリさんはメモを受け取ると、情報端末をいじりはじめた。

 店の外からは自転車のスタンドを立てる音がする。


「やあ来たね」


 安賀島さんが店の外へ目を向けた。

 リュックを背負った久瀬くんが愛想笑いで入ってくる。


「天宮さん、またサナリ口説いとんの」

「冗談。それはそっちっしょ。賞味期限切れ弁当を落としに」

「レジ待ちやな」


 安賀島翁はレジ前で財布を取り出し、サナリさんの「キャンセルはこちらの電話番号にかけて」といったマニュアル説明をきちんと聞いて、お金を払う。財布をズボンのポケットにしまって、


「待たせたね」


 と、久瀬くんに声をかけた。久瀬くんは間髪入れずにたずねる。


「大地さんは? 海外に行くと聞いたきりですが」

「来月頭まで北欧に行くと言うてた。バルト海クルーズとか」

「うわあ、すごいええなあ」


 安賀島大地、ウソはついてない。確かにある意味すごい。


「修行中の身が遊びほうけて。もっと本家に預ければよかった」


 安賀島翁は苦々しそうにこぼした。

 神主修行をさぼっているとのお怒りらしい。でも一緒にクルーズに出かけてるのも、神様スミタカさまにお仕えしてるってことだよね。説明できそうにないので黙っておくけど。


「またうちに寄りなさい」

「はい」


 久瀬くんは愛想笑いをふりまき、安賀島翁は背筋をのばして去った。


「気に入られてる気がするね」

「天宮さんって、高齢者限定っぽい悩殺バディやもんなあ」

「ぜんぜん、意味分かりませんけど」


 久瀬くんは早々に店を出てゆく。手には賞味期限切れとろろそばと魚弁当を入れたビニル袋。私はサナリさんに手をふると、久瀬くんのあとを追いかけた。

 自転車にまたがっているところだ。間に合った。


「ん? なにか」

「うん。なにか」

「もしかして、わざわざ待っててくれたん」


 私がうなずくと、今度は苦笑してる。


「呼び出してくれりゃええのに。下僕は従うのみ」


 よく言うよ。

 とりあえず私の近所まで歩こうか、ということになった。

 道々、朝からのようすを思い出せるかぎり話した。マンションの屋上にいたこと、お母さんと弟の反応、なつきが全然平気そうだったこと。それと、鹿嶋くんがいろいろメールでたずねてきたことも。ただ――ネグレクト、のことだけは黙っていた。


「久瀬くん」

「ほい」

「これで、よかったんかな」

「かなりええんちゃう」

「まじめに聞いてるんですけど」

「なにかよくないことあった?」


 逆に問われて答えにつまる。


「愛想でもなんでも、笑ってる人には笑い返したったらええねん。しょうもない気遣いほど疲れるもん、ないから」


 やたら実感がこもっている。

 私は少し黙りこんで、ようやく答えた。


「そんなら、そうする」


 笑ってる人。ゼンタ嬢だけを指してるんじゃないんだろうな。必殺・愛想笑いの彼もまた「笑っている人」だ。なにがしかの辛いことを、胸のうちにしまっている。淡々と静かに笑っていたゼンタ嬢と同じ。

 彼女の笑顔と久瀬くんの愛想笑いとはどこか似ている。

 なら、知らなかったからお気楽にいたこと、あれはよかったんだろうか。よかったんだと、そう思いたい。でも久瀬くんのことばを免罪符にしてるようで、感じが悪い気もしないでもない。

 なんて真剣に深く考えこんでいると。


「頭悪いのにうだうだ言うの、最悪やで」


 カチーン、ときた。


「ちょっとどうよ、このストレートな攻撃は」

「とはいえ最悪といや、やっぱり藤生君かな」


 一瞬、久瀬くんから顔をそむけた。

 最後の藤生氏のようすを思い出し、なぜか戸惑う。


「な、なにが最悪なん」

「相変わらず僕を白河と呼ぶか。ええかげん頭かち割って、脳内活字入れ替えたろか」


 私は安心しつつ、軽く笑った。


「ほんとに、久瀬くんて藤生氏と犬猿の仲やねえ」

「犬猿。なにをバカな。愛やんか」


 バカはあんただ、とツッコミ入れたいが、ここは控える。


「激しく燃え上がるこの胸の愛。それゆえに、愛ゆえに、僕の人生は大いに狂わされたのさ」

「そして愛は、激しく焼却処分されるわけですか」

「焼却しても次から次へとわきあがる愛、まさにゴミと同類」


 藤生氏より私より、あんたが最悪だ。

 なんだか急激に悩むのがアホらしくなってしまった。これも久瀬くんの謀略かもしれないが、ひっかかって悪いもんではない。いいって言ってんだから、いいじゃないか、って。どうせ、どこまでも私は思いつきで動く人なんだし。人の心を見抜ける頭脳や繊細な神経なんかないんだから。こういう人がやみくもに暗い顔すると、まわりには迷惑だろうね。

 よし、私も笑おっと。

 そんなこんなで、夢中で話して勝手に掘り下げていたからか、気づかずにだいぶ経っていたらしい。我がマンション敷地にもうたどり着いてしまった。


「今もう一歩足りないね、久瀬少年」

「なにがさ、天宮お嬢」

「階段、上るのつきあって。体動かしていらんこと忘れようと思って」


 断られるか、ゴネられるかと思いきや、


「いーよ。行こか」


 久瀬少年はあっさり承諾。私たちは非常階段をのぼり始めた。

 そしてのぼり始めて四階に向かおうかというところ。


「そいえば天宮さんち、何階よ」

「二十二階」

「はあ?」久瀬くんはすっとんきょうな声を上げた、「体動かすにも限度があるやろ、そんなアホなこと先に言うてくれ。ああちくしょ、僕としたことがなんで先に上る階数を確認せえへんかったんや。もういいや最後まで付き合うし、先に挫折したら許さへんで。どう許さへんって、それはもう恐ろしい仕打ちを覚悟してもらわんと」


 文句と後悔と恫喝をつらつら吐きながらも、一瞬たりとて立ち止まらないのには感心するほかない。


「恐ろしい仕打ちって」

「具体的な内容、知りたい?」


 その身の毛もよだつ内容は、ここでは省略する。

 延々と階段はつづく。息が切れる。いつからか口を閉ざし、視線は下を向きがちに、ひたすら上を目指していた。

 ぐるぐる回っているような。無限階段を進んでる感じ。

 ふくらはぎに重しをつけたようだ。全身がだるい。


「それにしても今、何階よ」


 顔を上げると、久瀬くんがだらだらと次の階に上がってドア横のラベルに目をこらしていた。


「じゅ、十三階」

「まだ十三階て。半分じゃあ」

「ありえねぇ。体力尽きて帰られへんかったりして」

「そんなとこで行き倒れるん、やめてよ」


 ゴールはまだ遠そうだ。

 でも相方のがんばりを後ろから見ていると、終わりのない遠さやないし、と思い直した。なにより言い出しっぺが脱落してどうするよ。

 着実に上へと進んでいる。踊り場の窓から見える真っ暗な空へ、少しずつでも近づいているに違いない。

 あきらめる気は全然、起こらなかった。

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