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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
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20.旅の終わり〔4〕

 山あいの町、苅野の早朝は霧深い。

 眼下に広がる景色に立ちすくむ。苅野を綿で包んだように見える。のっぽの建物は白いスカートをはいたみたいで、頭をくっきりと出しているのに、下は輪郭がくずれて幽霊みたいだ。

 湿り気がほおを包みこむ。じめっとした布でなでられたみたい。

 あの山の中腹の、身を切るような激寒ではない。それでもコートに身を包んでいるのに、徐々に冷たさが襲ってくる。つま先からひざへ、そしておなかがわずかに痛む。


「戻ってきた」


 わが家のマンション、グリーンヒル東城山の屋上だ。

 ぼんやり立ってると本格的にハライタになりそう。

 いきなり戻って来たってことになにか釈然としないまま、屋内に入り階段を降りた。二十二階、天宮家のドアはカギがかかっている。コートのポケットに手を突っこむと、わが家のカギが手に触れた。

 カギを差しこみ回すとすんなり開く。

 開いた――ごく当然のことだけど、ほっと安心した。いろいろあったあとのこと、もし開かなければと心配だったのだ。ゼンタ嬢が感じた不安、今さらながら分かった。

 確かに私の家だ。しばらくぶりの家だ。


「ただいまぁ」


 キッチンからおかあさんが顔をのぞいている。


「はるこ、朝日どうやった」

「は?」

「日の出見たいって、出てったんちゃうん」


 そういうことになっているらしい。話を合わせよう。


「霧で見えんかったわ」

「あほじゃねーの」


 今度は洗面のほうから弟の声だ。


「あほやて? あほ!」


 と言い返してやったら、弟はカバンを引っつかんであわてて家を出ていった。単にサッカー部の朝練に遅刻寸前だから急いだのか、姉の威厳にうたれて逃げたのかは謎だけど。

 朝ごはん食べよう。

 リビングに入って、カレンダーと時計を見た。

 一月三十日、午前七時。

 家を飛び出して二週間経過。平日。学校あり。

 ベーコンエッグを焼いていると、お母さんが聞いてきた。


「はるこ、お弁当は」

「いるいる。ケージのおかずの残り、ある?」


 全くいつも通りの朝。ちょっと違うのは、私の気分だけ。



  *  *  *



「はる、おはよう」


 ふつうに教室でなつきに声をかけられて、びっくりした。


「おはよう」私は自然な顔で返事した、「からだの具合どう」

「全然平気」

「いや、あのね。病院に運ばれてさ、大丈夫なんかなあって心配になっちゃって」


 特に聞かれてもいないのに、いろいろ口について出てしまう。自然なふるまいとは難しいものだ。

 そこへなつきがおっとりとした笑顔で苦言を呈する。


「前も言うたけど、からだの他のとこに影響なかったし、一週間入院したんも精密検査だけやから。あんまり気、つかわんで。はるもわたしも、しんどいよ」

「了解っ」


 私は軽くうなずいた。

 一週間入院。今は大丈夫。すでに聞いた話。

 ふつうに生活してたふりをするのは意外と難しい。どんな設定か分からなきゃ話にならんし。気の利いた反応、臨機応変な応対、さりげないボケも必要だ。そこかしこで設定をど忘れしまくり、ダメダメなボケをかまして突っこまれ、希代のアホ扱いされそうなトホホな予感。

 授業もだいぶ教科書進んでる気がするし。

 こっちはもはや、どうにでもなれって感じやけど。


「ところでなつき」

「なに」

「国語辞典持ってたら貸してくれへん」

「持ってない」

「きっしー、持ってへんー?」

「今日英語ないし、電子辞書持ってこんかったわ」


 いずれも芳しい回答は得られず。放課後、図書室におもむくことにした。


 き‐ゆう【杞憂】[列子天瑞](中国の杞の国の人が、天地が崩れ落ちるのを憂えたという故事に基づく)将来のことについてあれこれと無用の心配をすること。杞人の憂い。取り越し苦労。「―であれば幸いだ」

 (岩村書店『広辞苑』より)


 なるほど。身をもって理解した。

 二週間のブランクでヘマやらかすんじゃ、と心配したけど実際どうにでもなったのも『杞憂』。テストで出されても忘れはしまい。ひとりで座ってひとりで辞書を眺めてひとりでうなずいて。どうも今日の私はオーバーアクション気味だ。


「そんなら次は、ねぐれくと、やったっけ」


 こちらは辞書でも見つからない。

 外国語だから国語辞典では見つからないのかな。

 携帯で探すか、インターネットで調べるか。コンピューター室、空いてるかな。

 ふと携帯を見たら、メールありになっていた。


「あ」


 鹿嶋くんだ。タイトルは、


『おかえりやす』


 おかえり?

 私はじっと液晶画面を見つめて考えこんだ。

 あの旅から本日もって帰って来たって、分かってるからだろう。うちの親やらなつきやクラスの連中が何事もなく私に対応しているのに、鹿嶋くんは気づいているってのはなぜ。

 久瀬くんがしゃべったんかな。心の友やし。

 とりあえず本文を見よう。


『ご無事でなによりです。お願い。ちょっと状況教えて』


 わけがわからん。


『状況ってなあに』


 と返すと、数分とせずに返信が来た。


『久瀬が切ない仕打ち。聞いても教えてくれね。』

『久瀬くんなにも言うてへんの??』


 なおのこと鹿嶋くんが「おかえりやす」とした理由が分からない。


『聞いてない。んでみんな何もなかったみたいなリアクションで久瀬は平然としてて橘先輩もふつーに高梨ちゃんと話してるし。おれだけどーなっとんのやら』


 激しく同情した。

 鹿嶋くんは今日、必死でいたやろな。私はある程度覚悟してたから冷静沈着たぶんでいられたけどさ。安心しろ、君の心の友はここにもいるぞ。

 つづいていそいそとメール。


『船旅して朝帰ってきたんだが。うちの回りは全員なつきもふくめてノーリアクション。』

『そぅかーーー武崎さんも気づいてないか。あるがとう。おれだけ知ってるっぽいけど、なんでおれだけ。。』


 なんで鹿嶋くんだけ。そんなのわかりゃしない。

 藤生氏は肝心な人物をけむに巻き忘れたか。彼らしいええ加減さで手を抜いたのか。それともこれには壮大な深慮遠謀が。藤生氏に問いたいところだけど、また連絡先聞くの忘れた。


『久瀬くんに事情説明しろと指導しとくよ』


 そうだ。「あるがとう」ツッコミついでに聞いてみよう。


『んで話かわって質問 ねぐれくと てなにか知ってる?』


 今度の返信には少し時間があいた。


『「育児放棄」。児童虐待とか、そんな関係の。』


「育児放棄……ギャクタイ」


 思わず声に出してしまう。

 鹿嶋くんが、詳しく知りたいなら事例を送る、と書いてきたのでリクエスト。すると、つづけざまに記事のリンクを送ってくれた。

 愛知で二十一歳の夫婦が三歳の女の子を餓死させた事件。大阪で中三の男の子に食事も与えず学校にもやらんで結局、撲殺した事件。子どもをひどく扱う中でも、ほったらかしにすることをこう表現するとか。

 すごいぞ物知りな心の友。などと液晶の向こうのお人よし君に感心している場合でなく。


「そういうわけで、って」


 ひじをついて携帯をつかんだまま、頭だけうなだれた。

 藤生氏のことばを思い出す。


「『だからあんだけ感情的に、珍しく食い下がってきてた』」


 久瀬くんは自分を重ねていたんだ。

 魔物がらみで両親から嫌われてた。今は、ビー玉ドラマを見れば関係修復してるようでも、彼の心の底ではまだ……だけどそのことは置いておく。いまはゼンタ嬢のことの受け止め方だ。久瀬くんは私みたいに映像を見せられたわけじゃない。でも、人の考えをすぐくみ取り、時には先回りをする人だ。私の断片的な話だけで、ゼンタさんの境遇に気づいていたような気がする。

 たくさんの出来事を「見た」私よりもはるかに、自分のことのように受け止めていたんじゃないか。だから藤生氏が起きたときも、ゼンタさんの行方を最優先に聞いてきた。

 そして藤生氏は久瀬くんは察していると言った。ボロカス言われるとか言い訳してたけど、たぶん彼のために見せなかった。

 私ってにぶすぎ。

 そして……あの仲の悪いふたりの気のくばりあいと、本音のぶつけあい。まったく、かなわないや。


 頭を上げると、図書館全体を見渡せた。

 司書兼国語教師の片山がキザったらしく近寄ってくる。


「メールはよそでしなさい」


 敵の来襲を避け、そそくさとカバンをひっつかんで図書室を出た。出たところですぐ鹿嶋くんにお礼のメールは入れといた。

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