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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
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20.旅の終わり〔3〕

 私はゼンタ嬢の部屋、あの二人組は書斎っぽい部屋に泊まることに。

 あのヒステリーおばさんはどこかへ出て行って帰ってこないようだ。

 静穏に包まれた夜。

 耳に届くはヒーターのファン音だけ。

 ゼンタ嬢は始終、落ち着いて笑みをうかべていた。でも眠る直前に一瞬だけ、疲れきった表情を見せた。今は爆睡中。揺すっても起きるのか怪しい。

 そりゃ熟睡やろな、と私は納得する。

 半年前、家出していろんなことに巻き込まれて。落ち着くことなんてなかったろう。

 ……そうだ。いまだ理由が分からない。家に帰ったのはなぜだろう。船長さんのこと、どないするつもり?

 窓の外はモノクロの世界に限りなく近い。わずかな色彩は、門灯が折りなす雪明かり。闇に白が沈殿している。

 苅野はしょせん関西、神戸のおとなりさんだから、こんな見渡すかぎりの雪景色なんて、まずお目にかかれない。

 苅野かあ。

 いよいよ帰れるのかな、と期待している。このまま帰るのかなと、さみしくもなる。帰ったらどうなってるやろ。なつきは大丈夫らしいけど、学校には来れてるかな。第一関門は家。親が心配して警察届けてたらどうしよう。ひょっこり帰って大丈夫やろか。

 物思いにふけっていると二度、ノック。

 私はかなりびびって、固まった。一瞬、さっきのおばさんの鬼の形相が頭をよぎったのだ。ま、まさかね。

 そろりと、ドアに近づいた。

 そおっと、だれがいるのかを確認できる分だけ、ドアを開ける。

 廊下の明かりがまぶしい。目を細めた。

 細めた目の狭い視界にぼんやりと影が見える。


「藤生氏?」

「よっ」


 藤生氏、軽く片手を上げる。

 私はドアの透き間から半身をすべらせた。


「どしたの」

「話」


 単語で答えた藤生氏、きびすを返した。

 私は音を立てないようドアを閉じて、藤生氏を追いかけた。

 どういうつもりだろう。妙にどきどきする。

 藤生氏はリビングの古ぼけたテレビの横で立ち止まる。藤生氏はテレビに触れ、テレビ画面が私に見えるような位置に立ち直す。

 と、いきなりスイッチが入って、白黒映画が始まった。

 いや、違う。映画じゃない。


『あなたが……どうして!』


 私は驚きに声をあげた。


「さっきのおばさん」


 藤生氏が口もとに人差し指をよせる。

 静かに鑑賞しろ、てことか。


『どうして? ここはあたしの家よ。死んだとでも思っていたのかしら』


 テレビのゼンタ嬢がかすかに笑い、茶色い頭のおばさんがわなわなと震えた。


『……なにをしようっていうの。私の人生を壊す気? もう私は第二の人生を謳歌しているのよ。あんたがいなくなって再婚できたし、明日の心配だってしなくていい。あんたがいたころは……毎日毎日、仕事、仕事、仕事! あんたを食べさせるために安い給料で働かされて、私は人生を全く棒に振ってきたのよ! ゼンタ、あんた、私に復讐しようというの? そうでしょうね、あんたは私を憎んでいるのよ!』

『あたしはあなたに感謝してるわよ』ゼンタが無表情で言う、『これはパーティよ、あたしの前途有望な人生を祝う、ね。パーティが終わったらあたしは児童保護局に行く。あたしがあなたのためにこの心に受けた傷、彼らに洗いざらいぶちまけてやるわ。そうしたら彼らがあたしの調査員をこの村に送りこんでくれるでしょうよ。そして彼はきっとこう報告書をまとめるのよ、《この子は母親に放置され、虐待されていた》。どう? この筋書き。完璧でしょ』


 藤生氏がテレビのスイッチを押す。音もなく画面が真っ暗になった。

 これは……魔法の映像が映し出した情景は、さっき、ごはんを食べていたときのやりとりだろう。

 困惑しきったおばさん――彼女がゼンタ嬢のお母さん――のおびえたような口調。それに対する冷静なゼンタ嬢の受け答え。彼女は穏やかに語っていたけれど、実はこんな激しい攻撃をしていたのか。

 虐待って。


「あっ」


 今度は私の頭のスイッチがようやくつながった。

 電車のうたたねで見た、サスペンスドラマ。ゼンタ嬢が車に縛りつけられている夢。だが不意にベルトがはずれ、幸運にもハンマーがあり、車を脱出して夏の森をさまよい歩く。それで自宅に戻ったら、テーブルにスパゲティソースの缶。

 山中に捨てられたんだ。


「あれも現実」


 藤生氏は黙ってこくりとうなずいた。


「『あれ』で私の思ったこと分かるん」

「それ、おれのしわざやし」藤生氏はほんの少しだけ肩を落とした、「アホなかんちがいで妙なまじない、天宮さんにかけた状態」

「ああ、タチバナモトイと間違えられた、とっても心外な」

「テレビと違うて、おれん家帰らんと消されへんねん。すまん」


 謝ってるときも仏頂面の彼にツッコミを入れたくなった。藤生氏の家ってどこやのん。


「脳みそが勝手に変な映像を映してるのって、さっきのテレビみたいな」

「うん、そう」

「分かった。んでこの日本語吹き替えバージョン、久瀬くんには」

「見せる気ない」

「なんで」

「白河はネグレクトてくらい、察してる。だからあんだけ感情的に」

「ねぐ?」

「それにこんなん見せたらまたボロカス言われるわ。まあそういうわけやから」


 どういうわけだ。

 ネグなんとかって単語の意味も分からんし、家帰ってうがいしたら調べよう。

 それより一番聞きたいこと、聞いとこう。


「どうやって私、助かったん」


 軽く聞いたつもりが藤生氏、しばらく考えていわく。


「ええやろ細かいことは。助かってんから」

「なんかあったん」

「白河にも言うてないことある、天宮さんにも覚えてない場面がある。おあいこやろが」

「どーいう理屈」


 藤生氏はしきりにまばたきをした。

 不審極まりない。なにを困ることがあるんだろう。これはつっこまねばなるまい、と思うと同時に、藤生氏の素直なところに少しほのぼのした。これが久瀬くんなら、適当にかわすかでっちあげの説明をするか、いずれにせよ一筋縄ではいかない。いや、最初からしっぽを出さないか。


「なんかカチーンてくるんですけど」

「わ、わかった、話す」

「そうこなくっちゃね」

「あの、これ、おれから聞いたていうなよ」


 藤生氏は軽く息をついてからつづけた。


「船、消えてん」

「消えた?」

「船長、天宮さん突き飛ばしたけど全然間に合わんで、帆が直撃して」


 瞬間、あの帆が倒れてくる情景がフラッシュバックする。


「直撃」

「おれもびっくりして、とっさに何もできへんで」


 しかし――私は今、無傷だ。


「船はもとからなかった。ってことにしたら、助かる」


 もとからない。

 それは……船から逃げ出して、忽然と消えた船員たちを思い出す。


「船を、消したん? 藤生氏が、もしかして」


 藤生氏が黙ってうなずいた。


「船長もいっしょに」


 再び藤生氏は小さく首を縦に動かす。


「そう望んだから」


 だれがよ。だれがそう望んだの。

 と聞けなかった。まるでその人のせいにしたいみたいだ。私が助かったのは、船と船長さんを消してしまったからなのだ。今、私が無傷でいるのは、彼らが消えたから。

 私のせい?

 そうだよね、他のだれのせいでもあるわけない。

 まぎれもなく、ゼンタ嬢の大事な出会いを――壊したのは私だ。


「……そう……」


 ため息をもらすとすぐ、納得できた。

 いきなり山の中腹にいたのも、記憶がとぎれとぎれになっているのも、だれもが黙っていたのも。私が原因なのだ。いきなり中腹にいることにした、記憶をとぎれとぎれにした、藤生氏が答えをちゅうちょした、それこそが立派に証明してる。


「あの、だれも悪うないぞ。あのフロリアンでもおれは悪いとは思ってない。救われるためなら、なんにでも手を伸ばしたいやろ」


 藤生氏の理屈ではそうだろう。けれども。


「できるだけ早よ苅野に帰る」


 私の顔を見た分だけ、どうしようもない思いがよみがえる。彼女も苦痛だろうし、私だって彼女の無理した笑い顔は、見たくない。逃げかもしれない。けど、平気でいる方法がわからない。


「あの、天宮さん」


 私が顔を上げると、もどかしそうな藤生氏の顔が見えた。


「あ、ありがとう……はるばる助けに、よう来てくれたな、って」


 私はうつむいたまま、小さく息を吐く。


「それも勘違いやし……」

「感謝してるやつやって、ここにおるし」

「……私は、大丈夫やから、ね」


 声が、肩がふるえている。ちっとも大丈夫そうじゃない。

 失敗したな。

 そう思っていると、私の肩のふるえが止まった。

 ふたつの手が私の両肩をつかんで、動きを止めたのだ。

 天宮さん、と耳もとで呼びかける声。どうしていいのか分からず、顔を上げられない。藤生氏の胸ポケットのボタンを見つめながら、たどたどしいささやきに耳をかたむける――聞き流してもいい、何度でも言うから。ありがとう。さがしてくれて。うれしかった。今日もアホなこと言うて、ツッコミ入れられて、なんか苅野に帰って来たみたいで、うれしかった――藤生氏がひとつひとつ、ゆっくりと告げるたび、心が落ちついていく。さっきまで感じていたやるせなさ。それが小さな宝箱におさめられ、そっと大事にしまわれる。

 セーター越しにふれる藤生氏の指先は冷えきっていた。けれども、時とともに少しずつ温かくなっていく。同じように、じんわりと私自身もほぐれていくように思えた。

 やがて私は小さく、うなずいた。


「……白河も呼んでくる」


 そして手を離した藤生氏は、もの言いたげな黒い瞳を伏せて、ふり切るように体を背けた。

 その心のうちを想像ができない。

 ついていけばいいのか、そのまま待っているべきなのか。そんなことばかり迷っていて、結局立ちつくしたまま。それでいて後悔ばかりが先にたち、なにも考えられなくなった。

 なにか言うべきだった?

 と。

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