20.旅の終わり〔2〕
二人分のツッコミを受けた藤生氏、文句をたれる。
「ディナーも食うんに集中してへんかったし、なんか、うまいて思わんかった」
せんでもいい抗弁には当然、倍返しの糾弾が待っている。
「ありえへん、ぜいたくな」
「そうや、ぜいたくっ」
「うまいんやろけどさ」藤生氏が不満げに反論した、「あれはたぶん、楽しく味わうって雰囲気やなかった」
久瀬くんはふと眉をひそめる。
「きみ自身の感想ではなくて、彼女のほうが、そう思ったろうって?」
今度の藤生氏は無言でうなずいた。
「そこへ直れ。疑問は山ほどある。そちにはこのさい腹割って話してもらうから覚悟せよ」
「切腹は御免願いたいが」
「藤生君。まずはじめに彼女に会うたときのことやけど」
久瀬くん、自分でネタをふっといてスルー。最高に冷淡だ。
「うん」
「彼女にはじめて会ったときってのは、ヴェッケン船長のとこへ向かおうとしている彼女に、たまたま会った。でもそれは偶然を装っていた、本当は意図的なことやった」
「うん」
「きみ、なにがしたかったんや。この件はフロリアンが仕組んだことで、あの船長から仕組まれているってことをつかめればよかったんか」
藤生氏が口ごもりつつ、うなずく。
「彼女を、ゼンタさんを助けようという意図は、なかったわけか」
「助けるもなにも。どっちがええとか、ゼンタがどっちを選べばええのかはおれには判断つかんやん。最後にあいつ自身でカタつけることやろ」
「『心がその人自身の苦しみを知っている。その喜びにもほかの者はあずからない。』」
藤生氏は腕組みのまま、つぶやいた。
「それは……『箴言』か」
「すごいなあ藤生君。歩く聖書データベースか」
「おまえが暗唱したんやんか」
「暗唱なんかでけへんって」
久瀬くんは、もそもそとポケットから黒い本を取り出した。
「英語だから読めました。奥の部屋のベッドの横に置いてて」
ここは絶対、ツッコミいるよね。さすれば。
「パクってきたんかい」
「しかも寝室に勝手に入るなよ、おまえ」
「たまたま入って借りたんやって。きみら人聞き悪い」
「そこでポケットにしまうな」
久瀬くんは聞く耳もたずポケットに突っこんで、
「藤生君はなんであそこが寝室て知っとんの」
「で」
藤生氏は逆ツッコミを無視した。
「おれは白河がなに言いたいんか分からん」
「ゼンタさん自身の苦しみと辛さは、僕らには分からへん。会えば幸せになれるんかもしれん。きみの言うとおり、彼女自身がどう感じるかやからな」
「だったらなおさら自分の感情で勝手に判断なんか」
「すべきでない。けど、きみの言った前提は決定的に間違っている。
彼女は追いつめられ、ただひとつのことしか考えられなかった。『どっちを選べばええのか』って? なにトボケたことぬかしとんねん。そんな選択肢がある、て思いようがないやろ。分岐点やと認識せずに、行く道を選択できるはずないやろ。きみは彼女にどんな超能力を期待してたんや」
久瀬くんはそこまで言うと、ふうっと息をつく。
藤生氏はじっと目を見返し、久瀬くんのことばを待つ。
「それと。天宮さんに言わなあかんこと、あるやろ」
「……え」
藤生氏も私も、頭が「?」になった。
そのとき、ちょうどゼンタ嬢に声をかけられた。
とりあえず私たちはいそいそとキッチンに向かった。
魚のオイルサーディンとキャベツのサンドイッチ。
ナッツをのせたチーズ。
レバーのパテ。
サヤマメの煮物。
鶏肉のサワークリーム、クマコケモモのソースがけ。
パンケーキに三種類のジャム。
思わず「わあ」と感嘆の声をあげた。
テーブルを彩る色とりどりのメニュー。それは外国の絵本みたいにカラフルで、おしゃれな洋食屋さんもかくやという雰囲気だ。
「食べてええの」
と私は反射的に尋ねた。愚問だぞ私。
それをダイニングに運びこむ手伝いをして、いざ。
「いただきまーす」
まずサヤマメの煮物を食する。
おいしい!
マメが口の中でとろーり、とろけてる。感激の食感!
「なんか尊敬。こんなごちそう作れてすごい」
ゼンタ嬢はうつむいて無言だった。淡々と運んだ鶏肉を、ヌードベージュのくちびるが受け入れる。白いサワークリームがくちびるにくっついている。ピンク色の舌がちらっとのぞいて、くちびるをなめた。
はしゃぎ過ぎかな。
わずらわしいって思われてるかも。
「天宮さんだってお弁当よく作ってるんゃうん」
お弁当はお弁当。私は首をふって否定した。
「こんなステキごはん作んの、無理」
育ち盛り終了間ぎわのお兄さんたちの食いっぷりは、さすがというほかない。次々とおかずはフォークで串刺しにされ、放りこまれた口の中で噛むのもそこそこに飲みこまれる。正直いって気持ち悪い。
私がおかずを味わうスキにパンケーキが瞬く間に減っていく。まだ取ってない私の分も考えやがれ、なんて可愛くお願いしても門前払いか聞くだけ聞いてスルーだろう。ここは一計を案じ、彼らの激しい食料争奪戦をとどめるべく、食欲戦士の一方にワナをしかけた。
「藤生氏、ふたつのジャムなにって聞いて」
「なにって、ブルーベリーと」
久瀬くんも上品かつ音速のフォークさばきを止めた。
その間にパンケーキを失敬する。質疑応答も忘れない。
「そやからね、もうふたつのジャムが分からへんから聞こうと思って」
するとゼンタ嬢が笑顔で話に割って入った。
例によって意味が分からないので、藤生氏が単語のみ訳す。
「スグリ、スモモ。どっちもハンドメイド」
おおー、と久瀬くんと私は同時に歓声をあげた。
ジャムという言葉で内容が分かったんかな。すごいな。などと感心しているところだった。
私ははっとした。
玄関でカチャリ、と音がしたのだ。ドアの開閉音だ。
だれかが入ってくる?
すぐ金切り声が場を切り裂いた。
私はふり返りざま、ジャムをつけたスプーンを取り落とした。
その声の主は茶色い頭のおばさん。ウェーブがかった髪はきれいに整っている。美人だ。けど、ものすごい形相で灰色の瞳を私たちに向けている。にらんでる、怒ってる、どちらでもあるし、もっと激しい感情のようにも思える。
わけもわからず、途方に暮れて固まってしまった。
ただ、きっとこう言っているに違いないなと確信したーーあなたたち誰なの、と。
するとゼンタ嬢がすっくと立ち上がり、私の前に立ちはだかった。彼女は厳しい目を、同じ灰色の瞳を対峙する相手に向けた。
「Hvorfor?」
彼女が告げる。
「Er her mitt hus. Gjorde De tror at jeg dødd?」
すると、堰を切ったようにおばさんがなにか叫んだ。
ひどくきしんだ声。
ことばが分からなくともなんとなく攻撃的とは分かる。
ゼンタ嬢はまったく対照的で、落ち着きはらった様子で対応している。穏やかでとうとうとした語り口。まるで諭すようだ。ひとつひとつの言葉の歯切れははっきりとしていて、ゆるぎがない。
こちらも内容はまったく分からないけど。
やがて、おばさんは顔をそむけた。その横顔はかなりゆがんだものだったが、そのうち大人らしい表情をつくろった。とはいえ落ち着きがなく、指先はふるえ、当惑した顔を隠せはしなかった。
そのまま彼女は体を返してダイニングをあとにした。
さっきと同じカチャリという音が玄関から聞こえ、しんとした部屋にまで届いた。