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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
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20.旅の終わり〔1〕

 いきなりだけど……気づけば山の山腹にいたのだ。

 たぶん藤生氏のしわざだろう。

 一番最初になにも分からず見た夢で、藤生氏がゼンタ嬢と登った山だと思う。

 その山腹の短い昼は、船にいたころの比じゃない、ハンパじゃない寒さだった。突き刺すような痛み。凍死したくないぞ、と走って山を下りてタクシー・山岳列車と乗り継いだ。お代は藤生氏のおごり。

 この国のほんとうの冬。今までのは異次元をさまう不思議な旅。

 ぼんやりと考えていたら、いつの間にか列車の中で最後まで凍えていたつま先は、すっかり融けきっていた。

 久瀬くんがほおづえをついてにこやかに語る。


「ロキとシギンさんの話で助かったわ。トールとロキの言い伝えを思い出してくれんかったら、シギンさん人質作戦もなかったしなあ」


 ゼンタ嬢はなにかを言って微笑した。

 『ラッキー』という英単語と『久瀬』だけが聞き取れた。

 英語じゃない。

 彼女の言うこと、断片ですら分からなくなってしまった。

 最初は彼女と全く会話が通じなかったけど、いつからか――彼女が「ヴェッケン船長との出会いは大切なもの」と話してくれたころからだろう――彼女の言うことを聞き取れていたのに。なんとなく旅の終わりを予感させる。

 久瀬くんが笑っていた。


「そうそう、海に突き落とされた先に、救助ボートが浮かんでたのは恐ろしいほどのラッキーさやんな」


 この人はことばを聞き取れるのだろうか。

 もしかして私だけが分からないのかも。なんだか、仲間はずれ気分で感じが悪い。


「それは悪運では」


 藤生氏がぼそっとつっこむ。


「三年寝太郎は花瓶抱えて寝とけ」

「おれが寝てたの、半年だけやで」

「ならあと二年半、黙って寝とけ」


 ゼンタ嬢は私たち――藤生氏と久瀬くんと私の――三人に告げたらしかった。「家に帰るわ」と。私は覚えがなかったからびっくりした。

 船長のもとへ行くんやなかったっけ。彼はどうするんだろう。

 当の彼女はまったく屈託ない顔で笑っている。

 かなり記憶が途切れてる。どうして助かったか分からんし。知らん間に、私は助かってゼンタさんは、ええと……。

 そうしてたどり着いたのはゼンタさんの家だった。

 手持ちの鍵で難なくアパートのドアは開いた。ゼンタは母親が家を引き払っているのではと、えらく心配していたのだ。


「娘が半年行方不明やのにふつう、せえへんでしょ」

「まあ、キユウでよかった」


 と愛想笑いの久瀬くんに私はたずねた。


「キユウ、ってなんやったっけ」

「家帰ってしっかりうがいしたら辞書で調べ」


 冷たい反応な上に、うがいまで指定ですか。

 アパートの中に入る。

 ゼンタ嬢はスイッチを片っ端からつけ周囲を見まわし、なにかを探していた。

 過去と現在との間違いさがし。以前となにが変わったのか。鍵からはじまって「わが家」が半年前と変わらないのかどうか、彼女はそればかりを気にしていた。実際、その捜査はすさなじく厳しい。視線は傘立ての中の傘の模様にもおよんだ。廊下にかかっているドライローズで作ったリースの茎の本数さえ、記憶と照合作業しているんじゃないか。それくらい丹念で執ようで、しかもその作業はリビングを経てキッチンに入るまでを、十分もかけて行われた。

 私は手持ちぶさたでソファに座りこんでいた。

 藤生氏はソファの背に腰をすえ、腕組みして立っている。

 久瀬くんは壁面にもたれ、出窓をのぞいていた。

 出窓ははしっこが凍りついていた。部屋は暖房がすぐに効いてきている。防寒・結露対策の二重ガラスなのは、苅野の住宅と同じだ。

 窓の外では短い昼が終わりを告げる。白夜の闇がせまっていた。


「変わっていないらしい」


 ゼンタ嬢が安心顔で言ったせりふを藤生氏が代弁した。


「しばし待て。腕をふるう」

「腕をふるうって、なんの」

「昼メシ」

「うわあ、ごはん食べさせてくれるん」

「まともに陸上家屋でなんか食べるん、ひさしぶりちゃうか」


 久瀬くんは感慨深そうに笑みをこぼした。


「たぶん数週間くらいかな」

「そんなにも」


 ずっと船の上だったのか。

 船に乗っている間は「ごはん」とは言いがたい、もそもその「米飯」だった。安賀島大地がたまに密航しては差し入れるものがあると最高にグルメな日。ふだんはカロリーメイトが壮絶に甘く感じ、モヤシのシャキシャキ感に感動できたくらいだ。食事の貧弱さをちょっとは想像していただけるだろうか。

 と、私もあらためて感慨深くなったところだ。

 藤生氏がぽそりとこぼした。


「おれ、半年以上」


 だから。よけいなこと言うから久瀬くんがお約束の攻撃をするんだって。


「おまえさんは寝倒してたろが」

「しかも藤生氏、ホテルで豪華ディナー食べてたやん」


 ついでに私もツッコミ入れとこう。


「うう。そやけど、なんで」


 藤生氏がいぶかしげに私を見ている。


「なんでって」

「なんでホテルでディナーとか知っとんのかと」

「藤生氏が見せたんやないの。夢で」


 私の解答に藤生氏は口を開けてぼう然としていた。


「いや、なんで天宮さんが」

「は?」

「え?」


 久瀬くんと私、ハモった。


「天宮さんが見てたんは予想外やった、てことか」

「う、うん」藤生氏、首をかしげる、「もうひとりの人のつもりで……ほかにうちの親父から力を引き継いとう人おって、今回もいろいろあの国の神様方に手を回してくれて。ほらっ、現行犯やとか言ってくれてた……ええと、名前なんていうたかな。そいつに連絡するつもりの『記録映像』やってん」


 ああ、久瀬くん目が点になってるよ。

 藤生氏の要領を得ない話しぶりを整理しなおすと。

 夢を見せて経過を連絡する意図があった。でも、相手は私ではない。伝えるべき人は別にいた。話の流れからして橘先輩だ、あの場で登場して横から茶々入れてたし。

 でもなぜか間違って、私が見てた。

 ……なんでそんなことになるかな。

 目が点状態から脱出した久瀬くん、めいっぱいの愛想笑い――でも耳から激怒っぷりがはみでてそうな感じ――でたずねる。


「その人の名前、タチバナモトイ」

「そんな名前やったかな、たぶん」


 人の名前を覚えられない藤生氏、ここでも本領発揮である。しかも相手の名前も知らんで連絡とるとか。


「どうよこれって。この無駄に長いこの冒険って、藤生氏の大暴投からはじまったわけですか。橘先輩と間違えて私が藤生氏ピンチな場面見て、私が大騒ぎして」

「そして話がよけいにややこしくなり」


 がくり。

 ソファに座ったまま、私は溶けかけの人っぽくうなだれてしまう。

 しばらく頭をかいて途方に暮れている藤生氏だったが、


「花瓶ないとやっぱ、うまくいかんなぁ」


 と、ぼそり、つぶやく。

 久瀬くんと私、すかざず声をそろえて藤生氏にツッコミを入れた。


「もぉええわ!」

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