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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
142/168

19.名もなき氷の海で〔6〕

 ……が。

 船の上空。空の雲には裂け目ができ、淡い青がのぞく。

 氷の群れは軽く舞い上がり、はるか対岸へと流星のように流れていった。雲の間から差し込む光に照らされて、きらきらと輝きながら、絶壁の壁面へとぶつかっていく。


「あんたの負け」


 そして藤生氏は、フロリアンの背後に立っていた。

 勝負あった。

 と思いきや、フロリアンは軽やかに反転し唱えた。


「沈黙の結晶、閉塞を生みいだし、物言わぬ彫像となれ」


 藤生氏の足もとを覆う氷がたちまち全身に絡みつく。氷づけにされる。氷のオブジェにされようとしている。

 これでは身動きもとれない。万事休す?

 だが、物言わぬ像にはならなかった。藤生氏の口もとと右手は固まらないまま、かろうじて生きていたのだ。


「呪、吸いとりマシーン」


 藤生氏は寒さに震えまくりなへろへろ声で宣言した。

 すると、右手に美しい青磁の花瓶があるではないか。さん然と輝く魅惑の翠色の秘色。上品な艶やかさをたたえるなめらかな陶肌。すらりと細長くシンプルなデザイン。まがうことなく、苅野の青磁の花瓶。

 藤生氏の魔法の花瓶だ。

 どこから出したんだというツッコミは偉大な上主さまには無用。それと、それは『マシーン』ではあるまい、なんてのも無粋である。

 スミタカさまが渡したんやろか。一番可能性がありそう。という推理で私のモノローグはとどめておく。

 ともあれ、青磁がすごいのか上主さまが強いのかは判じがたいが、藤生氏をとらえていた氷の魔法はたちまちに解けた。氷が解けたのだ。

 ……藤生氏、水びだしである。

 確かに偉大だ。偉大なのだろうが。

 あわれだ。


「ほら見てみ。おれの勝ちや」


 でもちょっと得意そう。体をはったボケかしらん。

 フロリアンは目を細めつつ、流し目をくれた。


「そのようです」


 苦痛に歪むその表情、藤生氏のボケへのツッコミは期待できない。

 彼の視線の先にはシギンさんがいる。

 シギンさんは悲しむような責めるような目を彼に返して立っている。責める相手は自分をとらえている敵ではないらしい。彼女を人質にとった犯人(?)久瀬くんとゼンタ嬢を、責めてはいない。


「しかし私はあなただから屈したわけではない」

「おれも分かってる」


 藤生氏もどこへともなく頭をかしげた。

 藤生氏が一瞬、目を向けたのも岸辺の人質と脅迫者だった。

 脅迫者の片割れ・久瀬くんは藤生氏ににっこり笑顔を返した。そしてなぜか、ゼンタ嬢になにかを告げるとその人質を解放したのだ。

 なんで?

 と問いたいが、今はなりゆきを追う。

 シギンさんは緊張から解かれて脱力したのか、後ろに卒倒しかけた。そこをゼンタ嬢が支え、立ち直った彼女はあえぐように白糸の滝に戻っていった。

 そして滝の水を再び受け止めはじめる。すると、フロリアンがふっとやわらかなため息をつき、ゆっくり両手を上げた。時同じくして、冷たい風が川面をかけ抜けていき、小さな波をたてた。

 もやが晴れると青空が広がった。川は雲を映した暗い灰色から、きれいな碧色へと変わってゆく。

 視線を上に向けると傷だらけの断崖の上が銀色にまばゆい。

 なにか、いる。

 崖の上からなにかが、それも複数が私たちを見下ろしていた。歌っていたタカラ〇カな彼女たち、のようだ。ゼンタさんと関わりがあるがゆえだろうか。

 しかし、他にもなにかいる?

 かなり距離が離れてるのに姿が判別できる。銀色の髪にヒゲもじゃ、赤いロングウェーブの女や、太鼓腹のおっさん、鎧に身をまとったグループ。エトセトラ、エトセトラ。荘厳な光をまとい、オーラってのをぐるぐる何重にもまとっていて、その存在感たるや圧倒的だ。

 声を失いそうになる……と思ったらひとり空気が違う存在が……うわあ、橘先輩やん。


「ひでーなこの現場。計画破綻もいいとこか。こんだけ見物の現地神いる中で派手にやらかしとうし、現行犯でさしつかえなくね? 藤生ちゃん」


 橘が空気読まないノリで話す一方、彼言うところの『現地神』たちは一様に静かにたたずみ、なりゆきを見守っていた。

 フロリアンはふっきれたように高笑いし、そして問う。


「さあ、どう幕引きをするつもりですか。魔界の裁判長閣下」

「おれの花瓶やけど」藤生氏が一度くしゃみをして続けた、「他人さんの土地やから遠慮して持ちこまんと置いて来たはずが、どういうわけかあのお侍さんらが持っとった」


 安賀島大地が御座船の楼閣からひょっこり顔を見せ、手を上げた。

 彼はお侍さんではないですよ。というツッコミは、あとで直接ぶつけることとしよう。


「あんた、どういう経緯で手に入れてお侍さんに横流しした?」


 フロリアンは険しげな目線を足もとに向ける。


「それは、言えない」


 しんと、沈黙が流れる。

 あの音だけが耳に響いている。木々がぶつかりあい、きしんでいる破壊音が。

 逃げなきゃ危険ってことを思い出すんやけど、なぜか聞き逃したらマズい気がする。このまま逃げたらやりとりを見逃してしまう。動けない。


「あっそ」珍しく藤生氏は口の端で笑う、「義理堅いタイプなんや」


 フロリアンは足もとを見つめたまま、くちびるを結ぶ。

 義理。だれかとの?

 なにか秘密があるのだ、花瓶には。なぜかフロリアンが手にし、そしてスミタカさんが手に入れ、安賀島大地がその呪を使って彼の船団を動かした。花瓶をめぐっては他になにかがある、のかも。

 でも藤生氏はそれ以上追求しようとはしない。


「幕引きやけど。騒ぎにならん前に現状復帰してくれたらええんで、後処理はここの主らに任せるつもり」

「幽霊船で徒党を組んで……」

「みなさん好きで集まったんやろ。あの証人はそう言うてたけど」


 スミタカさまは扇子を優雅にあおいで証言する。


「海に出るのはわれら自身の積年の大望」

「そゆわけで、実現もしとらんあんたの妄想なんぞ知ったこっちゃないわ」

「なぜ不問に伏す? 私は」


 フロリアンが疑わしげに尋ねるのに、


「しつこい。めんどくさいやろ」


 と、はじめて藤生氏は感情らしい感情をあらわにした。眉間にしわを寄せて、怒っているのか、不満たらたらだ。

 にしても、いいかげんでやる気ゼロっぽいけど。それでいいんだろうか。

 でも私には判断しようもない。

 ともあれ、藤生氏は自分で攻撃せず、フロリアンの攻撃をそのまま受け止めて、ことごとく解いてしまった。なにをしても無駄だと証明してみせたのは、これぞ王者の攻撃?

 単にめんどうくさかったから、って気もするけど。

 どっちにせよ、藤生氏のボケ……じゃなくて勝利宣言に、くすぶる復讐の煙はいつの間にかどこかへ消え失せてしまった。リスト上位にランクインするほどメラメラ怒りに燃えていたのに、すっかり忘れ去っている自分にいまさら気づくのだった。

 ところでメラメラ燃える、といえば。


「まだ船にいたのか!」


 私の腕を引っぱる人をふりかえる。


「ヴェッケン船長さん」

「早く逃げなさい、さもないと」

「は……」


 はい、とも答えられずに絶句した。

 一件落着なんてのんびりしている場合じゃなかったのだ。

 船長の背後で大きな火柱が上がった。駆け抜けた風にあおられ、急激に炎に包まれたのだ。そして私たちの頭上めがけて、火だるまとなった帆が落ちて来た。

 岸辺で女の叫び声がする。

 ――逃げなければ、さもないと静かな深い闇の底へと……。

 ゼンタ嬢……?

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