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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
139/168

19.名もなき氷の海で〔3〕

 布を裂いたような音。

 と勘違いするような、かすれた叫びが甲板の床を小刻みに揺るがした。

 あまりの耳障りの悪さに反射的に両手で耳をふさいだ。でもあまり意味はなく、耳の骨の振動を通して音が脳みそに伝わってくる。

 吐きそう。

 今までのカンヅメ攻撃だとこんなことなかったのに。


 ああもう、耐えられんわ。無理!


 ……やがて「悲鳴」らしき音は止んだ。床も、本来の船の揺れだけになる。


 私はいつの間にか目をふさいでたことに気づいた。ゆっくりと目を開く。と、モノクロームの視界の中、白装束が無造作に転がり、いやうつぶせに倒れていた。


「け、景童子」

「そんなちっぽけな缶詰に、私が入ると思っているのかい」


 すぐ背後からささやかれる。背筋が凍った。

 ふり向くと美形の顔――見覚えがある。フロリアンだ。涼しく笑っている。

 どこからどうやって現れた、と思うや一言。


「消えろ」


 目の前で、ふっ飛んでいった。

 なにが?

 久瀬くんだ。

 彼のからだが船べりをのり越えダイブ。まもなく、ぽしゃーんと妙に遠い、情けない水音が聞こえた。

 なにが起こっているのか全く分からず、私はぼう然と座ったまま固まっていた。

 声も出なかった。息つぎさえできなかった。


「日本の苅野で会った」フロリアンが私に微笑みかける、「少しこわばった顔を見せていた。一瞬だったけど、見逃してはいないよ。君は藤生皆の仲間だろう?」


 海に、投げこまれた。


 ようやく頭が動き出す。

 こんな凍える水にほおり投げられた日には――映画『タイタニック』で言ってた、ナイフで突き刺されたような痛みに全身がおそわれ、なにも考えられなくなる、と。

 すぐに助け上げられたらいいけど、この船にはそんな余裕はない。マストの火はいまだ消えないまま。それに厄介な放火魔を助けるいわれもないだろう、幽霊船員にしちゃ。

 また、思考が停止する。

 どうしたらいい。

 どうしたら。

 ただひとつの問いかけだけが頭の中でぐるぐる、ひたすら回りつづけたままで。なすすべもなく、身動きもできず。

 分からない。

 なんとなく分かるのは、次は私、ということだけ。

 やっとの思いで金切り声を上げるだけが、私にできたことだ。


「いややぁ!」

「おっと」


 ようやくしぼり出してはり上げた叫び声も、顔を手で押さえこまれ、封じられた。乱暴な扱いで鼻がぺちゃんこになりそうだ。ひたすらもがいた。でも動きを封じられている。さらに腕も拘束された挙句、またしても耳元でこう告げられたのだ。


「助けを呼ぶんじゃないよ。私の息子が彼を頑張って足止めしてくれているのだからね。ここで召喚されたらたまらない」


 ……ちと待て。

 助けを呼べばよかったのか?

 助けを求めれば、藤生氏が来てくれたっての?

 もしかして。

 私は再び、力のかぎりもがき暴れた。腕をようやくふり払うことができたから、頭突き、ヒジ打ち、背負い投げの連続攻撃を試みる。だけど背負い投げは有効さえほど遠い、哀れなつぶされ方をした。

 しかし。半身で床にはいつくばったこの状態なら。


「藤生氏っ!」


 と叫んで呼ぶには十分だ。


「藤生氏、ふじおかい!」


 思いつくかぎりの呼び方を試していった。


「じょうしゅさまっ、藤生氏!」

「あははは!」


 フロリアンは高らかに笑った。

 そして私の頭を後ろからつかんで床に押さえつけた。


「ふぎゃっ」

「盟約に必要なのは誓約の言葉とお互いの真の名。『フロリアン』なんてセンスも思い入れもない名を名乗るのは、それを隠すため。そんなことも知らずにここまでたどり着くとは、たいしたお嬢さんだよ!」


 真の、名。

 藤生氏の、藤生皆、じゃなくて。

 フロリアンが『ロキ』というように、藤生氏にも別名ていうか本名があるわけですか。神様名、みたいな。じょうしゅさま、とも違う。

 そんなん、知らへんよ。

 自分が情けなくなってくる。そういや一度も聞いたことないな、って。

 なんで教えといてくれへんかったよ、藤生氏のアホ。なんで聞かなかったんだろう、私のアホ。

 久瀬くんだったら知っていたかもしれない。それを思うと、吹っ飛ばされるのは私のほうが良かった。私はなにも出来ないから。久瀬くんなら、このままで済ませはしないだろうから。

 涙が出る。

 とめどなく。止められない。


「さあ聞こう。ゼンタはどこだい」


 しかし……敵のセリフに私は嘆き節をとどめた。


「ゼンタをどこへやった」


 もしやこいつ、ゼンタさんの行方を知らない。今まさに彼女のもとへ向かおうとしているのに。分かってない?

 泣いている場合やないぞ。

 どう答えたら、いい?


「どこへ隠した」

「し、らない」

「ヴェッケン船長!」


 フロリアンがどんな顔して呼んだかは知らないが、ヴェッケン船長は動転していた。さらには航海長さん、横でぶっ倒れてるし。


「私は……」

「この船の行く先にいるのだな。彼女は」


 ああ、船長。バレちゃうし。

 がっくりきて、わが人生最期の風景を目に焼き付けようとあたりを眺めた瞬間、驚いた。

 船から見える風景はデジャヴのようだ。天からこぼれ落ちる、一筋の白いクモの糸のような滝。まさしくここは。


「おめでとう、キャプテン・ヴェッケン。そうさ、ゼンタは私の元を逃れたんだ」


 うっ、どこやったっけ?

 頭が混乱しまくっている。ついさっき、見たはずだ。


「彼女に出会い、手に手を取って天に召されれば、ようやく君たちは、君たちの定めから逃れて『悲劇的なハッピーエンド』を向かえることができる。こたびの劇の幕引きはもうすぐそこ、というわけだ」


 そうだ。

 思い出した。

 ゼンタさんと謎の女シギンのいる、滝、毒の。

 背後では記憶の巻き戻しを邪魔せんばかりに船長とフロリアンとの話がつづく。


「しかしそうはいかない。君はあるべき場所に縛られない、貴重な船。私の大事な戦力なんだよ」

「私とこの船を、解き放ってくれるのではなかったか」

「解き放つ?」

「永遠の航海から、解放するのではなかったか」

「そんな話、知らないな」

「やはり貴方は信用ならなかった!」


 ヴェッケン船長がさっと長細いものを床から取り上げた。

 寸時、があん、があん……連射で発砲かよ!


「ひあぁっ」


 悲鳴をあげずにはいられない。

 さらにはフロリアン、私の首をつかんで立ち上がらせのたまう。


「おいおい、その立派で時代遅れのマスケット銃、ちゃんと使ったことがあるのかい。こんな至近距離でかすりもしない」

「殺してやる!」

「ゲストにしっかり当ててくれよ、偉大なる船長! 人間をこの手で殺すと、ますます私のポイントが下がるんでね」


 苦しい。真綿で徐々に絞めあげられている。

 もはや前後不覚にキレたおっさんにツッコミ入れる気にすらならない。今度こそ、どうしようもなく私は追いつめられたのだ。極悪非道冷酷無比な美形氏に人間の盾にされ。久瀬くんは凍れる海の藻くずと消え、藤生氏は呼べども答えず。橘は……今から電話する余裕なんてないし、そもそも頼りにならない。

 もうムリ。

 船長に撃たれるか、こいつに絞め殺されるかのどっちかだ。

 異国の地でこの世からおさらばか。

 次々に顔が思い浮かぶ。

 おかあさん、おとうさん、ケージ。家を出たのはいつやったかな、もう季節感さえ分からない、ごめんなさい。かのん、なつき、せりちゃん。なつき、病院に運ばれて大丈夫かな。鹿嶋くんがいるんだし大丈夫だろう、きっと。だれかさんと違って、うわべだけでなく芯からええ人やったなあ。藤生氏、いったいどこいったんだろ。もし私が良きタマシイで価値があったなら、藤生氏が「管理」とかいうこと、してくれるかもしんない。どういう状態なのかは分からないけど。それと久瀬くん、三途の川の手前あたりで待ちあわせでもしとけばよかった。また天国地獄、あの世のどこかで会えるかな、会えたらいいな。

 と思ったその時である。

 景童子が横から飛びかかって来たのだ。

 フロリアンはかわしたが、私の首を絞める手がゆるんだ。そのスキに私は逃れ走り、船べりで倒れこむ。空気を求めてごほごほ、きこんだ。頭がモウロウとし、冷たい空気を吸いこんだ胸のあたりが気持ち悪い。


「早う逃げよ!」


 景童子……私は走り出す。船の中だからとりあえず船尾に向かうしかない。

 と思っていると、思いっきりコケて、おでこを打ってしまった。


「痛ーいっ」

「こざかしいまねを。今度はもっと苦しませ……」


 フロリアンがなんともいえない冷酷な笑顔で腕をふり上げた、そのとき。

 なんだなんだ。

 突然、フロリアンは胸を押さえ、苦しみだしたのだ。

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