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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
137/168

19.名もなき氷の海で〔1〕

「では、彼女は無事にいるのだね」

「おそらくは」


 私の答えにヴェッケン船長は胸をなでおろした。

 そしてようやく私の質問に答えてくれた。


「我々は今から、あの中を航海する予定にしている」


 船長が指さした先。そこには高い崖がふたつ、門のように並んでいた。その間を進むというのだ。

 久瀬くんは感嘆の声をあげた。


「フィヨルドかぁ。めっちゃすげー」

「ふぃよるど。ってなんやったっけ」

「氷河の侵食によってできたリアス式地形、って入試の社会の問題に出たよ、お嬢さん」

「覚えてませんっ」


 横から景童子が哀れむような目を向ける。


「中学一年の地理の問題であろうが。愚かな」

「ほっとけ!」


 船長さんは私たちの知的漫談を完全に無視。船をガンガン進めるよう、航海長に指示した。数時間で適切かつ効率的な私たちへの対応方法を覚えたようだ。そして前を向き、風を背にして立っている。

 久瀬くんと私は船長から数歩退いて、大きな箱の後ろに身を沈めた。後ろからの風が強いのだ。強すぎて前に飛ばされて、さらには転がっていきそうだ。そんなわけで、風除けのために箱に隠れていた。これでも船の中にいるよりマシなのだ。どんな魔力なのかは分からないが、船長の近くにいないと寒くてたまらない。逆に近くにいると寒さもまぎれる。

 一方、景童子はスミタカさまより預かったコンパス監視のため、船長から離れず目を光らせている。


 海の門が近づくにつれ、大きく複雑な岩肌がはっきり見えてきた。

 二対の女神像。

 想像をはたらかせると、確かに見えないことはない。

 女神の視線をかすかに感じたのは、私の空想が豊かすぎるんだろうか。見守られているのか、見張られているのか。妙に緊張感をおぼえつつ、切り立った断崖絶壁の間を粛々と船は進む。


「フィヨルド、思い出した。藤生氏がホテルで会った夫婦が観光に来てたんよね」

「豪華フィヨルド・クルーズ・ツアー。四〇万円コース」


 久瀬くんの知識の幅はツアー相場にまでおよぶのか。


「私、そんな老後をすごせる老夫婦目指したいな」

「老いるまで待たんでもほら、今まさに幽霊船で逝くフィヨルド・ワンダリング・ツアー」

「逝っちゃあかんでしょ」


 霧が濃い。上の方、崖のてっぺんが見えない。

 ゼンタ嬢視点らしきモノローグのとおりだ。奥へと進むにつれ、垂直に切り立った壁の間は霧が濃くなっていった。まるで空は白い天井だ。ときに白いもやとなって船にまとわりつきさえする。


「この奥に彼女、ほんとにおるんかな」


 と私がつぶやく。

 久瀬くんは確信をもって答える。


「今までハズレはなかった」

「ん。まあ、そうやけど」


 夢は幻でなく事実でありつづけた。

 でもやっぱり不安。最後の最後にウソ、なんて展開も絶対ないとも言い切れないし。


「ええと、彼女と、いっしょにいるシギンという女の人を保護すればええんよね」


 と確認・復習する私に久瀬くんはおごそかに答えた。


「そうすれば、チェック・メイト」


 それは橘の締めのせりふだった。『マイ・スイート・ハニー』のすぐあとで、ただ結論だけ一方的に告げてきたという。どういう理屈でそうなるのかは明かさずに。

 んで、藤生氏はどこに。その答えもなく。


「右一四度、五五フィート浮遊物、接近」

「絞帆」


 命令を下しているのは船長さんの横にいるヒゲおじさん。航海長のウィレムさんという。

 進行方向を見る。確かに浮遊物、白いものが水面に存在する。


「あれ。船、かな」

(まが)つ気を発しておる」


 景童子は険しい顔をした。

 久瀬くんが微妙に顔をしかめて、


「てことはあれも幽霊船か」

「転回用意!」


 ウィレム航海長の声がとどろいた。細くて今にも干からびそうな外見なのに、意外としっかりした声だ。

 船は針路をななめに変えた。反対側の岸に向かっている。


「回避するんかな。ケイくん」

「身の程を知り賢明、と言いたいが」


 景童子が舌打ちしたのは、久瀬くんに『ケイくん』呼ばわりされたからではない。明らかになにかヤバいことがおこりつつある、と予見したからだ。

 壁面のラッパから絶叫があがった。つづいて、


 不明船複数!

 後方、左手に浮遊物発生!


 と不穏な伝令が次々となされている。

 後方から怒鳴り声も聞こえてくる。


「船団です!」


 私の中途半端な〇.八の視力でも見えてきた。

 白いもの、船は一隻ではなかった。翠色の水面に白い帯を広げたように、帆船がずらりと並んでいた。確実に行く手をさえぎり、この船の針路をはばむ。

 再びラッパ型通信装置から絶叫があがる。のどが詰まったような声で、


「背後に黒い船団!」


 久瀬くんも私も、いっせいに身を乗り出して後方を見た。


「寒っ!」


 といいながら、彼も私も、ああ、とため息。

 後ろにも白い帯が水平線に沿って横並び状態。もしかして、はさみこまれたのか。

 あんまり寒いのでやっぱり箱の後ろに戻って縮こまって、


「あれって敵なんかな」


 と、あえて聞いた。

 そうじゃなけりゃいい。違うという答えを期待してみる。

 しかしくそ真面目な景童子は、見事な空気の読めなさをあらわしてくれた。


「この禍つ気、歓待されてはおらぬだろうな」


 あかんやん。どうすんの。


「総員、船体内側へ入れ!」


 ヴェッケン船長が命じると、いっせいにデッキから人……じゃなくて幽霊船員さんたちが消えた。船長の横にいたウィレム航海長もいない。


「隠れろと言っているだろう」

「離れすぎると寒い」


 好きにしろ、と船長が吐き捨てたらば、灰色の空がぐにゃりと曲がった。その折り目からは油がにじみ出たようになり、やがて空はマーブル調の筋目模様となっていった。それはあまりに不自然で非現実的で怖かった。が、怖さに負けないように、うわぁきしょいっ、と不愉快さを茶化してみせた。

 久瀬くんのようすをうかがう。と、彼は棒立ちで絶句していた。


「素敵クルーズ・フィヨルドの海が」


 海面は激しくうねり、やがて渦を巻いた。渦の外側からさかんに泡しぶきがあがり、やがて円形の渦も形を変えてゆく。なにが起ころうとしているのだろう、とぼう然と見守る私たちの目の前で、水面に亀裂が走り、やがて海が……割れた。

 それはまるで映画『十戒』の世界。旧約聖書の世界。

 モーセはイスラエルびとを率いてエジプトを脱出し、約束の地カナンへと向かっていた。しかしその行く手を紅海が阻み、エジプトの軍が彼らを追いつめる。ここで捕らえられれば、彼らはもとの奴隷生活に逆戻り。いや、それならまだいい。一度逃げた奴隷は、前よりひどい扱いを受けるだろう。

 そのとき神はモーセに告げ、モーセはことばに従った。



 モーセが手を海に向かって差しのべると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。(『出エジプト記』14章)



 私たちは、救われるんかな……。

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