18.ヒロインはかく語る〔2〕
「ところでゼンタさん、切実にお聞きしたいんですけど」
「なに」
「ここって、どこ」
彼女も私も空を見上げた。灰色のうず巻きを描く空。
周囲を見渡した。延々と果てなくつづく、白い地上。
もし風景画を描くなら絵の具は白と黒だけでOKだ。モノクロームで構成された、抽象画チックな平面と線の世界。そこに異質なものは二点ある。ゼンタ嬢と私だ。
あたりはしんと静まりかえっている。音さえも塗りこめられたようだ。
そんな中だからか、
「さあ」
と自動翻訳された返答は脳内で反響し、倍増しでへこむ。
でも、めげない。
「さあ、ってねぇ」
「この世のどこかには違いないでしょう」
なんだろうか。この事態の受け取りかたの違い。マリアナ海溝より深い断絶感。
「でも見て。彼女たちがいる」
彼女たちって。
ゼンタ嬢が手をのばした先には、妙な格好をした三人が立っていた。ヒラヒラの白い布をまとい、肩や胸に銀色に輝くお皿をつけている。今からタカ○ヅカのレヴューでもおっぱじめるのかというような、すさまじくきらびやかな衣装だ。金に輝く長い巻き髪は、お蝶とかポンパデュールとかお呼びしたいくらいのビックリ度であった。
「お知り合いですか」
知り合いだったらすごい。
「あなたも見える?」
「今まさに」
しかもすごい存在感やし。
「私、昔からよくこういうのに会うのよ」
「それは災難なことで」
ゼンタ嬢はやわらかく微笑む。
………あ。
これって失言やん!
私はあわてて謝った。
「ごめんっ、ヴェッケン船長さんは別やから」
「彼と出会ったこと、それは確かにとんだ災難ね」
笑顔のままだ。リアクションも皮肉ではなさそうに思える。
私と目が合うとゼンタ嬢はやや首をかしげた。少し物思いにふけるようにしていたが、やがて私にかく語るのだった。
「でも、ヴァンと出会えたから私は逃げることを自分に許すことができた。そして今は私は抵抗し、立ち向かっていいんだとも知った。だれのおかげと思う?」
「えーともしや私、ですか」
「あなた、そしてカイ」
私はともかく、藤生氏なら分かる。
たぶん、いやきっと、藤生氏はゼンタ嬢を助けようとしていたんだろうから。だけどゼンタ嬢が逃げようとしていたのは、なんなのだろう。家出したのは船長さんに会うためだ、そう私は思ってた。でも『逃げる』そして『抵抗』。船長さんへの恋ゆえの家出行動ととらえるには、少し違うように思える。
「彼女たちには今、初めて会うけれど」彼女は立ち上がった、「お願いです。私を行くべき場所に、彼女を帰るべき場所に……」
初対面でいきなりお願いとは図々しいにも、とつっこむ間もなく。
金髪の『彼女たち』がふわり、浮きあがる。そよ風が彼女たちを追いかける。小さな雲も風に乗り、彼女たちを包みこむ。
まるで羽衣をまとい空を舞う、天女のようだった。金色の粉をまいたような。
彼女たちは神様か天の御使いか、いずれにせよ人でないんだ、と今さら思う。と、その考えを裏付けるかのごとく、空の灰色が二つに割れ、すき間から白い光が差しこんだ。彼女たちは光をまといキラキラ輝いていた。中でも手もとが黄金色にまばゆい。短剣だ。彼女たちは腕をのばし、自由の女神よろしく短剣で空を指ししめした。
すると白い大地がふるえた。
私の視界はぐるり、と回った。
やがて……ぼうっと目に映ったのは、真っ白な小さい丘。そして大きな大きな木が一本。太陽の光に鮮やかに反射する、その緑の下には、人がたくさん寄り集っている。
平面モノクロ世界に、そこだけが鮮明写真画質。
あそこは一体、と思う一瞬で、幻のようにかき消されてしまった。
一転、闇。
「うそっ」
あせりを覚えてあちこちふり返ってもなにもなく、ゼンタ嬢さえいない。
どこへ行ったのだろう。
そしてこの暗闇は。
天国から地獄へと、私だけ突き落とされたのかしら。
たちまち恐れにとらわれかけ、うち払おうと頭をふった。なにがあってもおかしくないのだ、次にまた絶望を打破する(都合のいい?)新しい展開があるに違いない、今までそうやったやんか――強く、自分に言いきかせる。
少し落ち着いたころ。
ふと、気づく。
かすかに耳もとに届くのは、歌。
私は耳をすました。
いずれからだろう。穏やかな風に運ばれる旋律。
――蒼く茂ったとねりこも今は朽ち果て
――今はもう荒れた岩に運命の綱を掛ける
――私たちの撚る運命の綱は……
ぼんやりと、光る線が現れる。
細くまっすぐに、どこまでも続く地平に伸びていく輝く。
「運命の綱って」
むしろクモの糸。今にも切れそう。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』って小説あったよね。細いクモの糸を頼りに地獄からはい上がろうとした主人公が、同じ糸にしがみつく亡者たちをにケリを入れていると、糸がプツンと切れて、もとの木阿弥。
同じならかなりイヤだ。
フシギ展開にも感激度は限りなくゼロ、ツッコミ至上主義な私だった。ていうか私もずいぶん警戒心強くなったもんだ。
するといきなりのこと。
きゃああ、と叫んだのはあのキラキラコスプレ御使い様たちだ。
なんだ、と思う間もなく私にも強風が襲いかかる。吹き飛ばされそうになるのを、顔を下げ地面にうつ伏せで丸くなってこらえる。が、生ぬるい重たげなモノを横っ腹に叩きつけられ横転しかけて、
なにすんねんこらぁ!
と、ひたすら心で叫んで顔を上げる。
……犬。
じゃなくて。こいつ、フェンリルとかいう狼だ。
どうしてここに。
と突如現れた狼に意識を集めたとたん、私はついに吹き飛ばされた。
「降りれん船がこの世にあるかいボケ犬」
その声は。
「藤生氏!」
また、人が逆立ちしている。
でもその人は藤生氏に違いなかった。黒いモッズコートと黒いワークパンツ。
目が合った。彼ははじかれたように手を伸ばした。私も手をのばしかえす。
彼はなにかを叫ぶ。
でものばした手は届かずに、
――あまみや……。
私の名を呼ぶ声だけが届いた。
そしてそのまま、またしても目の前は闇に閉ざされる――。