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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
120/168

16.木の葉に宿る露〔5〕

 再び暗い空の下、ぬるくて痛い雨に立ち向かう。


「ひと差し、献じましょう」


 舞をひと差し、つまりは踊りますって話だ。

 演出するなら本格的に、とは小波さんの提案。小波さんに舞ってもらうことにした。自分でタネまいといて丸投げでってのは、多少気が引けるけど。

 ともかく私、天宮は今、小波さまである。

 私じゃない「私」は両手で木の枝を持った。敵方少年から小道具として借り受けた。ゆるやかに、私は両腕を体の前に上げた。そして水平にぴんとのばしたところで、ぴたりと止める。


  かけまくも かしこき

  すめらかみを はじめたてまつり


 まるで百人一首の朗詠者みたいに歌う。雨にも負けはしない。

 ……私の声って、こんなによく通ったっけ。


  たかおかみ くらどの

  いかづちのおかみ

  みくまりのかみ

  あめのくひざもちのかみ

  くにのくひざもちのかみ

  あまつかみ やおろず 御前に

  かしこみ かしこみも 申さく


 船が大きく揺れた。

 傾きかけた体をひねり、軽く半回転。くるりと回って、軽やかなステップ。

 本当は倒れそうなところをこらえた。つま先とひざがしびれているけど、苦痛はかけらも見せはしない。

 ぴたり、と足をそろえて直立。ゆっくりと両腕を上げ、肩の高さで横にのばした。

 視線の先は船の先にあった。

 白波と水しぶきが上がる。甲板は常に傾きを変えていた。

 それでも直立不動。

 こんな不安定な場所で綺麗に舞おうというのは強靭な足腰が要る。小波さんの精神力のタマモノ、でもベースの私も悪くない。小学校までの柔道とサッカー、今もつづけてるジョギング・スクワットが効いている。


  この頃 雨雲覆い 雨やめずして

  はなはだしき 風 船をなぎ

  海の民 憂い嘆きて

  安からず さまよいたる


 風は前より強くなっている。

 さっき回ったとき一瞬だけ、橘先輩の姿が見えた。

 結局、彼は手伝ってくれることになった。そのいきさつを思い出す。


「お手伝いしてくれますよね」


 橘先輩はうんざりした顔で久瀬くんに言い返した。


「ちと待て。くれますよね、て。そやから風は」

「船に致命的な影響を及ぼさん加減がどのくらいかくらい、先輩なら十分わきまえとうでしょ」


 久瀬くんはさわやかにイヤミを言ってのけた。


「いや、でも」

「だめですか。なら今すぐロシアか中国に行って来てください」

「ロシアて、なんやそれ」

「雲を消す薬剤があるそうなんですよ。降雨は困るイベント時にはその薬を空に撒いてたそうです。軍事パレードとか、G8とか、最近ではオリンピック。熱帯雨林気候下での効果は未知数やけど、使えんこともないかなと」

「クスリぱちって撒いて来い、てか」

「どっち選びます?」

「なんで二者択一やねん!」


 橘はどつきツッコミのあと、小声でぼやいた。

 やっぱオマエ、キライ。

 でもしぶしぶカバンに手を突っこんだ。手のひらにはビー玉ひとつ。ランタンの火を映し、玉虫色の光を放っていた。


 雲は、猛スピードで流れていく。

 今までに見たことがないほどの、不自然さすら感じる速さ。そう思うのは私――正確には小波さん――が動き回っているからだろうか。

 目まぐるしく景色は動いていく。


  われ 大神の御前に

  雨やましめたまえと

  祈り申しき 御前に


 視界のはしからまばゆい光が差しこんだ。


  しかるを祈り申ししも

  しるさく 能く

  雨やましめたまえることを

  貴びいそしみ ゐやび

  また 幣帛を捧げ持ちて


 周囲が明るくなってきた。甲板に私の影が現れる。

 影。太陽が……?


  称えごとをへ まつらくを

  平らけく 安らけく

  聞こしめせと

  かしこみかしこみ 申す


 白と灰色の重なり合う雲の間。ひときわ明るい光がこぼれている。

 その光はまっすぐな道となって海に届き、道の終点、水面は、空が明るさを取り戻すのに応え、きらきらと輝いた。

 天女が舞い降りてくるように。

 道はいく筋も伸び、互いに溶けあってひとつになり、青い空が拡がっていった。

 どこからか聞こえる。


「……海鳥じゃ」


 みんなそろって空を見上げた。


「お天道様が見ゆる!」


 小亮太さんは空を指さし、マストの上へとよじ上った。

 つられて周囲も口々に声を上げる。


「嵐がやんだぞう」

「晴れたぞ、晴れたあ」

「島も見ゆる」

「だまされてはならぬ!」


 あの少年だ。

 周囲は彼に注目する。そして私にも注目する。

 激しく挑みかかる視線。私は内心落ち着かない。でも小波さんは堂々と彼を見つめ、次の言葉を待っている。


「逆に確たる証左であろうが。かの者が雨を呼び嵐を招いたという」


 んなアホな。

 てゆか、結局どうなろうといちゃもんつけるつもりちゃうの。


「でも晴れましたよ」


 すうっと人だかりから抜けて出た。

 それは彼、久瀬くん。風邪の諸症状は見る影もない。ゆうゆう周囲を見回した。

 みんな彼に注目する。


「望みどおり今、天は嵐を払い、この船は日の光を受けています。これは彼女の祈りが天に届いた証拠。どこに非難する余地がありますか」


 久瀬くんは言い終わると一瞬だけ、視線をちらつかせた。

 それが目配せで、だれが相手かはすぐに分かった。安賀島大地だ。


「そりゃ昔は、いや今でも魚の網を触らせないところはあるけどさ。

でも若殿の考え方は――この船の装備をみんな思い返してくれよ。LEDランタンで火を使わず安全で明るい。舵は古来のもんじゃなく新しい、引きが楽なものにした。火器もすべて後の時代のものにし、若自身はあらゆる時代の戦略をすべて知識として学んできた」


 とりかこむ水夫さんのひとりがうなずいた。


「お陰で一から芽衣川で仕込み直さされたがな」

「若がこれを使えばもっと強くなれる、とおおせになられたから」

「実際、西洋船との戦いは強かった」


 伝左さんが納得とばかりにうなずいた。


「いくさもそうだが、先刻の嵐とて、元来の船では耐えられなんだろうよ」


 御目見得の武士たちはいずれもそうだろうな、と認めていた。連結するとなりの船の甲板から右近さんが笑って返した。


「この船は若殿と船大工三郎の知恵と技量と意地の結集。嵐に負けるものか」

「それも小波さまあってこその意地だがのう」

「伝左、よくこんなところではっきりと言う。少しはわきまえんか」

「今、若いないから平気だって」


 側近どうしのフランクな若殿ネタ、すごく面白そう。

 そして大地がもうひと演説。


「どうだわが祖、安賀島神官衆。過去にとらわれず良いものは進んで受け入れる。それがこの水軍の強さで、若のやり方だ。毛利水軍を破った鉄甲船もこの船もその証だろう。その若が彼女を乗せたんだ、考えあってのことじゃないか」


 みなさんいつの間に結託したんだろ。

 右近さん伝左さんまでグルなのがすごい。

 幽霊さんたち、大半は話を聞いて納得してくれているようだ。ていうか納得してくれ、全員。頼むわ。

 そんなことを思っているとまた突然、役者が変わった。

 マストの上で小亮太さんが指をさした。


「みなさま、あちらをご覧あれかし!」


 指し示した先は船首方向、はるか水平線に見えた島。

 そこから船団と同じ船が二隻、姿をあらわしたのだ。ゆっくりその船は近づいてくる。


「若殿ご帰還!」


 今まで私を見物していた周囲の船の幽霊さんたちすべて、我も我もと帰還する船を見ようと向かっていった。

 間もなく主船とふたつの船がつなげられた。

 右近さんが出むかえる。


「若、ご無事で」

「うん。みなも無事かな」


 本日はターバン巻きのスミタカさま。御座舟へ軽やかに飛び移り、


「なんだなんだ。全員で出迎え」


 と不思議そうに首をかしげると、わあっと喚声がわき起こった。

 少年の非難に耳をかす者はもはやいない。お祭り騒ぎで喜び、はしゃいでいた。

 そんな中、久瀬くんと橘先輩と安賀島大地は一歩引いて見守っている。むしろ、取り残された少年にあわれみの視線さえ向けていた。


『……天宮はるこよ』


 呼びかけられて気づいた。

 腕が自分の意思で動く。小波さんはすでに頭の奥にひっこんでいるらしい。


『頼まれてくりゃれ』


 私は当然同意した。

 そして彼女が伝えるフレーズを詠みあげた。


  海にます

  神の助けにかからずは

  潮のやおあいにさすらへなまし


「おかたさま……」


 少年は魂を抜かれたかのように崩れおちた。

 語らずとも景童子という少年は歌の意味を分かっていた――だれのせいでもなく、ただ、海の神様の助けがあったから。

 みだれた髪もそのままに、私に向かって彼はつぶやく。


「申しわけござりませぬ……おかたさま……」


 私は手にした緑の枝をかかえた。

 木の葉の中、雨露はきらきら輝きをたたえていた。

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