16.木の葉に宿る露〔3〕
「女は乗せぬ」
幽霊たちが口々に言う。
「女は雨、風を呼ぶ」
「女は古来、船には乗せぬ。海のきまりぞ」
「くだらねえ!」安賀島大地が大声でさえぎった、「んな迷信で大騒ぎすんな、バカバカしい」
「安賀島衆はいにしえの固陋を未だ守っておるのか……さすが神官の末というか」
小亮太さんはあきれるやら感心するやら。同時代人でも考えは違うらしい。
「きまりは、女の人全般のこと言うとんの」
「貴様のせいじゃ! 船から去れ。さすれば嵐がおさまる」
一人がそう吐き捨てた。
なんで断言するのかとやり返すのもおさえ、言い分を聞こうとした。
「この嵐にて安賀島衆の船が行方知れずとなった」
「それ、ほんと」
大地にたずねると彼はすばやく答えた。
「GPSで居場所はわかる。澄隆が海難救助隊組んで向かった」
「嵐を呼びこみ、船を失わせたのだ」
「あまつさえ晴乞う祈祷を忍び見、穢れを招き、わが祈祷を遮った」
「われらの船が帰らぬそのときは、そなたを血祭りに上げてやる」
「もういいだろ」
安賀島大地がまた口をはさむ、
「あんたもいいだろ。あとで事情は教えるから、奥に戻れ」
「私がお天気なんて変えられるわけないやん」
「貴様のせいだ!」
「だからっ! なんでっ」
「昔はそうだったってだけ。いくら聞いても無駄。だからあとは若にまかせ……」
「晴れにしたらええっしょ」
「おい!」
「晴れたら、私のせいやないて、認めてくれるんやんな」
少年は言った。
「認めよう」
「嬢ちゃん、正気かい!」
小亮太さんが叫んだ。
安賀島大地は口を開いたままなにも言わない。
そして少年は、
「あっぱれ、晴れを呼んだならば認めて進ぜよう」
と残酷そうな笑みをうかべている。
ムカついた。私は彼を指さし返し、雨風に負けぬよう大声で宣言した。
「その言葉しかと聞いたぞっ。今に見ろ。絶対晴れにしてやる」
「わが前で晴れさせてみせるがいい」
「でも準備するし、しばし待ってて」
「どれほど待てば良い」
「うーんと……二時間」
「良かろう。一刻ののちあいまみえよう」
そして私はどん、とかかとを返した。早足で楼閣に向かう。少しでも時間がほしい。
安賀島大地は後を追っかけてきて、開口一番どなった。
「君はアホか!」
ツッコミというにはトゲがあった。罵声だ。
「なにがよ」
「雨にしたのは君じゃない。んな能力はないと、自身で言っていた」
「そうよ」
「雨にできなくてどうして晴れにするんだよ」
「デストロイヤー橘に頼む。雨雲、消してもらう」
あ、と安賀島大地が声をもらした。
納得したのだろう。あとは黙りこむ。
橘先輩の魔法で雲を追いはらってもらおう――言いあいながら考えた作戦だ。雨を止ませるくらいできるだろう。幽霊船団を瞬間移動できる呪の持ち主で魔法使いで『上主さま』なんやから。
承知させるまで一苦労ありそうだけど。
なに、私の命がかかっているのだ。断られることはなかろう。簡単にはOKしないかもしれないが交換条件は……提示されたそのときで考えよう。
暗い廊下を歩いた。
足を降ろすたび、床がぺっちゃぺちゃ、水っぽい音を立てた。全身ぬれねずみだ。外で風雨にさらされていた時より、実感する。
ランタンをともした。
腕に温かさが伝わる。逆に足もとが少しずつ冷えてきた。
「橘せんぱーい」
数秒ほどのち、あーいとやる気のない返事がかえってきた。
開けてといって素直に開けないクセ者だ。
「安賀島さんもいっしょやねん」
待つこと数秒。
からりと引き戸は開いた。
顔ひとつ分のすきまから、面倒くさそうに顔をのぞかせる。が、私たちの姿を見るなり一度絶句、やがてあわれむような目を向ける。
「うっわぁ……」
「ちと雨がきつくて」
「着替えてこいよ。ブラ透けてんよ」
「透けてないっちゅうに。着替えより先にお願いせなならんことがあって」
タチバナモトイ、思いっきりしかめっつら。
「お願いって」
「晴れにしてほしいねん。今さっきな」
「事情はええ。外、天気大荒れやんな。風も強そう」
「走れないくらい、横風きつい」
私はそう言うと、橘先輩は即答した。
「無理」
「無理?」
聞きかえすと、橘先輩は再度はっきりと回答した。
「無理。物理的に無理」
「ブツリテキってなに」
私は首をひねる。橘先輩は私を見おろして答えた。
「方法としては風で雲をどっかに流してしまうってのが、考えられる」
「うん」
私はうなずいた。橘先輩がつづけた。
「風きつい時にさらに風を起こすってどうよ」
「どうよって」
「高潮で船、転覆するで」
えーと。雨が止むには雲をなくす。雲をなくすには風で流れるようにする。風を起こせば今より強風、高波、高潮。よけいに嵐を呼ぶことに。
いきなり作戦を否定され、私は頭が真っ白になる。
私の背後で安賀島大地がわざとらしくため息をついた。
「船を空間移転できて、雲はだめなのか」
彼も私と同じく雨で全身ずぶぬれ状態のままだ。
指摘を受けた橘先輩、顔をわずかにのぞかせて答える。
「ぶっちゃけ、自然現象の移動はきついわ。このへんのお天気の神様にケンカ売るようなもんやし。今後のこの船のためにも良くないと思う」
面倒とか邪魔くさいとか、そういう個人的理由でゴネているんじゃないようだ。
そうなりゃゴリ押しするわけにもいかず。
……どうしよう。
私の命がかかっているのだと大声で訴えたい。訴えたいけど一方では、矛盾してるけど、それを口にする気にはなれなかった。
橘先輩に頼めば大丈夫、と勝手に思いこんでいたのは自分だ。それを否定されて泣きを入れるなんて、決まりが悪い。
なんだか落ちこみそう。いや、本当に落ちこんでる。
なんだか両肩が重いし。思わず「はあ」とため息が出るし。立ってる気すらなくなる。かかとを返して勢いまかせに、扉にもたれかかった。
脱力半分、中の人間に嫌がらせ半分だ。
べちゃ、と重たい音。ぞうきんを壁に投げつけたときのような、嫌な音。
「私、ぼろぞうきんになった」
安賀島大地が真正面にいる。同じようにべちゃ、とぼろぞうきんのように壁にもたれてる。目が合った。目はもはや死んでる。顔を見るのもいたたまれない。視線を外した。
すると扉ががたがた揺れた。
「外、出るねん」
中から声がした。引き戸を開けようとしているらしい。
扉にもたれるな、というわけね。
背中を離すとマッチをすったような音をたて、扉は勢いよく開いた。
「なにがあっ……」
せりふの途中でおもいっきり咳きこむのは、風邪回復期の久瀬くんだ。
「し、失礼しました。で、晴れにしてくれって」
「騒いですんません。無理なもんは無理」
できるだけお気軽を装い、答え返した。
久瀬くんがメガネの奥からじっと見すえた。
しばらくしてようやく言った質問は、
「今、ここって、どのへんです?」
安賀島大地はやるせなそうに答えた。
「……インド洋」
「インド洋のどのへん」
「スリランカの近海、西南西、百キロ満たず」
またうつむいて黙りこんだかと思ったら、
「天宮さん!」
「はいっ」
条件反射で答えると突然、久瀬くんは部屋を出て速足で歩きはじめた。
ついて来いってことか。
私もまた急いで背中を追った。あっけにとられ、つっ立っている安賀島大地や橘先輩を尻目にかけて。