16.木の葉に宿る露〔2〕
「世話の焼ける女め」
人間からの攻撃、幽霊も痛がるらしい。
少年は苦痛に顔をしかめ、左肩をおさえつけている。左腕をぶらりと垂らし、前かがみ気味になっていた。涼しそうな目もとが血走り、怨念すら感じられた。
一瞬だけ視線をそらした。
一歩ふみ出すと海。水は夜のように黒く見えた。
コップを揺らしたときのように水面は動いていた。船団のほかの船が視界に入る。船は波にもてあそばれ、とんでもなく傾いていた。次々と波がぶつかりあい、白いしぶきが絶え間なく巻きあがり、船はそのぶつかりあいに巻きこまれている。
緊張を解いたら、私は海に吸いこまれ、そして波にもまれ沈んで消えていく……それは絶対にイヤだ。
逃げ場はない。助かるには全員を殴り倒す。私も標準より背は低いけど、昔の人も背は低い。腕も足もこっちの方が長い。絶対、負けるか。
道は自分で作れ!
枝を左手に持ちかえ、ぎゅっと握りしめた。
にじり寄る六人に手当たりしだいに枝をふり回した。
腕をつかまれた。
その瞬間、つかんだ幽霊の顔をひっかき、グーで殴った。それでひるんだスキに奥えりをとって、足払いに大外刈りだ。
そいつと私はまとめて倒れた。
腕からつかんだ手が離れ、私はすぐさま立ち上がろうとした。が、頭上から髪の毛をひっぱられた。
「痛いたいたいーっ」
叫びながらも頭を動かして抵抗した。
するとすぐ、髪の毛から手はすべって離れた。雨のせいだ。
再度、立とうとして今度は足首をつかまれる。さらに両腕をつかまれ、背中、そして後頭部までおさえこまれ、完全に動きを封じられた。
覚悟せいと言われた。が、覚悟なんてできるもんか。
「そのへんでやめとけ」
なんて絶妙な助け舟。ヒロインを危機から救う、お約束の神様、ありがとう!
さてヒーローはだれだ?
「いい光景だな」
声の調子が明らかにからかい半分。
どんな表情で言うとんのやろ。腹立つわ安賀島大地。当然、ヒーローの称号は撤回だ。
「邪魔だてするな!」
「いいけど足もと見れ」
「くうっ」
幽霊たちが小さくうなった。
私を押さえこんでいた力がゆるむ。頭だけは動かせた。
幽霊たち、そして少年は明らかに動揺していた。ひざから下がない。正確にはうっすらと、見えてはいるけれど。彼らは苦悶の表情を浮かべ、恨みがましさを漂わせていた。全体像は見えないが、怨念を安賀島大地に向けていた。
怖いよう。足のないうらめしや。
日本の幽霊、ここにありって感じで。
対する安賀島大地はというと、きわめて軽い口調で返す。
「ほれ、今生から消すよ」
「そなたは」
「もう一度言うよ。そのへんでやめとけ。君らを黄泉よりこの世に甦らせたのは若殿とこの俺だって知ってるだろ」
そ、そうなんだ。
少年の低い声がつづく。
「先祖たるわれより、この女に組みするか」
「先祖がどうしたって? 現代人は論理性を重じるものでね」
バチあたり男だが今は大いに賛同。
彼は淡々とつづけた。
「個人的見解ながら苦言を呈するとだな。この嵐を鎮めんのは、あんたの仕事。それができなきゃ、あんたの能力不足。できないのをこの子のせいにすんのは、あんたの責任転嫁。違う?」
少年は歯がみした。
子孫らしき若造の論理的な苦言とやらに返す言葉もない。反論ができないのはあながち、まとはずれではないのだ。
拘束がゆるんだ。というより幽霊たちが拘束できなくなった、というほうが正しい。足だけではない。手首から手にかけても、ゆるやかにシースルー化は進んでいる。「よせ」「やめろ」と彼らは口々に言うのだが、その現象は止まりはしない。
私は立った。
抵抗は受けなかった。
むしろ風にはばまれた。横風をもろに受ける。
一刻も早く離れようとするものの、風にあおられ身体が押される。急ぐどころか、歩くにもつらい。四方八方から叩かれているみたいだ。
「待てい」
幽霊のひとりが捕まえようと腕をのばす。
が、その手もむなしく空を切る。空を切って、私の背中からおしりへとすり抜けた。
うわ、気持ち悪っ。
内蔵に手をつっこまれているような。実害なしでも、寒イボ出そう。寒イボが出なかったのは、雨が痛いせいだ。
風は強さを増していた。
安賀島大地のいでたちはモスグリーンとオレンジのTシャツにクラップパンツ。たたんだ傘をステッキ代わりにし、ずぶぬれになっていた。
傘をさしても邪魔なだけなのだ。この風雨では。
そんな彼の背後に回る。
安賀島大地の後ろにもう一人だれかがいた。
「嬢ちゃん無事かい」
「小亮太さん」
酔い止めくれた幽霊さんだ。
小さな顔に笑みをうかべていた。とても愛嬌がある。
「当然裁断は若が行うけど、若が戻ってくるまではそのままそこに縛っておくから、そのつもりで」
安賀島大地は淡々と告げた。
そして言い終えると、幽霊たちに背中を向けた。
船内に戻るよううながされ、ようやく実感する。
「た、助かった」
全身から一気に力が抜けた。ひざが、がくがくいっている。
立ったそのままでふるえたまま動けない私に、安賀島大地は妙な顔をした。
「どうした」
「動かれへん」
「怖かったか」
安賀島大地、ニヤリと笑っている。
ハラたつぅー!
「あぁ怖かったわ、怖かったともさっ」
「そーかそーか」
さらにニヤリ。小亮太さんまでニヤリ。
めっちゃハラたつわ、もう!
彼らから顔をそむけた先に、再び視界に入る、少年と幽霊たち。彼らは船首から動いていない。
安賀島大地は彼らを「縛っておく」と表現した。縄とかでぐるぐる巻きにするわけじゃない。しばる、シバル。「その地点に縛りつけておく」ってことだろう。
地縛霊ってわけだ。船だけど「地縛霊」。
おおかたの地縛霊ってやつは、この世に心残りがあるらしい。雑誌の心霊写真特集なぞで見かける。
『ここで事故に遭った男性の霊です。なぜ自分が死んだのかが信じられずさ迷っており、道行く人に訴えています』
少年、幽霊たちはどうなんだろう。
なんで私を。私に、なにを訴えようとしたのだろう。
私は彼らに向き直った。
「なんで、私のせいなん」
「おい、やめとけ」
安賀島大地があわてて止めようとする。
「なんで私のせいやって思ったん。この嵐を」
「そんなのあいつらの責任転嫁だから。気にするなよ」
なんであわてる。聞かれたくない?
彼らの攻撃には理由があるはずだ。なんの解決もないまま「ハイさよなら」じゃ、ずっと恨まれる。
理由を知ったところで解決しないかもしれない。でも、そのまんまにしとくのは、気持ちが悪い。
少年は一度口ごもり、うつむいた。
素直に答えるのが嫌なんだろうか。
少年が顔を上げた。目があった。顔をしかめ、見下すような態度で私をにらみつける。
そしてようやく口を開く。