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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
116/168

16.木の葉に宿る露〔1〕

 起きぬけ、立ったとたんふらついた。

 壁にしがみつきながら寝ぼけてるんかなと思った。いや。頭は起きてる。体調だって悪くない。

 船が揺れている。

 いつでも揺れはある。だけど今朝ほど揺れが気になったことはない。転びそうになるのは初めてだ。

 外の様子を見よう。

 伝い歩きをしながら、甲板に上がった。


「どわあ!」


 思わず叫んで、船内に身を隠した。

 一瞬だ。

 髪の毛はめちゃくちゃ。顔に手を当てる。しぶきを浴びていた。服もシャツびしょぬれ。黒いシャツでよかった。白いシャツなら透けてエロ展開の可能性も……だれも期待してませんね、すみません。

 大きな揺れに、前につんのめって壁に激突寸前、手で支えた。

 船体にたたきつけるような降りが、壁越しにも伝わってくる。

 顔を壁から外す。と、雨音の間隙からひょうひょうと風の叫びが聞こえた。悲痛な嘆きの声を思わせる。

 いや。それだけじゃない。自然の音だけじゃなく。

 人の声だ。

 少しだけ引き戸を開けてみた。

 横なぐりの雨の中、人は立っていた。

 朱色に金襴、白に紫、色とりどりの着物。派手な色彩は一面灰色の光景に染みてにじんでいくようだった。というのも、色はひとところに止まらない。つねにいろんな色彩が現れては消えて行く。まるでネオンのように。


 いかづちのおかみ みくまりのかみ


 少年の声だ。変声期前のボーイソプラノ。

 ゆっくりと歌いながら、踊っている。

 その舞はテレビでちらっと京都の「都をどり」。舞妓さんが華麗な振袖で舞い、優雅さ華やかにうっとり見ほれたものだ。そのときの印象に近い。

 今回もそう。呼吸をも忘れてしまいそう。


 かしこみ かしこみも もうさく


 手がすうっと、上がる。合わせて深呼吸をする。

 舞える手の動きが止まる。私も息を、飲みこむ。

 手にした緑の枝を一気になぎ払う。引っぱたかれたようだった。

 私のいる楼閣をふりかえる。雨ぐもりの中、表情はうかがえない。扉のすき間からかかる水滴が私の顔にまとわりついた。水滴をぬぐって、目をこらした。

 そのとき。

 ナイフを木に突き刺すような、鋭い音。思わずのけぞった。

 そして顔を上げる。


「あ」


 条件反射的にもらした声は、思いがけずふるえていた。

 目の前にいるのは舞う少年。

 緑の葉が生い茂った枝を片手に外に立っていた。

 雨に打たれ流れ落ちる白いフェイス・ペインティング。彼の素地は色白で、細おもての顔にはっきりした目鼻立ち。おばけ屋敷くずれのメイクをさっぱり落とせば、小ぎれいな少年に違いない。希望交じりの妄想ではなく、かなり自信のある予想だ。

 髪は頭の上で結い、動いていくつかの束が垂れ下がっていた。それもまた艶っぽさを醸しだしている。

 といった観察もここまで。

 それ以上の余裕はそのときの私にはなく、


「なにっ」


 突如として二の腕をつかまれ、非難と抵抗の声をあげるのに必死だった。


「なにすん……」


 意外に腕力がある。

 ぐいぐいと引っぱり立たされ、甲板に引きずり出された。

 雨と風で全身が痛い。そして腕も痛い。


「離し……っ」


 ふりほどこうとしても、ふりほどけない。

 血の巡りが悪くなりそう。痛くて語尾までしゃべれない。


「離せっ」

「黙れ」


 この声、聞き覚えが……ありそうだが思い出す間はなかった。

 ふと気づくと船のへり。

 まさか、私、海に沈められる?

 じたばたもがき暴れ、のたうちまわった。腕をふり回し、あがきにあがいて腕をふりほどいた。投げ出されるかたちで私が倒れこむ。が、すぐさま立ち上が……ろうとしたところ頭を押さえつけられ、


「こしゃくな小娘め!」


 私が小娘ならあんたはガキんちょ、とツッコむヒマもなく。

 片ひざでしゃがんだ姿勢のまま、頭を床におさえつけられている。顔は横向き。薄い鉄板の床でほおは冷たく痛い。雨が冷たく背中を打つ。全身びしょぬれになり横の髪が顔にはりついていた。気持ちが悪い。

 わずかながら頭を上に向けた。周囲のようすをうかがう。

 殺されるかも。

 少年は顔を歪め、私を見下ろしている。

 さっきまで華々しく舞っていた彼の瞳はいまや暗い。憎悪と敵意がむきだしだった。

 周囲には、何人かが取り巻いて座っている。表情はうかがえない。が、冷淡に、なりゆきにまかせているようだ。彼らも怖い。一歩間違ったら今にも立ち上がり、虫のように踏みつぶされそうだ。


「私、なんか、しましたっけ」


 どうしようもない姿勢でも堂々と質問するつもりだった。

 なのに思いがけず声はふるえた。かなりくやしい。

 少年は枝をふり上げた。


「よう言うたものよ!」


 ぱしん!

 枝が私を打つ音は雨にかき消されなかった。

 私は半身をそらしてその枝を手で受け止め、握り返した。ぐいっと、引っ張る。少年が払おうと引き返す。片腕で綱引きだ。攻撃されるだけでいるもんか。

 枝をめぐる攻防をつづけつつ、当たるを幸い、蹴りあげた。

 少年の足のどこかに当たった。枝をすかさず手放し、少年が一歩退いた間に私は立ち上がった。


「なんで叩かれなあかんのよ、納得いかんわ」

「やかましや!」


 今気づいた。

 食糧庫だ。この子、会ったのはこの船の食糧庫だ。

 船内で迷い、食糧庫に入り、段ボールとペットボトルの山を目にしたとき、暗がりから襲撃されたのだ。細みのボディライン、安賀島大地に返答したときの声。めまぐるしい闇のできごと。記憶によみがえる。

 そうだ、あの襲撃者に違いない。

 あのときは食糧泥棒扱いされたけど。本当はなにか別の……。

 だけど気づいたところでどうなるわけでもない。結論。逃げるが勝ちだ。


「逃すかっ」


 雨が目に入る。横風がきつい。足元はすべって転びそう。速くは走れない。

 あっと思うとすでに回りこまれていた。さっきまで周囲を取り巻いていた、グループだ。

 人数は五人。

 彼らが刀とか武器とかを持っていないのが幸運とさえ思う。

 だれか来てよ、とよっぽど叫ぼうかと思った。

 だがその前に「彼ら」が唱えた。


「……のせいぞ」


 地をはうような声だ。ぞっとした。


「荒天来たるは、わがのせい」


 彼らの目もまた恨めしそう。まさに幽霊。うらめしやの世界。

 じゃなくて、私のせいって。


「なに言うてんの? 私、お天気変えるほどエラないわ!」


 背後から少年が冷たく吐いた。


「船にいるからだ」

「ぜんっぜん、分からへん」

「分かる用はない」

「なん……」

「ただ、いなくなれば良いだけのこと」


 鳥肌が立った。

 無駄だ。なにを言っても。彼らは聞く耳持たない。

 逃げ場所は……。


「失ね!」


 全員、とびかかってきた。

 私は五人から背中を向け少年に頭から突っこむ。少年の左手にあるのは、例の枝。

 私の動きにひるんだスキに枝を力ずくで奪いとって、


「このっ」


 枝の切っ先を少年に突き刺した。

 少年が声ならぬうめきを上げた。

 さらに私、枝を振り回し、枝から散った水滴や葉っぱで五人がひるむ。

 逃げた。走った。

 でも方向間違った。なんてこったい。行き止まり。


「うっわー! 船首に向かってどうするよ」


 自分をここまでアホだと思ったことはない。

 もみ合ううちに方向感覚なくなったし、雨だし前後が分かんなかったし。ええと……だれに言い訳とんのやろ。

 結局、少年プラス五人に囲まれた。状況はもっと悪くなった。

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