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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
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15.白砂の浜辺から〔4〕

 橘先輩は失敬だ。開口一番、潮くせーよと、顔をひん曲げた。

 腕をとってにおいをかいでみる。ほとんど気にならない、はすなんだが。

 船にこもって外気に触れずにいた身には分かるらしい。家に帰ってドアを開けた瞬間「今日はサンマの開き」と分かるのと同じ。

 どうしよう。ハンカチに包んだ浜辺の空気。潮くさいだけかな。


「からだの具合、どうなん」


 橘先輩は投げやりに「三七.九」と数字だけ、答えた。

 まだ熱、出てるんや。

 少しへこむ。ハンカチはお蔵入りだな。


「様子見てくか」


 私ははっとして頭を上げる。


「もう落ち着いてる。久瀬は平熱高い体質やし」


 大きな箱のようなベッドに、久瀬くんは前かがみに腰かけていた。

 頭のてっぺんが鳥の巣でとぼけた感じ。かと思えば後れ毛が下がって瞳がうるんでいて、ある意味、退廃的な雰囲気を漂わせている。見ようにはネタっぽいし、ある角度から眺めたら凄惨な顔つきだ。

 彼に恋する女子がこれ見たら、百年の恋も醒めるな。確実に。

 それはさておき。

 私は新たに見た夢のことを話した。できるだけ細部ももらさずに。携帯電話のメールにメモってたのがここぞとばかりに発揮された。

 まず反応したのが橘先輩だった。


「すげえ。謎解きのヒント満載な」


 一連の話を聞きたい、と言い出した。

 そういえば橘には私が夢でいろいろ見ていること話してなかった。久瀬くんも言ってなかったんだな。もしかして話したらまずかった?

 久瀬くんは神妙な顔をしている。少し考えてから、おもむろに質問する。


「今さらですけど、橘先輩も魔物の干渉をなにか」

「俺自身より俺んちの田舎がやばい。嘘かまことか芦屋道満(あしやどうまん)の末裔を称してるし、祖母は神隠しに遭って生還した伝説の勇者やし。妙な事件が立てつづけに起こるリアル八つ墓村」

「そこでサラッと芦屋道満て」

「だれですか」


 久瀬くんがこれまた簡単に説明してくれた。

 平安時代の陰陽師。藤原道長を呪詛して、安倍晴明に負けたという。

 安倍晴明なら知ってるなあ。負けたといってもその芦屋さんって、強かったのかね。


「ともかく、俺にわけわかんないこと言うてきたんは、藤生皆本人と確信した」

「わけわかんないことというと」

「花瓶ちょっと代わりに預かって。また送るわ」

「軽っ!」


 久瀬くんも私も同時につっこんだ。藤生氏、いいかげんにもほどがある。


「んで橘先輩は受けた、と」

「どっか断れない感じで。まあ、受けても良いかなって思ったし」

「先輩もたいがい軽……」


 久瀬くんは言いかけてやめ、手を枕もとあたりにさまよわせた。

 探り当てたのはティッシュの箱。ざっとティッシュを引き抜き、すばやく鼻をかむ。セキと鼻かみが同時進行のかわいそうな状態だ。

 ただ、今までの口調はしっかりしたものだ。復活のきざしは見える。


「まあ良かった。氷漬けでも藤生氏は生きてる」

「天宮は、藤生皆が死んでる可能性、ほとんど考えてなかったやろ」

「え、えーと」

「考えとったわけないよな。行けばなんとかなるて思っとったやろ」

「うう、そ、その」


 反論の余地なし。猪突猛進な点は自覚症状あり。

 でもおちょくられてもOKです。藤生氏は生きているから!

 夢でフロリアンが話していたとおり、生きてそのまま眠っている。それがきっと現実なのだ。あのことばはそのとおり受け取っていいはずだ。


「あながち間違いやないかも。行けばなんとかなる」


 久瀬くんがぽつりとこぼした。

 橘先輩はあきれたという顔を隠さず、


「久瀬まで楽観主義に染まるか」


 久瀬くんは、ティッシュ、とつぶやきながら、再び枕もとに手をはわせた。

 今度はティッシュの箱は空。私も手持ちのポケットティッシュはない。

 しかたがない。手持ちのハンカチをたたんでさし出した。

 彼はいかにも申し訳なさそうに「ゴメンな」を何度かくり返して、鼻をかむ。

 海の香りが……無念。でも今、彼に必要なのは海の香りより鼻紙だ。そう自分にいい聞かせる。

 一方、ハンカチから顔を離した久瀬くんは、とつとつと語る。


「チャレンジも悪かない。考えて吉か凶か結論が出んからって、立ち止まってても始まらへんし」

「で、吉と信じてGO? 救いがたい楽観主義者たちやな」


 久瀬くんは再びハンカチに顔をうずめた。

 鼻はかんでいない。答えを探しているのか、答える気がないのか、どちらかは分からない。

 つき進むのも悪くはない、よね。

 自分で「おばかだなぁ」と毎度へこんでることだ。肯定してくれたのがうれしくて、がぜんやる気が出てきた! ついでに少し目がうるんできた。ど、どうしよう……。


「そうや。かばんに保湿ティッシュあったし、取ってくる」

「ハンカチは洗って返す」

「いや、今もらっとく。安静にしててよ」

「ほんま、ゴメン」


 何度目の「ゴメン」だろうか。

 受け取ったハンカチはしわだらけだった。感染症だし、鼻水なんかに触れないよう注意深く折りたたむ。


「別にええってのに。それより早よ治して」

「せっかくの、潮のええ香りやのに」


 一瞬、電気を通されたように感じた。


「ちょっと待ってて。すぐ取ってくるから」


 急いで部屋から外に出て、引き戸の取っ手を急いで払った。戸は思いのほか激しい音をたてた。

 すぐに足を動かす気になれず、戸にもたれかかって視線を落とす。今度はぎい、と小さく低く戸がきしみ、思ったより音はあたりに反響した。

 ここは暗く蒸し暑く、そして静かすぎる。

 久瀬くん鼻づまりやのに。なぜ分かったんだろう。なぜ潮の香りって。それに私、なんでこんなにあせっとんのやろ。

 疑問と困惑をため息とともに吐き出し、顔を上げる。

 と、そのとき。

 後ろからきゅっと抱きとめられた。

 突然のことに、ひゃあ、と悲鳴を上げかけるも、その口も冷たい手で覆われる。ただそれは襲われるというよりは、優しく包まれるよう。

 静かに。

 耳もとでささやくのは橘先輩だ。先輩セクハラ、と抗議しかけたところ、


「これを渡しとく。ドラマ観賞用」


 いつにない真剣な口調だった。

 肩ごしに私の手首を握る右手に小さなビー玉が光る。


「夢の話が核心に迫ってるから今、俺の事情を渡すことにした」

「私に……久瀬くんには」

「これの内容は俺自身から久瀬には話したくない。けど、天宮が久瀬に話す分には、話すべきと判断するならそれは止めない」


 なんで私なら、と言いかけて黙りこくった。

 愚問だ。橘先輩の意図は、すべては私自身がビー玉を見て解き明かせ、ということ。判断を私なんかにゆだねていいのか、と思うけれど。

 橘先輩がそう考えたのだ。

 ビー玉の中身は私一人で考える。

 中を見ないでも先にそう決めた。

 橘先輩はすっと離れると、くるりとその場で一回転。ぴったり止まると今度は素早く私の目と鼻の先に顔を近づけてきて、


「かけひき苦手やな。そういうド一直線なとこ、冗談ぬきで可愛いわ」


 と、長いまつげのキレイな瞳をくりっと輝かせ、とびきりの笑顔。

 冗談きついわ。先輩のほうがよほど可愛らしい顔立ちのくせして。というかこれ、絶対けなされてるよね。

 私の無言の抗議もなんのその。彼は遠慮なく私の頭をもそもそなでて言った。


「ねえねえ、俺、藤生皆と仲良くしたい。助け出した暁にはええ感じで俺のこと、紹介してな」


 ……やばい、妙に頭、気持ち良かった。

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