15.白砂の浜辺から〔3〕
剣はスミタカさまの眼前まぎわ。スミタカさまは動きがない。
が、紙一重で剣が反れる。
右近と伝左も懐剣に手をやる。
「手を出すな!」
スミタカさまは命じ、彼らを手ぶりで制した。
「ホウッ」
ふたりの非美形剣士が奇妙な声を吐き、さらに突きをくり出す。
今度はスミタカさま、右に体をそらし即座に体を低くして入り身になる。と、黒髪は前に、ブロンド兄さんの体はざあっと数歩ほど後ろによろめいた。
スミタカさまの右手には――剣士が持っていたはずの剣。
いつの間に?
問う時も与えずそれを勢いよく砂に突き立て、
「刀を収めよ! 刀に頼るは刀によって死するだろう」
みな、動けなかった。
転倒するのを危うく踏みとどまったブロンド青年はぼう然。自らの手の中にあったはずの長剣はない。
どうして一の突きが届かなかったのだろう。どう二の突きがはずされ、どう剣を奪われ、どう突き放されたのだろう。やがてブロンド青年は右の肋骨をさすり……痛々しい苦悶の表情を浮かべはじめる。その右の肋骨に刻まれた痛みはいつの傷だ?
この困惑はそのまま、相方の黒髪とサー・ウィリアムの驚きだった。
私だってぜんぜんついていってない。
ただ、一瞬のひらめきが私にも訪れた。
「マタイの福音書」
安賀島大地が目をするどく細める。
「マタイによる福音書、て聖書にあるんよ」
『イエスは彼に言われた。あなたの剣をもとにおさめなさい。剣をとる者はみな剣で滅びる。』(「マタイによる福音書」第二六章五二節)
「剣をおさめよ……」
「スミタカさんの言うてること、同じちゃうの」
安賀島大地は少し考えてから、おもむろにつぶやいた。
「Nanatsugi said to you, ‘Put your sword back in its place’(ナナツギは言った、『あなたの剣をもとにおさめなさい』)」
サー・ウィリアムはくぼんだ目を大きく見開いた。
聖書の引用だと気づいたのか。
「For all who draw the sword will die by the sword.(『剣をとる者はみな剣で滅びる』)」
安賀島大地を見て立ちつくす。従うふたりもくちびるを震わせている。
明らかに気づいたようだ。態度こそゾウよりでかいものの、実はかなり敬虔な人、じゃなくて幽霊たちかもしれない。
そんな彼らにスミタカさまは右手をさし出した。
「ナナツギ、君はわざと私たちを挑発しただろう」
サー・ウィリアムがその手を握る。
なおも彼の態度は居丈高だったけど、かまわずスミタカさまは微笑みで答えた。
「私たちは対等であるべきだからさ」
「ふん! 対等だって?」
サー・ウィリアムは苦虫をかみつぶしたようだった。
「なんという図々しく、そして誇り高き貴公子か」
「誉め言葉と受け取ろう。もはや攻撃の意思なしと見たがよいかな」
「もとより我々は攻撃できんのだ、主の教えを語る者にはな!」
「では案内していただこう。ミシェルなる方のもとへ」
「その必要はない」
「なぜ」
「我が艦の十字旗を見るがいい。君はあれを見たら同じ旗を掲げ返すのだ。そうすれば攻撃されないだろう」
全員がイングランド船を仰ぎ見た。
船尾のポールに旗は三つ。深い青空に刻まれた、それぞれの白。
一つはただの白い旗。降伏のしるし。
一つはごちゃごちゃ装飾が施された絵入り。いわゆる紋章か。
そしてもう一つはいたってシンプルな十文字。
「大地。サー・ウィリアム殿に伝えよ。貴殿の忠告に深く感謝する、と」
「自分で話せ」
「すねるな。そもそも勝手に訳語を飛ばすなど、通訳失格だ」
「良かれと思ったんだよっ。くそう、向こう数日すねてやる」
捨てぜりふをはきつつ、安賀島大地は言われたことはやっていた。
* * *
その後、会談は滞りなく決着がついた。
イングランド幽霊船の顔の利くところは安全な航海が保証される。それから『呪』も賠償金がわりナナツギ水軍が受け取ることになった。
どうやって、という方法論はあの世の世界のことだ、割愛するとして。
すべてが終わってひといきついたところ、
「それ、なに」
「貝殻」
素っ気なく安賀島大地は答えた。
手のひらでじゃらじゃらと音を立てている、それ。見たまんまだ。少しはひねってもよさそうな。
「なにかに使うん。呪術とか」
「……ただ拾ってるだけ」
「もしかして、スミタカさまに怒られて、すねてますか」
「ほっといてくれ」
ガチで落ちこんでる。
いじるかどうするか。迷ったあげくいじることに決めた。
「子どもっぽい」
「とかいいつつ、俺のを奪うな」
私もそのへんで拾いはじめた。
ヤドカリが昨日まで住んでいたような、スタイル抜群の巻貝とか。「春がすみ」とでも名づけたい桜色とか。空に向けると七色に光る万華鏡もビックリ貝とか。
もうハマるとやめられない。
が、立ち上がると……腰、痛っ。運動不足。
「そこのおばさん。腰をツイストしとくと、あとで痛みがやわらぐ」
「だれがおばさんや」
言われたとおりに腰をひねって伸ばして、そして海をながめた。
時すでに夕刻、水平線が黄金色に輝く。よせては返す波もまた、輝きに染まる。
しばらく動けなかった。
動けないままに、海に向かって、問いかける。
「安賀島さん、貝殻、なんで拾ってんの」
彼もまた立ち上がって、海を眺める。
その横顔が夕陽を受けてどこか柔らかく、そして切なく見える。話すか話すまいか揺れ動くように視線をさまよわせ、そしてくちびるを噛む。このまま黙りこむのかと思いきや、静かな口調でゆっくりと話しだした。
「俺がガキんころ……志摩の宗家の神社行くたび、石ころとか貝殻拾って帰ってたんだわ。そしたら澄隆、毎回、すげぇ喜んでくれて」
「だから貝殻を」
「まいったな。確かに、子どもっぽい」
照れている様子も隠さず、苦笑しため息をつきながら、髪をかき上げた。
「友達みたいと思ったけど、親子みたいやね」
「絶対『大地は私が育てた』とか思ってるよ、あいつは」
「今度もきっと喜んでくれるよ」
「素直に謝れば、だろうけどな」
手のひらの中の貝殻をいくつか見比べる。
うん。やっぱり万華鏡もびっくり貝が私の目には一等賞だ。
冷静でおだやかで、おそらくすごく強くて、時に厳しくて怖くもある。そんなスミタカさまにはぴったりの貝殻だと思った。
「これ、スミタカさまに渡して」
渡した貝殻をそのまま受け取った彼はただ「ありがとう」と答えた。
夕陽は水平線に今まさに隠れようとしている。海面の輝きが金色のパウダーとなり、海からの風に乗って砂浜にも届けられる。香ばしい潮の香りに混じりあうようにして。
この風を持って帰りたい。この金色を味あわせてあげたい。
唐突にそう思って、ポケットを探ってみた。
あった。ハンカチ。
しかも珍しく綿素材の大判の、小さな花を散らしたハンカチ。
大きく広げて、潮風を包んだ。
「なにやってんの」
「潮風をおみやげに」
含み笑いがもれた。
残照の逆光のせいでその表情は分からなかったけど。
「……そろそろ、戻るぞ」
私の足あとは風に流れ、波にとけていった。