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魔法の壺  作者: 鏑木恵梨
Spiral Stairway
113/168

15.白砂の浜辺から〔3〕

 剣はスミタカさまの眼前まぎわ。スミタカさまは動きがない。

 が、紙一重で剣が反れる。

 右近と伝左も懐剣に手をやる。


「手を出すな!」


 スミタカさまは命じ、彼らを手ぶりで制した。


「ホウッ」


 ふたりの非美形剣士が奇妙な声を吐き、さらに突きをくり出す。

 今度はスミタカさま、右に体をそらし即座に体を低くして入り身になる。と、黒髪は前に、ブロンド兄さんの体はざあっと数歩ほど後ろによろめいた。

 スミタカさまの右手には――剣士が持っていたはずの剣。

 いつの間に?

 問う時も与えずそれを勢いよく砂に突き立て、


「刀を収めよ! 刀に頼るは刀によって死するだろう」


 みな、動けなかった。

 転倒するのを危うく踏みとどまったブロンド青年はぼう然。自らの手の中にあったはずの長剣はない。

 どうして一の突きが届かなかったのだろう。どう二の突きがはずされ、どう剣を奪われ、どう突き放されたのだろう。やがてブロンド青年は右の肋骨をさすり……痛々しい苦悶の表情を浮かべはじめる。その右の肋骨に刻まれた痛みはいつの(もの)だ?

 この困惑はそのまま、相方の黒髪とサー・ウィリアムの驚きだった。

 私だってぜんぜんついていってない。

 ただ、一瞬のひらめきが私にも訪れた。


「マタイの福音書」


 安賀島大地が目をするどく細める。


「マタイによる福音書、て聖書にあるんよ」



『イエスは彼に言われた。あなたの剣をもとにおさめなさい。剣をとる者はみな剣で滅びる。』(「マタイによる福音書」第二六章五二節)



「剣をおさめよ……」

「スミタカさんの言うてること、同じちゃうの」


 安賀島大地は少し考えてから、おもむろにつぶやいた。


「Nanatsugi said to you, ‘Put your sword back in its place’(ナナツギは言った、『あなたの剣をもとにおさめなさい』)」


 サー・ウィリアムはくぼんだ目を大きく見開いた。

 聖書の引用だと気づいたのか。


「For all who draw the sword will die by the sword.(『剣をとる者はみな剣で滅びる』)」


 安賀島大地を見て立ちつくす。従うふたりもくちびるを震わせている。

 明らかに気づいたようだ。態度こそゾウよりでかいものの、実はかなり敬虔な人、じゃなくて幽霊たちかもしれない。

 そんな彼らにスミタカさまは右手をさし出した。


「ナナツギ、君はわざと私たちを挑発しただろう」


 サー・ウィリアムがその手を握る。

 なおも彼の態度は居丈高だったけど、かまわずスミタカさまは微笑みで答えた。


「私たちは対等であるべきだからさ」

「ふん! 対等だって?」


 サー・ウィリアムは苦虫をかみつぶしたようだった。


「なんという図々しく、そして誇り高き貴公子か」

「誉め言葉と受け取ろう。もはや攻撃の意思なしと見たがよいかな」

「もとより我々は攻撃できんのだ、主の教えを語る者にはな!」

「では案内していただこう。ミシェルなる方のもとへ」

「その必要はない」

「なぜ」

「我が艦の十字旗を見るがいい。君はあれを見たら同じ旗を掲げ返すのだ。そうすれば攻撃されないだろう」


 全員がイングランド船を仰ぎ見た。

 船尾のポールに旗は三つ。深い青空に刻まれた、それぞれの白。

 一つはただの白い旗。降伏のしるし。

 一つはごちゃごちゃ装飾が施された絵入り。いわゆる紋章か。

 そしてもう一つはいたってシンプルな十文字。


「大地。サー・ウィリアム殿に伝えよ。貴殿の忠告に深く感謝する、と」

「自分で話せ」

「すねるな。そもそも勝手に訳語を飛ばすなど、通訳失格だ」

「良かれと思ったんだよっ。くそう、向こう数日すねてやる」


 捨てぜりふをはきつつ、安賀島大地は言われたことはやっていた。



  *  *  *



 その後、会談は滞りなく決着がついた。

 イングランド幽霊船の顔の利くところは安全な航海が保証される。それから『呪』も賠償金がわりナナツギ水軍が受け取ることになった。

 どうやって、という方法論はあの世の世界のことだ、割愛するとして。

 すべてが終わってひといきついたところ、


「それ、なに」

「貝殻」


 素っ気なく安賀島大地は答えた。

 手のひらでじゃらじゃらと音を立てている、それ。見たまんまだ。少しはひねってもよさそうな。


「なにかに使うん。呪術とか」

「……ただ拾ってるだけ」

「もしかして、スミタカさまに怒られて、すねてますか」

「ほっといてくれ」


 ガチで落ちこんでる。

 いじるかどうするか。迷ったあげくいじることに決めた。


「子どもっぽい」

「とかいいつつ、俺のを奪うな」


 私もそのへんで拾いはじめた。

 ヤドカリが昨日まで住んでいたような、スタイル抜群の巻貝とか。「春がすみ」とでも名づけたい桜色とか。空に向けると七色に光る万華鏡もビックリ貝とか。

 もうハマるとやめられない。

 が、立ち上がると……腰、痛っ。運動不足。


「そこのおばさん。腰をツイストしとくと、あとで痛みがやわらぐ」

「だれがおばさんや」


 言われたとおりに腰をひねって伸ばして、そして海をながめた。

 時すでに夕刻、水平線が黄金色に輝く。よせては返す波もまた、輝きに染まる。

 しばらく動けなかった。

 動けないままに、海に向かって、問いかける。


「安賀島さん、貝殻、なんで拾ってんの」


 彼もまた立ち上がって、海を眺める。

 その横顔が夕陽を受けてどこか柔らかく、そして切なく見える。話すか話すまいか揺れ動くように視線をさまよわせ、そしてくちびるを噛む。このまま黙りこむのかと思いきや、静かな口調でゆっくりと話しだした。


「俺がガキんころ……志摩の宗家の神社行くたび、石ころとか貝殻拾って帰ってたんだわ。そしたら澄隆、毎回、すげぇ喜んでくれて」

「だから貝殻を」

「まいったな。確かに、子どもっぽい」


 照れている様子も隠さず、苦笑しため息をつきながら、髪をかき上げた。


「友達みたいと思ったけど、親子みたいやね」

「絶対『大地は私が育てた』とか思ってるよ、あいつは」

「今度もきっと喜んでくれるよ」

「素直に謝れば、だろうけどな」


 手のひらの中の貝殻をいくつか見比べる。

 うん。やっぱり万華鏡もびっくり貝が私の目には一等賞だ。

 冷静でおだやかで、おそらくすごく強くて、時に厳しくて怖くもある。そんなスミタカさまにはぴったりの貝殻だと思った。


「これ、スミタカさまに渡して」


 渡した貝殻をそのまま受け取った彼はただ「ありがとう」と答えた。

 夕陽は水平線に今まさに隠れようとしている。海面の輝きが金色のパウダーとなり、海からの風に乗って砂浜にも届けられる。香ばしい潮の香りに混じりあうようにして。

 この風を持って帰りたい。この金色を味あわせてあげたい。

 唐突にそう思って、ポケットを探ってみた。

 あった。ハンカチ。

 しかも珍しく綿素材の大判の、小さな花を散らしたハンカチ。

 大きく広げて、潮風を包んだ。


「なにやってんの」

「潮風をおみやげに」


 含み笑いがもれた。

 残照の逆光のせいでその表情は分からなかったけど。


「……そろそろ、戻るぞ」


 私の足あとは風に流れ、波にとけていった。

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