Interlude 14.
少女が身にまとうのは白い毛皮。
白く柔らかくふくよかななのに表情はかたくななまま。凍りついた細い身体の鈍い動作。彼女はさながら「ねじの壊れた人形」だ。
白、そして蒼い氷の世界。
真上からさし込む太陽が乱反射し、全世界がまぶしく輝く。異世界と呼びたくなるような、非日常の光景、天涯の果て。
私は想像する。
ここは天国のひとつの形、いや、地獄の別の姿ではないのかと。
大自然が創り出す過剰なまでの照明に、瞳が刺すように痛い。それでも目をそらすことはできない。彼女のすがたを、夢のゆくえを見失ってしまいそうだから。
目をそらしてはいけない。
夢なのに感じる苦痛。夢見ること自体が厳しい試練のようだった。
ただ一点、氷床は薄墨に染まっていた。自らの足もとのそれを、少女は凝視しつづける。
「東洋の器のことか」
少女の背後に立つ、銀色の髪の青年フロリアンは問う。
彼は自らと同じ色の毛並みを誇る、獣を連れていた。ハスキー犬に似ている。だけどハスキーより鋭い眼と顔立ち。狼……だろうか。
「ええ。貴方も騙されたのではないですか」
銀色の狼はなめらかに人語を操った。
一方、青年は口を開き、結局なにかを飲み込んだ。白磁さながらの面はかすかに影を帯びる。
「貴方が手離したライトブルーの東洋の器は、この『人間』よりも呪の量が上でした」
語る銀狼の目線の先、氷の下に沈む影。
黒い固まりは人をかたどっていた。確かに人間に違いなかった。
「確かに『人間』は人間に少し力を与えた程度でしかなかったな」
「あのライトブルーの壷こそ、貴方、そして誰しもが『上主』と呼ぶ御方であった」
「それは違うな」
「どこがでしょう。これはただの人間同然。呪も封じられ、眠りつづけるだけの」
「壷は意志を持たない。意志なき物体が彼であろうはずがない」
フロリアンは断じながらもつづけた。
「しかし彼は、数十年前に会った御方の片鱗も感じさせない。変わったのは姿かたちだけはないようだ」
「では、私のような神話の末席に侍るもの、天使群、そして魔物たちは、何を以って彼を崇めているのでしょう。何を以って彼を『上主』と呼び給うのでしょう」
彼、それは藤生氏のことだろうか。
「奇跡のごとき半人半魔を生む原理だな」
「弱い混血ではなく、奇跡の……数百年に一度現れる、偉大なる力を持つ人間のこと」
「そう。その力の原理は強大な呪の器と人間の『成長』。人は、人として生まれ出でたときは弱々しい一つの個体でしかない。だが根源には基よりの魂があり、霊を合わせ持つ。呪を生み出す霊の大きさは、身体とともに成長する。そのようにして元来持ち得る力を大きく増大させれば神をも凌ぐ者となるという……順調に『成長』すればの話だが」
フロリアンは黙考した。
銀の狼は一言、問う。
「順調に、ですか」
銀の髪の主人は狼を一瞥しただけだった。
順調にという、但し書き。それは同時に大きなリスクを背負うというデメリットをも言い表していた。つまり順調でない成長を遂げたなら、もともとの『上主』をも越えられない。数十年もの歳月を費やし、成長を試みた意義は失われる。
そして今。
彼は数十年前と異なる、若い姿で現れた。その名に偽りはないだろう。しかしその力は、かつてには及びもつかない。
伝聞が正しいとしよう。本来の意図とは逆の結果となった者が今、ここに存在しているのではないのか。この厚い氷床の下に。
「奴が今回の話、そして壷を私に持ち寄ったのは、その疑問に始まるようだ」
「そして、ただ眠りについたままにさせておくのも」
「そう。身体を消し去っては他の宿体が代替となるだけだからさ。ご自分のお力で起床なさるまでの間に、あらゆる手は打っておこうとの腹なんだろう。奴はね」
「それに父上も乗せられたと」
「双方に得るものがあるなら、悪い話ではあるまい」
銀の獣は鼻を鳴らした。
フロリアンはいまひとりの連れ合いに視線を投げた。彼女は先頃から微動だにしていなかった。
「ゼンタ、気が済んだかい」
フロリアンの声を聞きようやく、ぎこちなく頭が動く。彼女は彼を見たのか虚空を眺めているのか、かたわらからはうかがい知れない。
やがて彼らは立ち去った。
そのあとには、氷のきしむ音がし、白銀の世界に木霊した。






