11.委員長の事情
その夜。私は塾の帰りだった。
「白河くん、どうしたん」
東谷公園で、コートを着てアコースティックギターをいじっている彼を見かけた。なんとなく沈んだような重いような、そんな空気を感じたのだけれど。
彼は私に気づいて顔を合わせると、ほのぼのした、いつものような笑顔を見せた。
「ちょいと遊んでるの」
彼は藤生氏と仲良し。藤生氏が魔のものがらみで不登校なときに相談なり情報交換なりしたことはあるけど、彼自身のことはあまりちゃんと話したことないな。
よし、いじろう。
と、最初のノリは軽かったのだけれど。
「ひとりギター片手に?」
「孤独と旅を愛する漂白の吟遊詩人ごっこ中」
「スナフ○ンかい」
「なんだいム○ミン」
だれがムー○ンだ。
「でもどうしたん。なんか追い詰められてますって感じ」
白河くんは一瞬こわばったようだったが、頭をもたげて一言。
「藤生くんがなんか言った?」
「いやなにも」
「ほんまに?」
「自分のことすら聞かないと話さないのに、白河くんのことを話題にするわけが。以下略」
「そうかぁ」
白河くんはふうっと白い息を吐く。少し考えて、私を見上げた。
「家から緊急避難してて」
「緊急避難?」
「今、家がごたついとって」
「なに? 事件? 事故? 非常事態?」
「いやいや、親父が帰ってきただけ」
「そいで緊急避難って、お父さん暴力ふるうとか!」
「それはない」
「じゃ、単身赴任?」
「へ?」
「うちのお父さん今、短期で東京赴任中やねん。べつにうしろめたいことしてるわけちゃうけど、それでも突如、今日帰るとか言われると、いろいろあわてることあるわ」
平凡な天宮ファミリーの話は以下省略として。
白河くんの家はなんと県会議員。
白河くんのお父さん一代二十年で不動産事業に成功、そのあともやる事業がすべて当たり、政界に初チャレンジして見事に当選。この地域の経済界では知る人ぞ知る存在らしい。
「なんでその避難を」
「親父と顔あわせんのが、ちょっとね。親父が寝るまでのがまんです」
「がまん……おじさんが嫌いなん?」
白河くんは首を振った。
「親父がおれを、嫌いやねん」
ふだん白河くんは一人称を『ぼく』と言う。
そのあたりがまた、いつもと違った。
「でも、こんなとこずっといてると風邪ひくよ。しばらくうちでも来る? いいお茶入荷してん」
「他人ん家あがると長居してまいそうやしなあ」
……と、白河くんはやんわりと私の申し出を断った。
「ヒマくない? 少しつきあうよ」
「案外ヒマやないよ。これ持ってきとおから」
「ギター弾くんや」
「鹿嶋とスタジオに行くこともあるのさね」
彼はギターに目を落とした。ゆるやかで渋い感じのバラードを奏でだす。
「なんか聞いたことある」
彼は途中から歌ってみせた。
……すごく、うまい。さすがスタジオに行くという気合いの入れようだけはある。しかも全部英語だよ!
「誰の曲?」
「エリック・クラプトン。『CHANGE THE WORLD』。ぼくの歌より原曲……CD聞いてみる? 夜中、親父のバーボン片手に聞くと最高」
二期連続の委員長、生活態度むちゃくちゃやん。
その瞬間、びん、とギターの弦が音をたてた。白河くんはギターを確認する。
「切れてる」
私は気配を感じた。
魔のもの。
と、思ったのは人間だった。サラリーマン風のおじさん数人、学生ぽいお兄さん、OL。だけど……目つきが違う。気配が変だ。
白河くんも様子を察し、携帯を取り出した。電話の先はたぶん藤生氏。彼らは魔のものがらみだ。だからヘルプを求めたってところだろう。
「うえっ!」
背後になにか悪い気配。ふりかえり、視覚的にとらえたのは笑う影だ。
「そこの影! どういうつもりよ!」
影が笑った……ような気がした。
答えたのか、あざ笑ったのか、それとも?
「藤生くん相手やったら勝てんから、周囲の人間を襲って脅迫でもしよかって算段か」
白河くんは携帯を切ってカバンにしまう。そして、ギターケースを構えた。
「ちょうどストレスたまっとんねん!」
彼は先手を切ってギターケースでおっさんに殴りかかる。私も追って、塾のテキストで重いショルダーバッグをふりまわした。
飛びかかってきたOLの頭にバッグが命中、彼女は私のほうにつんのめってきた。僅差で避けると、背後から学生が抱きついてきた。
うそー! 離れてくださいってば!
ずん、と背後に鈍い衝撃。
学生がずるずると地面に崩れ落ちる。白河くんのおかげだとわかった。
が、間もなく彼も私もサラリーマンに羽交い絞めにされ、互いに自分のことで手一杯になる。 またOLが立ち上がってきた。私に向かってくる。
私は全身に悪寒が走った。
「白河くん!」
彼は自分を抑えこんでるサラリーマンもろとも、私を羽交い絞めにしてるサラリーマンにぶつかっていった。だけど白河くんも私もウェイトが軽くて、倒れこんで下敷きになる。
その直後、鋭い風が走った。
影が舌打ちするのが聞こえた気がした。
風が通り過ぎるとOLは服は破れ、切り傷だらけになっていた。下敷きになっていた私は無傷だ。サラリーマン二人は血を流している。白河くんの傷は二人に押さえつけられたときのすり傷だ。
またも嫌な感覚。
「また、来る!」
今度はかわしきれない。そのときだった。
影が、悲鳴をあげた。
気配は霧散。襲撃者たちは次々に倒れ、意識を失っていた。
それは藤生氏のしわざだった。
果たして、彼は花瓶をかかえ立っていた。遅れてやって来るのがヒーローて感じ。助かったぁ……。
と、ほっとしたその直後。信じられない光景を目にした。
白河くんがつかつかと藤生氏につめよる。と、彼のえり首をつかんだのだ。
白河くんの眼は、確実に怒りを表していた。対する藤生氏はされるがままで、いく分かおびえているように見えた。
「巻き添えにしたんかよ」
「白河……」
白河くんはそれ以上は無言で、やがて思いっきり突き放した。藤生氏はふらふらと後ろへ下がり、しりもちをついた。
意外すぎるシーンに私は固まってしまっていた。両人とも教室や今まで接して思ってた印象からは、想像ができない雰囲気で……そして、ことばをさしはさむ余地もなくて。
そんな私に、白河くんは今までの衝撃シーンはどこ吹く風の笑顔で、
「決めた。母親に離婚説得しに、帰るよ。天宮さん、ありがと」
そう言ってギターをケースにしまうと、それを背に立ち去ったのだった。
藤生氏もよろよろと立ち上がって。
「大丈夫か」
「大丈夫?」
私と質問がかぶった。
「おう」
「うん」
答えもかぶった。
その後、無言で帰路についた。藤生氏は終始、無言だった。