Interlude 13.
宮殿ならぬレンガ外壁のマンション。夜、照明が幻想的な雰囲気を醸しだす。赤い光をまき散らしてパトカーが立ち去ると、あとに残されたのはただ二人。
久瀬くんとスーツ姿のおじさんだ。
久瀬くんのお父さん。白河さんだ。
白河さんが軽く、息子の肩をたたく。息子は向きなおった。なにか言いかえして抵抗を見せている。
タクシー代、貸してください。
とにかく入れ。
声も聞こえた。
久瀬くんは頭を下げただけで、譲歩しない。時間がない、苅野にすぐ戻らんと、と父の申し入れを認めない。
しばしの無言のあと、白河さんは口を開く。久瀬くんが顔をしかめる。だけど白河さんの誘いを久瀬くんは受け入れた。
そしてリビングルームに足を踏み入れる。
久瀬くんはしばし絶句。
「お邪魔してます」
コーヒー片手にくつろぐ茶髪少年。さわやかかつ優雅だ。
「なんで橘先輩、おんねんな」
「話すととっても長ぁい、話」
「どういう話です」
「藤生皆からの預かりものをたどってたら、ここに」
話が短すぎる。
ダイニングから戻った白河さんの両手はコーヒーカップで埋まっていた。久瀬くんが一方を受け取る。手に残ったコーヒーを一口味わってから、白河さんは話した。
「苅野の家に届けてきはってやな」
正月明けのことだった。ある老夫婦が苅野の白河家宅を訪れたのは。
彼らは包みをたずさえていた。手中のメモには苅野の白河家の住所、そして『シラカワアキナリ』とあった。
「旅先で新婚の旦那さんから預かったものでして」
と、彼らは話した。
預かったのは半年ほど前ですが、主人が胆結石で入院をくり返したもので。それでこんな時期になってしまって―――。
「俺が知っているのはそれだけだ。あとは彼の話を聞くんやな」
白河さんはテーブルに鍵と財布を置いた。
「あまり無茶をするなよ」
リビングを去る父親を久瀬くんは目で追い、そして橘先輩に視線を向ける。
待ってましたとばかりに、橘先輩は口もとを上げた。
「そのブツを追って実際、老夫婦に会いに行っててん。藤生皆とは同じ日同じホテルに泊まっていたそうや。とりあえずそれ、開いてみようや」
久瀬くんはテーブルの包みを開いた。
中はあのコンパスだ。ほかに同封されているものはない。
「羅針盤?」
「老夫婦のお話に戻るわ。藤生皆やけど、女の子と新婚さんのふりしてたんやってな。この荷物を預けたとき藤生皆が言うことには、急な用で早朝発つ。自分の荷物はホテルに任せるけど、友人への荷物は空輸したくない。日本にしばらく帰国できない、けど大事な品なので、手渡しでお願いしたい、と頼んだそうな。ワガママ放題やな」
「ワガママOKてことは藤生君、その方たちに信頼されてたんでしょう」
「そない好青年なんか」
「いや全ッ然。それより他の荷物はどこへ送られたか分かりますか」
「もちろん。お前さんに聞いた『右目』に初めて会うたよ。魔方陣で上主さま執務室に投げこまれたままやったそうな」
「右目さんは藤生君の行方、心配されてたんじゃ」
「俺を見たらなぜか安心して『頼みましたよ』とか言うし。わけわかんね、あの異星人」
「なら藤生君のほうは僕らも安心していいはず」
久瀬くんはうつむいた。
「預けた羅針盤だけは、別扱い」
天宮さん言ってたな。藤生君は「気づかずに行ったのか。俺が『あれ』くすねてたって」って倫理感ゼロな発言してたとか。もし『あれ』が僕らの目の前のコンパスと仮定すると、藤生君の行動はどういう意味を持つだろう。
羅針盤、コンパス。船の航行には欠かせなかった。コンパス無しでは方角を定められず遭難必至、航海はできないのだ。オペラ『Flying Dutchman』のオランダ幽霊船のものだとしたら、幽霊船の出航を足止めする意図あっての行動と考えられる。
では次になぜ老夫婦に託したのか。なぜ不確実な手渡しという最も原始的方法を選んだのか。他の荷物とは違う扱いにせねばならない理由はなんなのか。
「それと久瀬。少女と銀髪の兄ちゃん、クリスマスイヴに苅野で見た」
「天宮さんから聞いてます。先輩もいたんですね」
「まぁな……そのあとすぐ別れた。で、尾行した。単独で。あの子おると尾行にならへん」
久瀬くんは分かります、と大きくうなずく。二人とも失敬な。
「学校裏の竹林の、お社。このクソ寒いのに張りこみやで張りこみ。魔法使うたらバレるし」
「そこでなにがあったんです」
「取引や。銀髪の兄ちゃんと人間の。藤生皆の『青磁の花瓶』に『奪われた少女のコンパス』の探索」
「話が見えてきました」
橘先輩がせりふを切り視線をあわせると、久瀬くんは目を細めて笑った。
橘先輩もまた不敵な笑いを返す。
「お社の周囲で『青磁の花瓶』の<呪>が高まっとう」
「天宮さんは今まさにそのお社にいる」
「サナリもいる。それにあの幽霊船、確実にこの夜明けに、動く」
橘先輩がトートバッグから取り出したのは、灰褐色の花瓶。橘謹製の逸品だ。
橘先輩はまぶたをふせる。
カーペット上に円陣が現れた。白い光を放つ、魔方陣。
「船に乗りこむわけですね。僕も便乗します」
「貸しは高いよ」
「クリスマスイヴ、天宮さんかなりへこんでて、一瞬だけ泣いてました」久瀬くんは笑顔で宣告した、「代償は払っていただきます、橘先輩」
「靴、持ってきてくれへんかな。自分のと俺のと」
久瀬くんはすぐさま玄関へと走った。
橘先輩はというと、花瓶をかかえうなだれていた。そして魔方陣に小さくつぶやきを捧げていた―――なんやろな、なぜかあいつに勝てる気がせんわ。