13.夜明けの抜錨〔6〕
「ごはんどうしましょ。サナリさんからカンヅメもらったんですけど」
「当面の食料は持って来とうから、カンヅメは置いとこ」
カンヅメなら消費期限長いしね。
サナリさんみやげの総重量を減らせないのは不満だけど。
「で、当面の食料って」
「がっつくなよ。せめて安賀島さん戻ってからか、久瀬復活くらい待たれへんか」
「がっついてない。でもそりゃおなかも減りますて。昨晩から寝もせんと動き回ってたし」
その大半は空回りだったけど。
「そやからお疲れさん。ごほうびあげる」
彼は片腕をさし出した。
ごほうびの品はベージュのコートの袖口からのぞく、中指と親指の間。あまりに小さく透き通っていてすぐには気づかない。ビー玉だった。
「それにコンパスの件、つめといた」
私が片手を出すと橘は私の手のひらに落とした。
もう少しでこぼれ落ちそうなところ、両手で受け取りなおす。水をすくいとるようだった。
「コンパスってあの安賀島大地に渡したやつ」
「うん。太陽に透かせばドラマが見られる。『家政婦○○た』ばりの家庭内愛憎劇、お楽しみに」
この人相手に漫才を無駄につづけるのもアレだ。
ビー玉ドラマを見よう。空腹もまぎれるだろう、たぶん。太陽に透かすなら外だね。
そう決めて座を立った。が、しばらく私は妙な体勢で固まった。お雛様気取りの正座で足がしびれたらしい。立ち直るまで数分強。
橘先輩の苦笑を全身に受けて、きまりが悪い。
「存在自体がネタやな」
「ほっといてください」
「なあ天宮さん」
「なんすか」
おざなりに問いかえした。
橘先輩はちらと久瀬くんを見やった。久瀬くんはしかばねと化している。
「俺、謝らへんから」
私は全身をこわばらせた。
言わんとすることはすぐに分かった。クリスマスイヴの教会のときの――息がつまる。頭の中で警鐘がガンガン鳴った。
足先の感覚は戻りつつある。一歩、前進。足の裏がころころに丸い球面になってみたいで、歩きにくい。それでもぎくしゃくした足取りで階段へと向かった。
部屋を出るまぎわ。
「あ、ちょっと待って」
今度はなんですか?
悲壮感を漂わせ、私はふり返った。
橘先輩はあふれんばかりの笑顔だった。なんの企みだ。
「ごはんまでには帰ってくるんですよ」
なんで急におかん属性になってんの……。
* * *
私はおもいきり道を間違った。
楼閣が一階層減ったことをど忘れして、甲板より下の階まで下り、迷った。
暗い。外の光が届かず、ぽつねんと一点のみ明るい。
小波さんが頭の中で質問を投げてきた。
『この明るいからくり細工は、なんなのです』
「ランタンかな」
壁面すえつけのランタンはアウトドア用品でよく売ってるやつだ。自動点火ボタンつき。LPGガス燃料、黄色い光のともし火。ひとつ拝借。点火のしかたは知っている。つまみを指でひねるだけ。
準備万端。
手元から暗闇へ、ランタンは続く通路と引き戸を照らしだす。忍び足で奥へと向かう。
通路じたいはなにかあるわけでもなかった。一番手前の引き戸を開く。中にはダンボール箱が積まれていた。興味をひかれ、そっと中に入ってみた。
うちのリビング十六畳くらいの空間。箱だらけだ。中には品物が箱からむき出しのものもある。むきだしの品物に触れた。プラスティックの質感が手に冷たい。ペットボトルの水だ。
ほかはゼリー飲料、パック入りごはん。乾燥おかゆ。ビスケット。サプリメント。リリーの白桃缶づめ。サナリさんよりリッチだな。
食料庫かな。かなり現代っぽい備蓄。
船の見た目や乗りこむ人は、昔の人。でも船内には現代的なアイテム。過去と未来のコラボレーションがどこか不思議だ。
『そなた!』
「え?」
小波さんの反応は尋常じゃなかった。
かたり。背後でかすかに音がした。そのとき、
「……やっ」
いきなり肩をつかまれた。
ことばにならない。口から音を出すのが関の山。
後へと引き倒された。意思に反しからだが傾いた。闇の中、上も下も分からない。
がしゃんと金属音。
ランタンの光が消えた。
背中と肩、おしりに鈍痛が走る。引き倒されしこたま打ったのだ。
頭上でがざがさ……派手な音が耳にとどろく。箱が上から降ってきた。
「ええっ」
声は崩れ落ちるペットボトルや箱でかき消された。とっさに頭をかかえ身をすくめる。
痛い。腕も、背中も。痛い、肩も、うげっ、頭も。
箱がふり止み、からん、ごろごろ、とペットボトルが転がる音がした。
暗中模索。
なだれのあと、私の周りは箱に囲まれているらしかった。
私は頭を上げた。なにも見えない。
しかし今度こそ、私以外の気配がした。目の前にいる。にじり寄ってくる……。
立ち上がるより先に、
「わあああ!」
思いきり叫んだ。
と同時にその気配が空箱をけり倒して私に覆いかぶさろうとした。私もそのへんの箱を無理やり押しやった。上半身をそらす。そして狙いも定めず、ケリを入れる。
「くう!」
ケリがヒット。うめき声の主、若い男?
想像する余裕はない。すきを見て腕に精一杯力をこめ、立てひざでしゃがんだ体勢に持ちこむ。腰を打って立てない。
でもいざとなれば組み手と寝技で対抗だ!
ちくしょうッ、と舌打ち。襲撃者の場所が分かった。そのへんの箱をかかえて身がまえた。
そのときだ。
「なにをやってる!」
まぶしい光が見えた。その部屋の入り口から、だろう。
人の声には聞き覚えがある。
「ここ、ここっ」
とっさに日本語が思いつかない。
「天宮はるこか」
そう、安賀島大地だった。
影は猛然とダッシュ。安賀島大地に体当たりをくらわした。
私は思わず箱をかかえて身がまえなおした。安賀島大地が倒されたら、次は。
ところが倒されたのは襲撃者のほう。大地に片腕でかかえられて、かろうじて立っている。
ようやく襲撃者の姿がうかがえた。長い髪で線の細い、ある意味私より少女らしい、着流しの少年だった。
「申し開きしてもらおう」
少年はあえぎながら答える。
「……食料、泥棒」
「嘘つけ」
少年は大地を突きはなすと、戸口のすき間をすり抜け、ふらつきながら逃げ去った。
安賀島大地は、ふん、と鼻で息をもらし、そのまま見送った。
「ヤツに連れ込まれたか」
「いやそんなんでは。道に迷って」
「面白そうだから入ってみようとか」
図星です。
「あのな。ふらふら歩き回んな」
反論の余地なし。すみませんと謝った。
「朝メシをたまたま取りに来たからいいものの。幸運の女神にでも感謝しとけ」
「感謝しときます」
「朝メシどうする」
「久瀬くん寝いっとおし、私もヤボ用すませてからに」
戻って橘先輩とふたりが嫌ってだけだけど、表向きは「ビー玉ドラマ鑑賞後」にしたい。
ポケットに手を突っこんで、ビー玉を確かめる。
「ヤボ用? また変なことすんじゃないだろうな」
「……ない」
「なにが」
「ビー玉が、ない」
あたりを見回した。暗くて見当つかない。あせって床にはいつくばった。崩落事故現場の箱をかき分けた。
ない、どこにも。
引き倒されたとき、ポケットからこぼれたんだ。きっと……!
「ビー玉。あの破壊魔の武器か」
安賀島大地が後ろからランタンで光を当ててくれている。
「橘先輩のやけど、武器やないです。魔法の手紙みたいな」
魔法の、と彼はくり返した。
不意にあたりが暗くなる。私は後ろを確かめた。
彼は少し離れたところにふたつ、転がっている箱を動かした。そして私のほうに向き直る。
「これか。魔法のビー玉」
私は息をのんだ。
ランタンの灯りで色は違えど、違いない。こんなにすぐに見つかるなんて。
私はビー玉を両手で包みこみながら、
「ありがとうございますっ。よかった。こんな暗いのによくすぐ分かりますね」
「メシ庫に<呪>のあるもの置いてないしな」
「すごい。<呪>のありかわかるんや」
「あんた、真性のバカだろ」
「え。なんで」
あとから気づいた。
この人、藤生氏の花瓶で船を動かすワープ魔法使おうとしてたんだよね。実はすごい人なんだろうけど、どうも実感わかないというか。
* * *
甲板の冷たい風に肩をすくませた。
まだ朝の低い光が船の柱に当たり、背後に長い影を描く。太陽に向かって立った。東を望む。
少し離れて食料品をかかえた安賀島大地が見はってるけど、気にしない。
船尾に回りサイドにもたれかかった。かじかむ両手をコートのポケットに突っこんで。ポケットの左手の中で小さな玉が転がる。
無意識の指先遊び。片手を冷たい空気にさらし、澄んだ水色のビー玉を空に透かした。占い師の水晶玉よろしく、映像が見える。
ビー玉ドラマの、はじまりはじまり――。