13.夜明けの抜錨〔2〕
「はるこさん」
私に呼びかけたのは、サナリさん。
髪の毛は明るい茶髪、顔つきもフレンチ・テイスト。ベルベットのジャケットに黒いコーデュロイパンツ。黒のたすきがけサックに、左手には缶づめ、右手にはパンダのぬいぐるみ。
確かに奇妙なバテレンだ。
武士たち数人、地べたにうずくまっていた。サナリさんの抵抗のあとだろうか。
「小波さま」
武士たちは私をそう呼んだ。
ここでもサギの手口が通用するらしい。私は、席をはずせと命令してやった。みんな命令どおり視界の範疇外に出て行った。
ヤミツキになりそう。
「どうやらご無事のようですね」
「サナリさん、どうしてここに」
その手のパイン缶とぬいぐるみはなんやねん。というツッコミはひとまず胸にしまう。あと、姫様しゃべりの私を素の天宮と見抜いた点も。
ともあれ予期せぬ味方の参戦。
ブラボー、サナリさんっ!
と、バンザイをば、
「はるこさんについて行けとの依頼で」
しようと思って、やめた。
「だれの?」
「あきなりです。警察に拉致られたと電話がありました」
「警察。なんで」
「それは彼女が説明してくれました」
サナリさんはそう言ってぬいぐるみをなでた。
彼女とおっしゃるのは、パンダですか?
「日下部あおいさんです。神社の境内で迷っていらっしゃったので、ぬいぐるみに緊急退避させました」
このパンダが、ですか。
サナリさん無茶苦茶や。
いやいやちょっと待て。
「サナリさんは魔法が使えないんじゃ」
「それは自主封印ですし……呪を使って刑期も延びるでしょうけど、上主様は海の中ですから良いかなと。でも苅野を出るのも脱走ですので、はるこさん、上主様に無事会えたときには弁護してくださいね。ああ! それよりむしろ、バイトの途中でオーナーを叩き起こして一週間ほど休みますってのは、きっと……」
サナリさんはひとりで悩み、遠い目をして力なく笑った。
藤生氏よりバイト先の方が怖いらしい。
ところであおいちゃん(パンダ)はどうしたら良いのだ。サナリさんに聞くと、
「彼女をあなたの中に戻すことには反対します」
意外な抵抗だ。
驚きつつさらにその理由をたずねると、
「不自然です。あと管理上も好ましくありません」
今回の事件では有利に働いたが、今後は分からない。あくまで別人格を持つ別の魂魄だから、好ましいとはいえない。おたがいにしばり、しばられているのだから。
もっといい方法があるのなら……そのほうがいい。
管理上、というのはもし私になにかが起こったら、ということだ。私があの世行きになったら?
「苅野<MagiFarm>内なら争奪戦は起こらないし、起こさせません。ですがそれ以外の場所は保障しかねます」
「ずっとあおいちゃんはパンダのまま」
「他に良い方法があるはずです」
それより警察のことです、とサナリさんは話を変えた。
少し考えてから、先になつきが無事だったかを聞いた。
「武崎なつき、でしたか。彼女は無事、病院に収容されました」
「よかったあ」
ほっと一息つく。ひとつは安心。
そしてもうひとつ、警察の件は。
「その武崎なつきのご両親が警察に届け出ていたようです」
「どうしてなつきの両親がいたからって久瀬くんが警察に」
「昔ちょっとしたトラブルがあったからです」
「なら質問、変えます。なつきの両親がなにを言うたんですか」
サナリさんはふっと顔をほころばせた。
「賢い質問ですね。彼女の母親がこう言いました。『娘をまた殺そうとした』と」
なつきの母親が放った鋭い矢。
すぐに連想するのはさきほどの会話の――魔物の生贄。
「なにが昔」
サナリさんが眉間にしわを寄せる。
「それは今ここで話さねばならないことですか」
「それは……気になって」
「あなたが今、最も気を配るべきはあなた自身の身の処し方ではありませんか」
真っ当すぎる指摘。そのとおりだ。
『その久瀬とやら』
小波さんが頭をもたげる。
『妾はあのおなごの念を読んだ。あの者、久瀬は、信ずるに値せぬ』
「どういうこと」
『知りたいのか』
くちびるを結んだ。話して、と言いそうな自分を押しとどめる。
『あの者はかつておのが身を守るために』
「ストップ」
『武崎なつきを魔物の生贄とし』
「ストップだってば!」
ひとり絶叫コントだ。
ただ全然おもしろくない。不愉快なネタのコントなんて最低だ。
「だれが勝手に悪口話せて言うたよ!」
聞きたいけど聞きたくない。
昔はいざ知らず、今はすごく頼りになる。信ずるに値するに決まってる。
そう言いたいのに、言えなかった。
日下部あおいちゃんの事件のときは冷淡だった。今でも藤生氏が海に沈んで「知ったことか」と切り捨てる。なつきの失踪も最初は警察にまかせれば、と鹿嶋くんの神経を逆なでたようだ。
なつきは冷静で、そして本当の意味でプライドが高い子だ。人の悪口は嫌いで、彼女の口から人をバカにするような話題がでたこともない。そんな彼女が久瀬くんに向ける視線、かかえる悪感情。
……魔物の生贄。
なんだろう。このいまわしさ満点のことばは。
いや、黙して語らぬ過去を言葉だけで、部外者の私が推し量るのは間違いだ。これだけで、なつきが被害者で久瀬くんが加害者、そう考えるのは一方的すぎる。でも、なつきの彼に対するどこかおびえた態度。それはこの禍々しいことばを証明するようでもある。
昔のこと。
そう考えようとする私は前向きなのか。それとも思考停止にすぎないのか。
小波さんが笑っている。
『こなたは、あほうじゃな』
せせら笑いではなかった。少し好意的にさえ思える。
むやみに人の過去をほじくり返してもなにも生まれない。それと前を向くのは思考停止じゃない。前に進んで、次のことを考えるためだ。そう思いたい。
サナリさんが黙ってハンカチをさし出してくれた。
いつの間にか目から涙がこぼれていた。気づいたら視界がぼやけて鼻がぐずぐずする。
……あ、バーバリーのハンカチだ。
「鼻かんでもいいですよ」
だれがかむか。
ツッコミ入れつつ、あいがど、とお礼は言っといた。