動かない足
「もう、どうなってもいい」
漏れた言葉。ホームに滑り込んだ電車が起こした風で、かき消される。
ポケットに入れた手、触れる包丁。
俺は今日、人を殺す。
この電車は急行だ。次の駅に着くまで、あと十六分。
……ダラダラしてらんないな。少なくとも三人は殺さないと。
俺はポケットから包丁を取り出し、掲げ、吠えた。
「今から、お前らを……殺す」
人々の視線が、スマホから俺に。
しばしの沈黙。
「え」
座っている中年男がようやくか細い声を上げると、ようやく何十にも重なった悲鳴が響いた。
俺はその中の一人、若い女性に向かって振り下ろす。
グチャリ
感触は最悪。けれど、今はそんなことを考えてる暇はない。
包丁を抜いて、振り返る。腰が抜けたのか、その場で這いつくばっている男が一人。腕を必死に動かし逃げようとしている。
俺はすぐさま駆け寄り刃を刺す。
ドチュ
「あ、あぁ!」
息を吸うのと吐くのを同時に行ったかのような、苦しげな叫び。
あと一人。
「うぷッ」
……吐き気を抑えながら、次の号車へ。
二重になっている引き戸を勢いよく開けるとそこに居たのは――
車椅子に乗った若い男だった。
その男は身じろぎひとつせずこちらを見つめている。
「殺すぞ!」
俺の怒声が響く。けれども男は動かない。
「殺すぞ!」
再度の叫びに男は……頷いた。
「聞こえてるよ。好きにすればいい」
……は?
「は?」
「僕は、逃げれないからね」
「?」
「これ」
男が車椅子をこつんと叩く。
「電車から降りるためには、駅員の助けが必要。で、駅員が来るのはこのドア。なら、逃げるだけ無駄だと思わない? 降りれないんだから」
「……いや、無駄じゃないだろ」
誰かにおぶってもらえばいいだろ。誰かに……助けてもらえばよかっただろ。
こいつ、馬鹿なのか?
……もういい。殺そう。
「もう、どうなってもいいんだよ」
「……!」
進もうとしていた足が固まる。男は続ける。
「足はもう二度と動かない……サッカーも、できない」
男の頬に涙が伝う。
「……」
俺と、同じだ。そんな言葉が頭に響く。血の匂いが、吐き気を誘う。
ふと、手を見た。血が、べっとりとついた手。
流れる景色の速度が落ちる。もうすぐ駅に着く。
足は動かない。
――誰かがおぶってくれる
そう、思えていたら。俺は……いや、
「もう遅いか」
電車内、警察に取り押さえられながら、俺は言葉を漏らした。




