9. 動乱の余韻
魔獣が塵となって消えたあと、迷宮には不自然なほどの静寂が訪れていた。
崩れた石壁、焼け焦げた床、散らばる瓦礫。
それらだけが、つい先ほどまでの激闘を物語っている。
研究者の男は、消えた魔獣の痕を興味深そうに見つめていた。焦りはない。むしろ、満足げですらある。
「……ふうん。ここまでやるとは思ってなかったなぁ。」
独り言のように呟き、わずかに顎に手を当てる。
その視線は、倒れた魔獣ではなく、ライラ――そして、主を守らんと強烈な圧を自身に向けて放っている精霊へと向けられていた。
男は軽く肩をすくめる。
「まあ、今ここで本気でやり合うのは、さすがに効率が悪いかな。データも十分取れたしね。」
男の足元に、淡い魔法陣が浮かび上がる。
「また会おうね、精霊魔術師さん。」
その言葉を最後に、男の姿は霧のように掻き消えた。
ーーー同時に、糸が切れた人形のように、とうに限界を超えていた身体が言うことをきかなくなる。
「……っ……。」
ライラの足から、力が抜ける。
ぐらり、と視界が揺れた。
耳鳴りが遠くなったり、近くなったりする。呼吸が浅く、早い。
白と赤の魔石は、すでにその輝きを失いかけていた。
レアが心配そうにライラへと手を伸ばそうとする。
何も言わず、微笑みだけをライラに向けて。
だが、その身体は淡い光となって、少しずつほどけていく。
ルナは、少しだけ不機嫌そうに腕を組んだまま、ライラを見ていた。
「……無茶しすぎ。」
――最後に、小さく息を吐いて、短く告げる。
そして、ルナの姿も光に溶けるように消えていった。
ライラは、かすかに笑おうとした。
けれど、やはり身体が言うことをきかない。
「ライラさんっ!!」
リゼの声が響き、レントが駆け寄る。
ライラは一歩、二歩とよろめき――そのまま膝をついた。
(……ああ……さすがに、無茶しすぎたなぁ……。)
視界の端が暗くなる。
誰かの手が、自分の肩を支えた気がした。
傷だらけでボロボロで、でも温かい感触。
その温かみはライラの緊張をゆっくりとほぐしていく様に、その手を伝って、優しく染み込んでゆく。
「ライラ……!」
その声が誰のものか確かめる前に――意識は、静かに闇へと落ちた。
――――――
次に目を開けたとき、見慣れた天井がそこにあった。
高い白い天井。
大きな窓から差し込む柔らかな光。
微かに漂う魔力の匂い。
魔術師団の医務室だ。
身体に痛みはない。
だが、胸の奥が空っぽになったように軽い。魔力がほとんど残っていないのが、自分でも分かった。
ベッドの横で、静かな足音が止まる。
カツ、と硬質な靴音。
ライラがゆっくりと視線を向けると、そこには紫紺のローブ――リアーナが立っていた。
「……目が覚めたか。」
その声は厳しくも、どこか安堵が滲んでいる。
ライラは小さく頷いた。
リアーナは一瞬だけ目を伏せ、それからまっすぐにライラを見る。
「無茶をする。」
叱責のようでいて、どこか押し殺した心配が混じった言葉だった。
それから、わずかに表情を緩める。
「だが――よく守ってくれた。お前でなければ、あの場はもっと酷いことになっていた。」
ライラは言葉を返せなかった。
胸の奥に、わずかな悔しさと、それでも確かな手応えが混ざっていた。
リアーナは視線を窓の外へ向ける。
「例の男については、すでに調査を始めている。が、正体も目的も全く分からない。
ただ、相当に厄介な相手なのは間違いない。」
その言葉に、ライラはわずかに目を細めた。
終わりじゃない。
リアーナは再びライラへと向き直り、静かに告げる。
「今は休め。――それがお前の仕事だ。」
医務室に、静かな時間が流れる。
ライラは目を閉じ、深く息を吐いた。
(まだ、終われない。でも――今は、少しだけ。)
窓の外から差し込む光が、彼女の頬をやさしく照らしていた。
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