1. 猫と地竜と「ありがとう」
よろしくお願い致します。
元・王立魔術師団副団長。
史上最年少でその地位に着き、そしてーー
たった一度の「迷い」で全てを失ったーーー。
リルオール王国。その王都の朝は、思ったよりも騒がしい。
「ライラ!まだー?」
「待ってってば、今出るから!」
木造の小さな建物の奥から、ぱたぱたと足音が近づく。
扉の横には『青の箱庭』という質素な看板が掛かっている。
扉が開き、寝癖を隠すように灰緑色の髪を結んだ少女――ライラ・ブルーガーデンが顔を出した。
「おはよ。で、今日はどうしたの?」
「猫!昨日から帰ってこないの!」
「……それ、昨日も聞いた気がするんだけど。」
ライラは苦笑しながら、依頼書を一枚取り上げた。
内容は簡単。迷子のペット探し。
魔獣討伐でも、盗賊退治でもない。
王都の片隅で生きる“何でも屋”の、よくある朝だった。
⸻
(副団長だった頃の私が見たら、どう思うんだろ。)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
王立魔術師団副団長。
史上最年少。天才。
――そんな肩書きは、もうどこにもない。
今のライラは、ただの“何でも屋”だ。
「……よし、行こっか。」
軽い声色とは裏腹に、胸の奥に小さな重さが沈んでいる。
それを表に出すつもりは、ない。
⸻
猫探しはすぐに終わった。
屋根の上で昼寝をしていた黒猫を、精霊の力も借りながら降ろしただけだ。
ほんの数分の仕事。
「ありがとう!」
「またお願いしてもいい?」
「もちろん。」
何気ない言葉。
何気ないやり取り。
それなのに。
「……ありがとう。」
その一言が、胸の奥に静かに染み込んでくる。
(……変だな。)
昔は、どれだけ感謝されても、こんなふうに感じなかった。
それが“当たり前”だと思っていたから。
――守るのが、役目だったから。
⸻
帰り道、孤児院の前を通る。
足が、一瞬だけ止まる。
建物は新しくなり、子どもたちの笑い声が聞こえる。
でも、そこに――
(……)
ライラは何も言わず、歩き出した。
過去を悔いていないわけじゃない。
選択を間違えたと思わないわけでもない。
ただ――
(私は、あの時……。)
続きを考えるのを、やめた。
考え続ければ、また迷う。
迷えば、進めなくなる。
だから、今はーーー。
「ライラさーん!」
声をかけられ、振り返る。
そこには、顔なじみの冒険者が立っていた。
「地竜が出たって話、聞いた?」
「……地竜?」
王都近郊。
それは、軽い依頼では済まない名前だ。
「騎士団も動くみたいだけど、人手が足りないらしくてさ。
あんた、元――」
「やめて。」
ライラは、笑顔のまま言葉を切った。
「今は“何でも屋”。それ以上でも、それ以下でもないよ。」
冒険者は一瞬言葉に詰まり、苦笑する。
「……それでも、頼りにされてるのは事実さ。」
「困ってる人がいるなら、考える。それだけだよ。」
その声は、軽い。
でも、どこか逃げるようでもあった。
ーーーーー
夕暮れ。
今日の報酬は、銀貨数枚と、焼き菓子。
「安いねぇ。」
そう言いながら、ライラは不満そうな顔をしない。
むしろ、どこか満足そうだった。
(小さな依頼。小さな感謝。)
それでいい。
それでしか、今の自分は前に進めない。
ライラは、空を見上げる。
王都の空は、今日も穏やかだった。
(ふぅ。行こうかな。)
ーーーーー
地竜は、思ったよりも大きかった。
王都郊外の迷宮付近。
地面を割るように現れたその姿に、周囲の冒険者は息を呑む。
「……でかいねぇ。」
ライラは、ぽつりと呟いた。
恐怖はない。
だが、油断もない。
(地竜。防御力が高く、力押しは無意味。
……騎士団が来るまで、時間を稼ぐべきかな。)
『地竜が出た』という話を聞き、依頼を受けたわけでもないのに、なぜかここへ来てしまった。
(ほんとは、面倒なことは嫌なんだけどなぁ。)
「くそっ、挟まれた!」
そんなことを考えていると、視界の端で、若い冒険者が地竜の尻尾に吹き飛ばされる。
(……っ。)
一瞬。
ほんの一瞬だけ、迷いが生じた。
――前に出るか。
――守りに徹するか。
「……仕方ない。」
ライラは地面を蹴り、飛び上がる。
三つのピアスが柔らかく揺れる。
小さく息を吐き、白いピアスに触れた。
(レア、お願い。)
ライラがそう願うと、冒険者たちの前に淡い光の障壁が出現する。
そしてそれは、淡い儚げな色とは裏腹に、地竜の強烈な一撃を防いで見せた。
精霊の気配が、そっと背中を押す。
ライラは地竜の前に降り立ち、対峙する。
戦いは、派手ではなかった。
火力で押し切ることも、圧倒することもない。
地竜の動きを読み、
足場を崩し、
攻撃を逸らし、
冒険者が逃げる“時間”を作る。
「今!下がって!」
指示は簡潔。
声は冷静。
だが、その背中は――どこか必死だった。
(……守れてる?)
自問が、胸を刺す。
地竜の咆哮。
大地が揺れる。
(ルナ、出番だよ。)
ライラは今度は赤いピアスに触れる。
そして、最後に一度だけ、強めの魔法を放った。
“倒す”ためではなく、
“終わらせる”ための一撃。
魔法陣が展開され、そこから光の刃が地竜へと向かっていく。
地竜はそのまま後退し、岩場の奥へと姿を消した。
⸻
騎士団が到着した頃には、すべてが終わっていた。
「……撤退したか。」
騎士団副団長カイル・メイヤードが状況を確認し、頷く。
「……ライラか。また無茶をしたんじゃないだろうな?」
少し呆れたような、でもその声色には心配の色が見てとれる。
「大丈夫。冷静さは忘れてないよ。」
ライラは淡々と答えた。
「誰も死ななかったからね。十分な戦果だよ。」
その言葉に、冒険者の一人が目を見開く。
「……ありがとう。」
その一言に、ライラは一瞬だけ目を伏せた。
(……ありがとう。)
胸の奥が熱くほてるような、ささやかな痛みを感じた気がしたが、ライラはその痛みから目を逸らした。




