第八話「私は救いたいはず」
陽も沈み、街中が暗くなり始める頃、私はオロ様に連れられて表通りを歩いていた。
この日の記憶はどうも曖昧だ。
灰色のトレンチコートを纏ったオロ様と、黒ずんだ皮のジャケットを着て、目深帽子を被った私。
「あまり過剰に周りを見ないように」
「は、はい」
どうしても周りの目を気にしてしまう。当たり前ではある、これから私は人を殺すのだから。
「対象は既にステラが捕捉しています。――あぁ、ステラとはまだ会っていませんでしたね、ステラはヴェローチェの長女で僕の妹にあたります」
ステラ……ステラ=ヴェローチェか……。
「君と年齢も近いので、いずれ出会ったら仲良くしてください」
「は、はぁ……」
今は何を言われても頭に入らない、心臓の音が周りに聞こえてしまうくらい大きい。走ってもいないのに息切れがしている。
「……緊張するな――というのも無理な話でしょうね、それは正常な証拠です。闇を知ろうとすることは光を自覚することでもあります、今は君自身の光が抵抗しているのでしょう。そのうち光と闇の均衡を取れるようになりますよ」
光と闇、善と悪――これに触れて私は何になろうとしている……?
「さて、もう少し進んだ裏路地に酩酊して歩く対象がいます。まだ夕方だというのに気楽なものですね」
確か病気の奥さんがいて、組織のお金を盗んで……それで……。
無言のままオロ様と路地裏へ歩みを進めると、そこにはふらついた足取りの男がいた。
テラコッタで出来た家と家の間をゆらりゆらりと歩いている。
「……頃合いだけは僕の方で指示します。僕が靴の音を鳴らしたら、ナイフを構えて男に体当たりして家の壁にぶつかって深く刺してください。ナイフはすぐに抜き、死体は放置してそのまま走って先にある運河に飛び込みなさい」
「わ、分かりました……」
走って、刺して、飛び込む……。
黒ずんだ革のコートに目深帽子。顔は見えないし、返り血で汚れても汚い運河に飛び込めばすべて上書きされる……。
あとはうまくやれば……。
うまくやって……その先は……?
「それでは、あとは頼みました」
その一言を残すと、隣を歩いていたはずのオロ様はいつの間にか夕闇に溶けるようにいなくなってしまっていた。
「………………」
一人残された私は周りを見渡すと、疎らに人の姿が見える。
これ以上迷っていたら更に人が増えてしまうかもしれない。
――やるしかない。
私は今度こそ自分の場所を守るんだ……。これ以上失いたくない!
カーン!
どこからともなく、靴底で石のような硬いものを叩く音が鳴った。合図だ。
私は腰からナイフを取り出し、全力で走り出した。
多分、泣いている気がする。理由は分からない。
泣いても絶対に叫ばない、でも足音はバタバタとうるさいくらい石畳から音を出している。
心のなかで叫びながら、私は目標の男の背中から体当たりをした……!!
ぶつかるだけじゃ駄目だ!
単に大人の男性とぶつかったら少女の私なんか、逆に跳ね返って倒れてしまう。でも、今は最初から倒すつもりで突っ込んでいる……!
男をそのまま家の壁に叩きつけ、勢いでナイフをより深くまで突き刺す。
「うぼぅ……」
男が壁にぶつかった衝撃で反射的に声を出した。まだ刺されたことにも気づいていないから叫び声も出ない。
そして、刺したら――抜く!!
腕だけで抜こうとしたら、深く刺さりすぎたのかナイフは微動だにしなかった。すぐに片足を男の背中に蹴って勢いで抜くと、逆に勢いが良すぎて私は地面に転がるように倒れ、同時に男からは噴水のように暖かい血が噴き出した。
運がいいのか悪いのか、男の大きい血管を切ったのかもしれない。即死ではないにしろ長くはもたないだろう。
覚束ない足取りで男の元に向かうと、口元から唾液と血を流しながら男がなにかを呟いていることに気づいた。
「……シャフリー。うぅ……シャフリー」
奥さんの名前だろうか。病気を治すために自分が死んでしまっては意味がない――のだろうか?
いや、私の母は私のために働いてくれて、その結果死んでしまった。
私の母は馬鹿ではなかった。だから、私はこの男を馬鹿だと思ってはならない。
私は母の助けになりたかったし、救いたかった。
じゃあ、私はこの男も救わなければならなかったのでは……? なんで殺しているんだ……?
私は救いたいはず……。
母のように善に生きた人も。この男のような、悪に頼ってしまった人も。そんな男に頼っているこの人の奥さんも……。
――そうか、なんとなくわかってきた。『私』の成すべきことが……。
『心の中の欠片』が一つ埋まったような気がする……。
思い出したかのようにハッとして起き上がり、返り血と涙と鼻水でどろどろになった顔を拭き、勢いよく走り出して汚水まみれの運河に向かって飛び込んだ。
――『私』は弱い。
やる事はわかった、あとはどうすれば……どれだけやれば強くなれる……?
水流に身を任せ、思考が鈍っていく。
『私』は強くならなければ……。
臭く、汚い運河を流れ、意識が朦朧としていく――
◇ ◇ ◇
「――気絶してしまいましたか」
かすかに声が聞こえる。
誰かに抱きかかえられている感触がある。
うっすらと眼をあけると、運河の水面から一歩、また一歩と、見えない階段を登るように空中を歩く足元が見える。
――幻覚だろうか。
「初めての『試練』にしては上出来でしたよ。君が殺した男はあとで目立つように僕が『逆さ吊り』にでもしておきますよ、聞こえていないかもしれませんが」
空中を歩く先には運河にかかる石橋が見える。
私を抱えているのは――オロ様? 大事なコートが汚水で汚れてしまっている……。
ゆっくりと空中を歩き、石橋に足をつけると、抱きかかえていた私をゆっくりと石橋に寝かせた。
薄目で見ていた景色が重い瞼によって再び暗闇になってしまった。
「兄様、新入りの子はどうだった?」
幼い少女の声が聞こえる。
「ありがとうステラ『探索』をこんな簡単な仕事に使わせてしまいましたね」
「別にいいよぉ『探知』『探索』『追跡』はワタシの『能力』の仕事だしねぇ。かわいい後輩のためにならじゃんじゃん使っちゃうよ!」
「ありがたい話ですが、あまり気軽に使われては困りますけどね」
「そういう兄様こそ、さっき普通に空中歩いてたじゃん!」
「僕のはこういう時のために使う『能力』ですからね。彼女を効率的に回収するには必要なことです」
「ん? 彼女?」
「おや、気がついていませんでしたか?」
「あぁ、女の子なんだ。この子」
「意外でしたか?」
「ううん、なんか男の子なのかなって感じただけ。なんていうか意気込み? 雰囲気が強そうっていうか、男の子っぽいなぁーって思って」
「確かに対象を殺す瞬間の鬼気迫る顔つき、ただのか弱い少女から一つ何かを乗り越えた様子が伺えました。いい成功体験が掴めたことでしょう」
「それが女の子っぽくないってこと?」
「そうは言っていませんよ。ただ、少女のままにしておくには勿体ないと思っただけですよ」
「ふーん、よくわかんないや」
「ステラにはまだ早い話かもしれないですね」
「ワタシは兄様みたいにはなれる気がしないやぁ」
「僕もステラにはなれません。でも、なろうと努力することはできます」
「この子が男の子になるってことと同じ?」
「ヴェローチェはあくまで実力主義――男も女もありません、ステラが良い証拠です。ですが、外の世界ではやはり男性でなければ手に入らないものが沢山あります」
「へぇー、そうなんだ」
「ヴェローチェが教えるのは彫金、給仕、そして暗殺の技術、表でも裏でも自分一人生きるだけの力は与えます。しかし、もし『それ以上』を望むなら、それこそ目指すべきは全てを持ち合わせる『父様』です。一人の力ではなく、多くの出会いと力――とでも言うべきでしょうか」
「父様かぁ……。正直ワタシは兄様がいる限りなれないと思っているからなぁ」
「そんな事ありませんよ、ステラ。彫金と暗殺の技術なら僕はステラには全く勝てません、あとは座学と立ち振る舞いが――給仕が出来たら完璧です、父様に一番近いのはある意味ステラかもしれませんよ」
「そこが難しいんだよなぁ〜」
二人の笑い声が聞こえる。
彫金、暗殺、座学、立ち振る舞い――そうか、私が強くなる方法はすべてヴェローチェにもうあるのか……。
でも、外の世界で私のやりたいこと――私だけじゃない、誰も彼も困っている人をみんな救うには『女』であることはどこかで足枷になってしまう……!
それなら『私』は今日から『ボク』だ。今この瞬間に『女』である自分を胸の奥にしまった。
『私』は『ボク』として生きていく。多くの人と出会い、力を得て、目的を達するその日まで――




