第五十三話「早く殺さなきゃ」
――冬が来た。
もうボクが孤児院ヴェローチェに来て二年になる。
ホーダー兄さんがキャロット農場に資金援助をしてからゆっくりと時は過ぎ、半年近い月日が経った。
南部の貧困問題は資本不足に依るものが大きかった。資源がない、設備がない、金がない、人がいない、学がない、分かりやすい悪循環だ。
ホーダー兄さんは夏から秋にかけてありったけの金銭を注入して、とりあえず人口の外部流出を防いだ。
人がいれば物が生まれて消費し、物が売れれば金が増え、金が増えれば設備が増え、設備が増えれば人が増える。
新聞にはそう書いてあった。ボクにはまだちょっと難しい話だ。ただ、それが良い方向に流れていることはなんとなく理解できた。
最終的には兄さんの手元に出資した以上のお金は返ってくるのだろうけど、その頃には兄さんは何歳になっているのだろうか。
という感じで、兄さんの名前を新聞で目にして思わず口元が緩んでしまっていた。
今日は即売会だ、気合いを入れなければ……!
◇ ◇ ◇
「あれ……? ホーダー兄さん……?」
即売会も半ばを過ぎた頃、ホーダー兄さんが来店しているのを遠目に見かけた。
接客中であったので声をかけることはできなかったけど、何か買いに来てくれたのだろうか?
そのまま何人かのお客様の接客を終え、一瞬気を抜いたところで肩を叩かれた。
「やぁバロネッサ、元気そうで何よりだ」
黒い燕尾服を着たホーダー兄さんが声をかけてきてくれた。その佇まいは兄妹との交流ではなく、あくまで貴族の振る舞いをして給仕に語りかけるものであったけど、思わず顔がにやけてしまいそうになった。
「あ、ありがとうございます! 今日は何をお買い求めですか?」
「いや、もう用事は済んだんだ。帰りに挨拶をと思ってね、それじゃ宜しく頼んだよ」
「は、はい! ありがとうございました!」
ホーダー兄さんが目の前に現れて応援してくれる。それだけでボクのやる気は上がって、その日は最後まで張り切って仕事をすることができた――のだが……。
◇ ◇ ◇
「父様、大変お待たせいたしました。バロネッサを連れてまいりました」
宝石店の窓も何も無い地下室。いつもならオロ様から暗殺の指令が配られる場所なのだが……。今日は何故かいつもよりも早い時間に、そして父様がいる場で事は始まった……。
オロ様、カルロ様、ステラ様と並びボクも跪く。
「今回の即売会で暗殺依頼が十二件、うち十件は簡易なものだ。給仕にやらせよ」
「畏まりました」
オロ様が書類の束を父様から受け取る。あの束がいつものボクらに回ってくるのだろう。
「そして、残りの二件は重要な案件なので三人に頼みたいのだが――暗殺をバロネッサやらせろという条件付きだ」
「なっ!?」
思わず声が出てしまい、両手で口を塞いだ。どうしてボクが……? なにか即売会で失態を犯したから呼ばれたのかと思っていたから、まさかの内容だった。
「内容をお伺いしても宜しいでしょうか」
オロ様が顔色一つ変えずに父様に尋ねる。
「一つはイタリア南部の貴族のカナロア家の血筋とその支援者の殲滅だ、遠縁と支援者が二十人ほどいるらしい。誰でもよいがバロネッサを加えた組で殺してほしいとのことだ」
「!?」
両手で口を押さえたまま必死に声を抑え、自分の耳を疑った。カナロア家だって……? ボクの生まれた家をボクの手で滅ぼせと言うのか……?
カナロア侯爵の資産は全てボクたち親子が相続している。だから相続に影響しないくらい遠い血縁だろう……。
視線を感じて隣りを見ると、カルロ様とステラ様が目線をこちらに向けている。お二人も事情を知っているから驚いているのだろう。
「もう一つはクロストリ=D=ディフィシルという男の暗殺だ、これもバロネッサにやらせよということだ」
誰だそれは……? 全く馴染みのない名前だ……。
「愚問かもしれませんが、依頼人はどなたですか?」
「ホーダー卿だ」
「承知いたしました」
「ホーダー卿からの伝言だ。『一年以上前からカナロア家が動いているのは察知していたが、ようやく具体的に動いている者が判明した。イタリア南部支援政策推進のために殲滅して欲しい』とのこと。また、ディフィシルはバロネッサや他の家族をドゥラ家から追い出し、資産も我が物とした謂わばドゥラ家の癌だった者だそうだ」
「……ご伝言確かに承りました」
一年以上前なら、ボクがカナロア家に戻るか選択するより前だ……。ボクがカナロアに戻ってホーダー兄さんと歩まなかったから……。対案も出せずに一緒に歩めないと言った結果がこれ……?
自分の選択が軽いものだとは思っていなかったけど、その結果がこれだと思うと、自分の肩に伸し掛かってくる重圧の重さに倒れてしまいそうだった。
「指令は以上だ、あとはオロに任せる」
「畏まりました」
全員が立ち上がり、礼をしながら父様が去っていくのを見届けると、ボクは急に足に力が入らなくなってしまった。
「あ、あぶない!」
隣にいたステラ様が抱きしめるように受け止めていただいたお陰で石床に叩きつけられずに済んだ。
「……なんというか、流石の俺でも今回のは酷いと思うぜ」
カルロ様が頭を掻きながらボクを横目で見る。
「しかし、君にとって大勢を救うためのやむを得ない殺しは『善』ですよね? バロネッサ?」
オロ様が厭らしい顔つきでボクに尋ねてくる……。答えをわかったうえで……。
「はい……。ボクは……ちゃんとやります。ボクと同じ血が混じっていても……」
「む、無理はしちゃダメだからね!?」
「無理は承知の上です!」
震える喉から声を絞り出した、これくらいなり超えなくてヴェローチェになれるものか!
殺ってやる! 『ボク』はカナロアじゃない、バロネッサだ!
「ところで――」
「なんだよオロ兄」
「僕としてはこのディフィシルという方が気になるのですが?」
「そっちは普通の暗殺じゃないの?」
ボクや他の家族を市井に追いやった人物とは言え、ただの一般人だ。身内殺しに比べたらなんてことは――
「カナロア家の殲滅には南部支援政策のためという公的で正当な理由がありますが、ディフィシル氏の暗殺はホーダー卿の私怨による暗殺依頼です。更に言えばバロネッサの私怨でもあります」
「あ、あ……」
そんなの『悪』じゃないか……。
ボクの思う『善』とは多くの人を救うための殺しで、『悪』とは個人的な私怨での殺し……。
しかもよりにもよって『私』の私怨の殺し……!
そんなの……そんなの……許されるはずが……。
足の力が入らず、ステラ様に促されてそのまま床に座ることとなった。
「流石にヴェローチェになるための試練にしてもやり過ぎじゃない……?」
「俺ももうこれ以上、こいつらを壊したくないぞ……」
試練……か。そうじゃなきゃ、ボクにやらせるわけないよな……。
「……バロネッサ。君の善悪問答はまだ終わっていなかった、それだけのことです」
「オロ兄!」「兄様!」
「立ちなさいバロネッサ、そしてナイフを持ちなさい」
「正気かよ……」
「カルロ、ステラ。カナロア家に関しては明日出立してその晩に実行します。ディフィシル氏は帰還後直ちに、ディフィシル氏の居場所はステラの探索で確認しておくように」
「わ、わかったよぅ……」
カルロ様とステラ様が心配そうな目でボクの方を見てくる。
ありがたい話だ、こんなボクを大事に思ってくださるなんて。
早く殺さなきゃ――暗殺者としてのボクの人格を……。




