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第五十一話「これは本当に欲しいものだから」

 ボクが広げる間もなくキャロット農場の話は孤児院内でも飛び交っていた。


 それもそのはず、今日は月に一度の即売会だからだ。富豪の関係者の方々にとって少なからず影響があるに違いない……。


 皆がそう思っていたのだが、意外にも世間はそんなに大きく動くことはなかった。


 精々アルコールのつまみ程度に話題として挙がる程度で、世間とは――少なくとも北部のこのヴェネツィアという地には大きな影響はないのだなと思っていた。


 しかし、一人だけは違っていた……。


「あら、バロネッサの坊や、今日も来たわよ? オススメの品はあるかしら?」


 キャロット農場の夫人がいつものように笑顔で訪れていた……。


「……それでしたら、拙作の腕輪などいかがでしょうか? お手軽にお手に取れるよう、お値段も手頃でございますし……」


「あら、素敵。いただいちゃおうかしら!」


「はい、ではお会計まで――」


「他には良いものはないのかしら?」


「他に――で、ございますか……」


 夫人は頬に手を当てながら笑顔で尋ねてきた。


「それでは拙作の髪飾りなどはいかがでしょうか……こちらは金メッキではなく十八金を用いておりますので、ややお値段が――」


「良いわねぇ、それもお願いしようかしら」


「かしこまりました……」


 夫人は笑顔を全く崩さない。


 あれも、それも、これも、二つ、三つ、四つと商品をカゴに入れていく。夫人の視線は商品の質や金額ではく、買うという行為に向いてしまっているように見えた。


「お、お客様……! そ、その……そろそろおやめになったほうが……!」


「どうしてぇ? 良いものを買うのは当然じゃない? ヴェローチェさんも買ってもらうために商品を並べているんでしょ?」


「い、いや……その……」


 笑顔を崩さない夫人に対してボクが言い淀んでいると、そのやり取りを見ていたのかいつの間にかオロ様がボクを制して表へ立った。


「お客様、バロネッサの失礼な振る舞い、誠に申し訳ございません。ヴェローチェでは毎月良質な品をご用意し、皆様のお手に取っていただけるようにしております」


「そうよね! 私も毎月楽しみですもの!」


「――ですが、あくまで我々は貴金属を身につけ、贈り、飾るためにご用意しているのであって、お客様の購買意欲を満たすためではございません。差し出がましいようですが、失礼いたします」


 オロ様が一礼して颯爽と消えてしまった……。


 目の前を見ると呆然と立ち尽くす夫人の姿があった。正直、ボクも呆気に取られてしまっていた。


「そ、そうよね……私買わなくちゃって気持ちが強すぎて……」


「い、いえ……。ただ、確かに些かお手に取りすぎかとは存じます……」


「さっきの方にお礼を言っておいて頂戴、少し冷静になれたわ……」


「いえ、こちらこそ失礼なことを――申し訳ございません!」


「……いいのよ、新聞でも話題になってるでしょ? うちの農場のこと」


「はい、存じております」


「ホーダーさんの資金援助でうちは助かるし、工業化も進んで利益も飛躍的に上がることになると思うわ、だから決して悪い話ではないし、むしろ前向きな話で明るい未来が待っているんだけど……でも、ね」


 そうだ、兄さんのこの動きは支配ではなく援助という形からじっくりゆっくり時間をかけようとしている。


 だけど、その速度は人によって感じ方が変わってしまう……だから……。


「どうしても今この瞬間は不安になっちゃって、買い物で気を紛らわせて忘れようとしてしまったのかしら……だから、こんなに買おうとしちゃって……」


ボクは商品の入ったカゴを持ちながらそっと夫人の両手に手を添える。


「先に待つ光が明るいほど、踏み出す足の影は濃くなるものです。しかし、踏み出した先には光しかありません。振り返って影を見るから怖くなるのです、しっかり前を向いて歩いていかれてはいかがでしょうか」


「……ありがとう、坊や」


 夫人はどんな良い商品を手に取った時よりも嬉しそうに笑顔を見せてくれた。


 夫人は「これは本当に欲しいものだから」と、そう言って商品は全て購入された。


 成長と喜びの中に拭えず生まれてしまう不安というもので、ボクはまた一つ『心の中の欠片』が埋まったような気がする……。


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