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第四十八話「まるで父親ですね」

 休日の朝、牛乳を飲みながら新聞を読む。今日もホーダー兄さんの記事はない。まだ嵐の前の静けさというべきだろうか。


「やっぱり選挙まで大きな動きはないのかなぁ」


 手元を見ずに牛乳の入ったカップを取ろうとすると、突然何者かにカップが押さえられた。


「よぉ、バロネッサ。今日暇か?」


「カ、カルロ様! ヴェローチェの方からのお誘いを断る理由なんてありませんよ!? 暇がなければお作りします!」


 慌てて新聞を畳んで起立した。


「いや、これはカルロ=ヴェローチェとしてではなく、バロネッサの友人のカルロとして誘っている」


「カルロ……様?」


「エレノアのことだ……状態が少し安定してきてな……」


「ほ、本当ですか……!?」


「まぁ、それの報告だ。見舞いがてらどうだ?」


「もちろん、行かせてください!」


「じゃあ、準備ができたら行くか」


◇ ◇ ◇


 先日オロ様からいただいた燕尾服は些か仰々しいので、カルロ様から背広を貸していただくことになった。


 あまりにもゆとりがあるのを見かねて、今日は上着は着ず、ズボンの裾も何重にも折って行くことになった。お陰で年齢よりも幼い様相になってしまった。


「エレノアの入っている病院は蒸気機関車で二駅先だ。あまり乗る機会なんてないだろ、車窓からの景色でも楽しんでおけよ」


「は、はい!」


 黒煙をまき散らしながら目で追えない速度で移動するそれは現代の技術の粋を集めた、そんな現実を超えた存在のように感じた。


◇ ◇ ◇


「ここだ、名前こそ使っていないがうちの系列の病院だ」


 そういいながら先にカルロ様が中に入って受付で話をしていると手招きをされた。


「ほら、いくぞ」


「は、はい!」


「あと、ここらからは『カルロ様』じゃなくて『カルロさん』で頼む、あくまで年上の知り合いって程度でな」


「わかりました……」


 カルロ『さん』の隣りを歩いて行き、入った部屋は壁に乱雑な模様が描かれた白い部屋だった。ただの病院というよりも、外部から遮断された隔離病棟のような雰囲気が漂っている。


 書かれているのは絵の具? 落書きのようだ。


 置かれているのは机と椅子と本棚と、ベッドと便器、そして目隠しのためのカーテンが一枚あるだけだ。


「おーい、エレノア! 今日も来たぞ!」


「あぁ! カルロお兄ちゃん!」


 白いワンピースの少女がカルロ様に抱きつき、カルロ様もわしゃわしゃと頭を撫でている。


「一週間ぶりだからな、元気にしてたか?」


「うん、スッゴく元気にしてたよ!」


 そこにいたのは、あの時よりも髪が伸びているけど、間違いなくエラさんだった。ただ、言動がボクの二歳年上とは思えないほど幼く感じた……。


 瞳は一点の曇りもなく、何ものにも汚されていない無垢な姿は、エラさんが失ったものの大きさを物語っていた……。


「今日はさ、俺の友達を連れてきたんだ。バロネッサって言ってさ、俺よりも歳が近いだろうし、仲良くしてやってくれよ」


「うん! 私はエレノア=サンドリオンだよ! よろしくね、バロネッサお姉ちゃん!」


 ボクの胸に飛び込んでくるように向かってきて声をかけてきた。

 

 ボクもカルロ様も驚きを隠せない様子だった。見た目は完全に男装しているのに……。どうして『お姉ちゃん』ってわかったんだ……?


「……いや、こちらこそよろしくね」


「エレノアのことはね、エレノアって呼んでいいよ! バロネッサお姉ちゃんの事はなんて呼べばいいの?」


「そうだね、『私』は年下だし、バロネッサでいいよ、エレノアさん」


「エレノア! 『さん』はいらないよ!」


「ご、ごめん、エレノア! よろしくね……」


 チラリとカルロ様の方を見ると少し悲しそうな顔をしていたけど、きっとこれが正解だったに違いない。


「ねぇ!? バロネッサは何が得意なの?」


「と、得意ですか? 難しいなぁ……。物を作るのは得意なんですが……」


 部屋の隅の椅子に座ったカルロ様は、安堵とも何とも形容しがたい表情でこちらを見守っていた。


 一方のボクとエレノアは壁に絵の具で絵を描くことになった。筆なんて使わず指で気の向くままに……。


◇ ◇ ◇


「見ての通りだ、生きた屍から無垢な少女まで復活はしてきた」


 エレノアが遊び疲れてベッドで休んでいる隙に、ボクとカルロ様は別室で紅茶を飲みながら話をしていた。


「エラさんが倒れてから一年くらい……ですか? どうやって治っていったんですか?」


 少しの沈黙のあと、カルロ様は覚悟を決めたように口を開いた。


「これはいずれは話さなければならないと思っていたんだが――全て俺の能力でだ」


「カルロ様の……!?」


「エレノアが記憶を『忘却オブリビオン』する能力なら、俺は記憶を書き加える能力だ。『刻印インスクリプション』と呼んでいる」


 兄が記憶を刻んで、妹が記憶を消す……。血の繋がらない兄妹とは言え似ているけど相反する能力というのは……皮肉だな……。互いを補完すると呼ぶべきか、互いを打ち消し合うと呼ぶべきか、運命で結ばれた能力のように感じる。


「書き加える――記憶を全て封印してまっさらな状態のエラさんの記憶を上から書き加えていっているってことですか?」


「あぁ、少しずつ直していったよ。一度に多く書き加えると負担も大きいから少しずつな、最初は排泄と食事から。まっさらな画板に少しずつ書き加えて日常生活をとれるところまで持ってきたんだよ」


「今はどこまで……?」


「両親は死んでいて、遠くで働いている実の兄が時々面会に来る。自分は病気でずっと病院に入っているって設定だ」


「封印された記憶が戻る可能性は……?」


「わからん。だが、環境だけで考えたら可能性は低いだろうな。幸い、今の俺は世間的には金持ちの部類だ、精神的に辛い思いはもうさせない」


「それで、ボクに会ったのは……?」


「結果の報告と俺と病院関係者以外の人間へ接触しても大丈夫かという検証だよ。ある程度進めば普通の少女と同じく自分で歩いていける」


「それにしても、エレノアさん……ボクが女だって一瞬で……」


「変に知識がないから感覚的に察したのかもな」


 不思議なもので、『私』が女だとバレたのは意外と初めてかもしれない。


 でも、それがエレノアさんでよかった……気がする。


「それで、カルロ『さん』としては今後どうしていくつもりですか?」


「悩んではいる、前に記憶を消した時も同じようにして少しずつ人間らしく戻していったが、どこかで書き加えるのはやめるつもりだ。当たり前だが、自分の人生だ、自分で決めさせようとは思っている。だが、さっきも言ったがもう辛い思いはさせたくない」


「まるで父親ですね」


 少し笑ったら厳しい顔で睨まれてしまった。


「あ――エレノアさん起きたみたいですよ」


 部屋に入ると背伸びをするエレノアさんがいた。


「あ、バロネッサ、おはよー!」


「エレノアはよく寝れた?」


「うん、バロネッサはいつもなにしてるの?」


「ええっと……カルロさんのお手伝い……かな?」


「カルロお兄ちゃんのお手伝いかぁ、お兄ちゃんいつも何してるのか教えてくれないんだよねぇ」


「別に大した仕事じゃないよ。それより今日の分の勉強は済んだのか?」


「えぇーっと……まだこれから……」


「ちゃんとやれよ、色んな事を学んで、自分のやりたい事を決めるんだ」


「ちぇー、お兄ちゃんは厳しいんだから」


 室内にある机と椅子に座ってなにやら問題文を解いている。文句を言いながらも問題を解く筆は止まることがない。


「――吸収力が違うんだよ、アイツの頭は今白紙だ。何にでもなれる、だから今度こそ慎重に選びたいんだ、アイツの将来を」


「でも、多分カルロ――さんの側を離れないと思いますよ」


「それじゃあ困るんだけどな……自立ってやつは……」


「行動力に溢れて、意思も責任感の強くて、軸がぶれない、誠実で正しい人と結ばれればいいんじゃないんですか?」


「馬鹿野郎、そんな都合のいい奴がいるかよ」


「――そうですかね」


 まるでボクの方がカルロ様と兄弟のように仲良く振る舞っていたら、エレノアさんに嫉妬されて軽い喧嘩になってしまった。


 新しく生まれたエレノアさんという存在は、過去との明確な決別をさせてくれた。決してエラさんが死んだわけではない。でも、いまエレノアさんという人が少しずつ育っていることを否定することはできない。


 『心の中の欠片』が一つ埋まったような気がする……。


 きっとこれはエラさんのではなく、新しいエレノアという人物からの気持ちだろう。


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